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『桃太郎と星汰と幸与の絆、百太朗と光太朗と桃太郎の絆をつなぐもの~「おかえりモネ」とキャッチボールと野球の物語~』

※これは「おかえりモネ」の世界に2022年夏の甲子園の感動を組み込んだ創作物語です。以前、個人的に書いた「おかえりモネ」続編(二次小説)の続きでもあります。前話までの設定上、優勝した年は2028年になります。あくまでフィクションであり、実在する学校、選手、監督とは異なります。前半はほぼオリジナルで、特に後半がモネの世界です。後半は米麻に住むサヤカさんたちが賑やかに登場します。2万字以上のため、少し長いです。以下、本文です。

 僕の名前は犬井桃太郎。登米市米麻町でお母さんと二人暮らししている中学一年生。小五の時に医師の菅波光太朗先生と出会い、先生にキャッチボールを教えてもらって以来、野球が大好きになった。大好きとは言え、キャッチボールさえなかなか上達しない僕は、学校で野球の仲間に入れてもらっても、球拾いもろくにできない落ちこぼれだった。

《ちっちゃな野球少年が 校舎の裏へ飛んでったボール 追いかけて走る グラブをかかえた少年は 勢い余ってつまずいて転ぶ すぐに立ち上がる》 「記念写真」(フジファブリック)

 不思議なことに光太朗先生が投げるボールなら捕れる確率が高かった。先生が教えてくれた信じる気持ち、信頼関係が構築されていたおかげだと思う。学校の友だちとはまだ信頼関係が築けていないのかもしれない。そもそも僕はいじめられっ子で、野球の仲間に入れてもらえるようになったのも小五からで、親友と呼べるような友だちもいなかった。

 中学生になったら、野球部に入りたいと思っていたものの、長沼中学校(米麻小と迫川小の卒業生たちが通う中学校)野球部の顧問は怖くて厳しいことで有名な体育教師の鬼束嵐(おにづかあらし)先生だった。自分の名前にコンプレックスのあった僕が言ってはいけないことかもしれないけれど、鬼を束ねる嵐なんて名前のイメージからして最強の先生だ。だから僕は野球部に入部しようかどうか躊躇してしまっていた。

《ちっちゃな野球少年は 今では大きくなって たまに石につまずいて 僕はなんでいつも同じことで悩むの? 肩で風を切って 今日も行く》 「記念写真」(フジファブリック)

 仮入部期間で野球部の見学をしていた時、二人の投手と捕手に目が留まった。見事に息が合っていて、二人が目配せしながら真剣にかつ楽しそうにボールを往復させている光景にすっかり心奪われてしまった。僕の視線に気付いた二人はプレーをやめて、僕の側へ駆け寄って来てくれた。
「野球部に興味あるなら、一緒に入部しようぜ。」
「そうそう、俺らと一緒に野球しよう。」
貫禄があり、先輩に見えた二人は僕と同じ中学一年生だった。小学校の違う二人とはこの時が初対面だった。
「えっ?君たちって僕と同じ中一なの?」
「あぁ、そうだよ。まだ仮入部だけど、俺らは野球部に入ることしか考えてないから、もう入部したようなものなんだ。俺は小さい頃から幸与の捕手をしている鳥原星汰(とりはらせいた)。」
「小学生の頃から星汰と一緒にリトルリーグにも所属していて、野球部以外、興味ないんだ。俺は投手志願の桐生幸与(きりゅうゆきと)。君は何て名前なの?」
二人とも何だかかっこいい名前だなと思い、自分の名前を言うのが少し恥ずかしくなってしまったけれど、光太朗先生と出会って以来、だいぶ自分の名前のコンプレックスは和らいでいた。
「星汰くんに幸与くんか。素敵な名前だね。僕は…犬井桃太郎って言うんだ。よろしくね。」
僕は名字の後、少し小声になって自己紹介した。
「へぇー君、桃太郎って名前なんだ。いい名前じゃん。」
「うん、かっこいい名前だな。よろしく、桃太郎。」
二人ともお世辞ではなく、本音で心の底から僕の名前を褒めてくれた気がしたから、なんだかそれだけでうれしくなったし、まっすぐで裏表もなさそうな信じられる二人だと思えた。
「ありがとう。僕、野球が好きだし、野球部に興味あるけど、キャッチボールも苦手で、全然ダメなんだ…。ほら、顧問の鬼束先生って怖いって有名だし。だから入部を迷ってて…。」
二人は一瞬、顔を見合わせるとケロっとした表情で僕に向かってこう言った。
「野球が好きなら、何も迷うことないじゃん?鬼束先生が厳しいのだって、部員を思っての指導だろうし。」
「そうだよ、苦手でも好きなら問題ないよ。俺らと一緒に野球やろう。キャッチボールならコツを教えるし。」
「そうかな…。キャッチボールにコツなんてあるの?」
まだ入部をためらっていた僕は二人に尋ねた。
「俺らさ、家が近所同士だったのもあって、小さい頃から二人でキャッチボールばっかしてたんだよね。最初から上手くできたわけじゃないんだ。」
「そう、毎日続ける地道な努力とそれから…相手と自分とボールを信じることかな。キャッチボールのコツって信頼関係を結ぶことだと思うんだ。」
上級生と見間違えるほど、上手な二人が光太朗先生と似たような精神論を言うものだから、僕はあっけに取られてしまった。
「相手と自分を信じること、キャッチボールの極意が信頼関係ってことなら、僕も知ってたよ…。でもなかなか上達しないんだ。そんな精神論だけじゃ、星汰くんや幸与くんみたいに上手くなれないよ。きっと二人は才能もあるだろうし…。」
「なんだ、知ってるなら、きっと桃太郎も野球上手くなれるよ。たとえ上手くなれないとしても、好きなら何も問題ないと思うんだけどな。俺なら苦手だとしても、好きなことはとことんやるし。」
「そうだよ。別に俺らは才能なんてないけど、でも二人とも野球が大好きで、お互いを信じることなら、誰にも負けない自信はあるよ。」
少しも迷うことなく、そう断言する二人の目は常にキラキラ輝いていた。そんな太陽みたいな二人が眩しくて、常に曇りがちな自分とは全然違う二人の姿勢に憧れを抱くようになった。二人の側にいたいと思った。
「そうなんだ、星汰くんも幸与くんも野球が大好きで、お互いのことを信じ合っているんだね。一緒に練習したら、僕も二人みたいになれるかなぁ。」
「別に俺らのことを目指さなくていいんだよ。俺たちだって完璧じゃないし。」
「そうそう、目標としてくれるのはうれしいけど、桃太郎にも良いところがきっとあるはずだから、桃太郎は桃太郎らしい野球ができるようになればいいんじゃないかな。自分が納得できるプレーができればさ。」
野球の上手な二人は決して自慢することなく、僕みたいな弱い立場の人の気持ちも理解しようとしてくれるやさしい性格の持ち主だった。そんな二人と一緒に練習できたら、精神的にも鍛えられるかもしれないと思い、僕は野球部に入部することを決めた。

 仮入部期間が終わると、鬼束先生の指導はより一層厳しくなった。入部したての一年生のことも容赦せず、二、三年生と同じメニューをこなすように命じた。野球部の練習だからと言って、常にバッドやボールを使う野球部らしい練習ではなく、基礎体力作りとして、ひたすらランニングしたり、筋トレし続ける日もあった。

 野球だけでなく、運動全般苦手な僕は、何をするにも他の部員に遅れを取っていた。
「おい、犬井、根性が足りないぞ。他のやつらの足をひっぱるな。」
今時、珍しく昔ながらの熱血指導をする鬼束先生は、さすがに部員を叩くことはしないとは言え、時々バッドではなく竹刀を片手に、遅れている部員たちに罵倒を浴びせた。特に一番出来損ないの僕は鬼束先生からいつも目をつけられていた。
「はい、すみません。がんばります。」
「気合を入れろ。気合いだ。」
喝を入れるように地面に向かって竹刀をぶつけることもあった。そんな怖い顧問の先生に怯えながら、野球部の練習に必死に食らいついていた。

 夏休みのある日、どんなに猛暑でも容赦なく、平常通りのトレーニングが待ち構えていた。炎天下の中、校舎の周りをぐるぐるひたすら走っていた。暑さに弱い僕は、いつも以上に遅れを取り、走るのが得意な先輩たちに一周以上差をつけられていた。走るというより、かろうじて歩いているに過ぎない僕に向かって、鬼束先生はいつものように「犬井、気合が足りないぞ。」と叱咤した。返答する気力さえ残っていなかった僕は、汗を拭い、うなだれながら歩き続けていた。次第に意識が遠のいていくのが分かった。完全に気力を失った僕はその場に倒れてしまった。倒れた瞬間、真夏の日差しが眩しかった気がした。

 「桃太郎、大丈夫か?」
そんな声が聞こえた気がして、目を開けると、どうやら僕は保健室に運ばれたらしい。星汰くんと幸与くんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「そっか…僕…倒れたんだっけ。二人ともごめんね…まだ部活中だよね?」
「俺らのことは気にしなくていいから。大丈夫か?スポーツドリンク飲めるか?」
星汰くんは僕にスポーツドリンクを差し出してくれた。
「鬼束先生の許可をもらってここにいるから、心配するなよ。氷、交換するから。」
幸与くんは氷嚢の氷を入れ替えてくれた。
「ありがとう。冷たくて気持ちいいし、おいしいよ。」
「スポーツドリンク飲めるなら大丈夫だな。」
「でももう無理するなよ。鬼束先生に叱られるとしても、自分の体調を優先して、適度に手を抜かなきゃ。命を落としてしまったら、元も子もないなだから。鬼束先生には俺からも言ってみるし。もう少し、個々人に合わせたメニューも考えてほしいって。」
幸与くんは真剣な眼差しでそう呟いた。
「いいよ、幸与くん。そんなこと鬼束先生に言ったら、幸与くんの立場が悪くなるじゃない。せっかく一年生でレギュラーもらってるのに。」
「大丈夫だよ、仲間を守るために言ったことで、レギュラー落とされるなら、その程度の野球部ってことだからさ。」
「そうだよ、俺たちは運良く一年生でレギュラーになれたけど、他の一年生はレギュラーになれていないやつらも多い。そんな仲間が、練習が厳しすぎて野球部そのものをやめてしまったら悲しいからな。俺らは二人だけで野球できるわけじゃないし。」
「そうだよな、野球って最低一チーム九人、相手チームも合わせれば十八人必要なわけで、怪我や故障も考えると、もっと何人も必要で。ベンチ入りできなくても、応援とか、練習とかでは多ければ多いほど、チーム力は上がる。とにかく、俺は野球が好きなやつら全員で、野球をやりたいんだよ。上手い下手は関係なく、みんなでプレーを楽しみたい。」
仲間思いの二人が鬼束先生に掛け合ってくれたおかげで、先生は少しだけ手加減してくれるようになった。もしも二人が野球部にいなければ、僕はとっくに野球部をやめていたかもしれない。

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《嵐の中をここまで来たんだ 出会って生まれた光 追いかけて 嵐の中をどこまでも行くんだ 赤い星並べてどこまでも行くんだ》 「リボン」

 三年生になり、二人の活躍のおかげで米麻中学校野球部は県総体で準優勝を果たし(当然僕はベンチ入りもできず、ひたすら応援するだけだったけれど)、バッテリーコンビとして注目を集め始めた。二人は県内で有名な野球強豪校の私立高校からスカウトされるようになっていた。
「星汰くんも幸与くんもすごいね。あの育命(いくめい)学園野球部からスカウトされたんでしょ?」
「別にすごくないよ。いろんな中学校回って、声かけてるみたいだし。」
「そうだよ、俺らはそもそもスカウトとか関係なく、育命に行きたいって考えてたしな。桃太郎も俺たちと一緒に育命に行かない?」
二人は謙遜した挙句、僕にまで同じ高校に行かないかと声を掛けてくれた。
「えっ?僕なんて無理だよ。そもそも私立はお金かかるし…。お母さん一人を米麻に残して、仙台の高校なんて行けないし…。何より二人と違って、野球の実力がないから、育命を受験する意味なんてないよ。」
「そうか?もしも野球を続けたいなら、強豪校の野球部に入部して、いろいろ経験するのもありだと思うけどな。」
「桃太郎はやさしいから、お母さんのこと心配だろうけど、でももしも野球に未練あるなら、育命に入ることも考えていいんじゃないかな。また俺たちと一緒に野球やろうぜ。」
二人は野球の実力なんて皆無な僕のことを、馬鹿にすることなく、真剣にこれからも一緒にやろうと誘ってくれたけれど、さすがに僕はこれ以上、二人についていくことはできないと思ったし、大切な友だちの足手まといになりたくなかった。
「星汰くんも幸与くんもありがとう。でも、僕、高校は長沼高校に入るって決めてたんだ。公立で進学校だし、その…こんな僕じゃ無理なのは分かってるけど、医学部に入りたいって夢もあって…。それに、これからは野球をプレーするんじゃなくて、大好きな野球を応援する側になりたいなって思ってて。高校生になったら、吹奏楽部に入ろうと思ってたんだよ。」
「へぇー桃太郎って医者目指してたんだ。すごいな。いいと思う。桃太郎は俺らより勉強できるし、頭いいもんな。それから野球が好きだから、野球を応援できる吹奏楽部に入りたいって考えてたなんて知らなくて、強引に誘って、ごめんな。」
「桃太郎なら、長沼高校に入れるし、きっと医学部のある大学にも入れるよ。野球の応援するために吹奏楽部っていいじゃん。かっこいいな。ほんとは育命の吹奏楽部に入って、俺たちを応援してくれよって言いたいところだけど、これ以上駄々こねるわけにもいかないもんな。桃太郎が決めた桃太郎の人生だから応援するよ。」
二人ともいつでも僕のことを尊重してくれて、肯定し味方になってくれた。本当は医学部に入る偏差値なんてないし、長沼高校にさえ入れるか分からない。それでも、二人がこんな僕を応援すると笑顔で背中を押してくれたから、二人の信頼に応えたいと思った。これからは二人の側にいて同じ時間を過ごすことはできないけれど、僕は自分が決めた道を信じて、高校は違っても二人の野球を応援し続けたいと心から思った。

 二人はあっさり育命学園に入学が決まった。僕はなんとか長沼高校に合格することができた。二人が仙台の寮へ旅立つ日、僕はバス停まで二人を見送りに行った。
「仙台に行っても、がんばってね。星汰くんと幸与くんなら、きっとこれまで通り、活躍できるバッテリーでいられると思う。」
「おう、もちろんがんばるけど、どうだろうな…。育命なんて、宮城どころか全国から野球が好きで得意なやつらが集まるから。俺たちの力がどこまで通用するかはまだ分からないよ。」
「そうだよな。米麻中学とは全然違うと思うし、正直少し不安もあるよ。でも、俺は誰より負けないって思ってることが一つだけあるんだ。」
幸与くんがなぞなぞの質問みたいなことを言い出した。
「何?何?」
僕が答えを尋ねているうちに、星汰くんがニヤリと笑って言った。
「俺、分かったぞ。俺もそれだけは誰にも負けないし。俺は幸与のことを」
「星汰のことを」
「信じること。」
二人揃ってはっきりそう断言した後、顔を見合わせた二人は一緒に微笑んだ。
「なんだ、そういうことか。それなら、誰にも負けないよね。星汰くんは幸与くんを信じて、幸与くんが投げる球ならどんな球でも捕るし、幸与くんも星汰くんがキャッチしてくれるのを信じて、安心して投げてるって分かるもん。二人の信頼関係は他のどんなバッテリーの二人にも負けないよね。」
「ありがとう、いつも近くで見守って、一緒にプレーしてくれた桃太郎に言われたら、鬼に金棒だよ。」
「だな。三年間必死に練習を積み重ねてきたけど、結局桃太郎と出会った時に言ったコツ、極意に敵うものはなかったよ。野球は自分が投げる球を信じて、捕手が取ってくれると信じて、どんな球でも味方チームが守ってくれると信じることが大事なんだと思う。信じられるチームメイトがいるから投げ続けることができるんだよ。ほんとは精神論で片付けられないことかもしれないけど、信じることって大切だよな。」
そんなことを熱く語る幸与くんの目にはうっすら涙がにじんでいた。
「信じ合うことが一番大切だって、僕は二人から学んだよ。星汰くんと幸与くんに出会えて、二人と一緒に野球できた三年間はとても楽しかったよ。幸せだったよ。ありがとう。僕も二人に負けないように、ここでがんばるから。」
「俺たちの方こそ、桃太郎と出会えて良かったよ。桃太郎から教えられることもあったんだ。好きだけどやめて他の道を選ぶ勇気とか、そういうの、俺にはないからさ。」
「桃太郎が登米で俺たちのことを忘れないで応援してくれていると思うと、がんばれるよ。俺たちの地元は桃太郎に任せたから。登米に桃太郎がいると思うと、仙台でがんばれる気がするよ。」
三人でいつも通り楽しく話し込んでいた所に仙台行きの高速バスがゆっくり近づいてきた。別れの時が近づいたことを悟った僕はなんだかとても寂しさを覚えた。
「そうだ、これ。桃太郎にやるよ。」
「えっ、僕の方が餞別しなきゃいけないのに…何?」
バスに乗り込む直前、ふいに僕に渡してくれたものは二人のサイン入りボールだった。
「俺らさ、育命の野球部として甲子園に行きたいって思ってるんだ。」
「まだ夢だけど、本気で思ってるんだ。ボールには俺たちの魂が入ってるから。桃太郎のお守りにして。離れていても俺らの心はいつでも桃太郎の側にいるからな。」
「うれしい…ありがとう、星汰くん、幸与くん。大事にするよ。二人が甲子園で活躍して全国優勝したら、このボールすごい価値がつくね。もっとも僕にとってはすでに宝物だけど。」
バスに乗り込んだ二人は窓から手を振って笑っていた。未来に向かって羽ばたく二人をやさしく包み込むように、迫川の水面は柔らかな夕陽で茜色に染まっていた。

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《迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う 君は笑っていた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて 今僕がいる未来に向けて》 「記念撮影」

 育命の野球部に入部し、一年生ながらレギュラーになり、変わらず華やかで順調な二人とは対照的に、僕は地味な高校生活を送っていた。進学校の勉強についていくのがやっとで、この調子じゃとても医学部を目指しているなんて公言できそうになかった。光太朗先生に勉強を見てもらいたいところだけど、先生は診療所とそれから、百音さんとの間に生まれ、今年五歳になる僕と同じ名前の百太朗(ももたろう)くんの子育てに追われていて、とても勉強を教えてほしいなんて頼める状況ではなかった。子煩悩な光太朗先生はすっかり素敵なお父さん、育メン医師になっていた。

 高校では勉強だけでなく、部活も苦労した。吹奏楽部に入って、野球部を応援するなんて夢見ていたけれど、実際、吹奏楽なんて一度も経験がなく、マウスピースさえ音を鳴らせなかった僕は、パーカッションの担当になった。打楽器なんて少し地味だなと思ってしまったけれど、リズムを取る重要な役目を担っており、目立たないけど、集団で音楽を奏でる吹奏楽をまとめる上で、特に大切なパートだということを知った。

 野球もそうだけど、何でも目立つ表方と目立たない裏方がある。野球は投手や打者が注目されがちだけど、捕手も守備もかなり大事だ。魂のこもっている一球をみんなで追いかけ、落とさないように守るって地味かもしれないけど、ある意味、打つより尊いことの気がしてならない。捕手の星汰くんと投手の幸与くんは打者としても優秀だったけれど、やっぱり二人は魂のこもっている球を投げ、受け止め、また返すという二人にしか見せられない信頼関係の上で成り立つプレーが醍醐味だった。ボールではなく、もはや魂というかけがえのない命をつないでいるように見えた。
 だから僕も吹奏楽部に入って、管楽器と比べたら地味なティンパニー(外で野球部等の応援をする時は運びやすいティンバレス)担当になったけれど、自分が打つ一音一音に魂を込めようと思った。打つ対象がボールではなく、太鼓に変わっただけで、自分を信じて、他の楽器を担当するみんなの音を信じて、ひとつの音楽を作る面では、野球とそれほど変わらないかもしれないと思った。

 長沼高校は育命学園と違って、県大会で優勝できるほどの実力を持った野球部ではなかった。しかし高二の時、長沼高校野球部は決勝まで勝ち進み、星汰くんと幸与くんのいる育命学園と対戦することになった。
「ここまで来れば、甲子園も夢じゃないかもね。」
「とうとう、私たちも甲子園で応援できるかもしれないわね。」
野球部のみならず、長沼高校吹奏楽部も沸き立っていた。僕はうれしい反面、複雑な心境だった。もちろん母校の長沼高校を応援したいけれど、友だち二人がいる育命学園のこともずっと応援していたから…。

 母校が攻めている時しか、音楽は鳴らせない。決勝大会で育命が攻めている時、僕は心の中でティンバレスを鳴らし、澄ました顔で密かに真剣に応援していた。鞄には二人からもらったお守りのボールを忍ばせていた。二年生バッテリーとして活躍した星汰くんと幸与くんのおかげで、育命は長沼に大差で勝った。長沼高校の生徒としてがっかりしなきゃいけないところなのに、内心、僕はあの二人が中学時代から夢と語っていた甲子園に本当に行けることが決まり、喜びに満ち溢れていた。

 はち切れそうな喜びをボールと一緒に鞄にしまい、長沼高校吹奏楽部として落胆した素振りも見せつつ、楽器をバスの中に片付けていた。バスが出発するまでまだ時間があったので一段落すると、育命学園の生徒たちがいる方にこっそり近づいてみた。僕に気づいた星汰くんと幸与くんが駆け寄ってくれた。
「桃太郎、やっぱり応援に来てたんだな。残念だったな、長沼高校。」
「桃太郎、会えてうれしいよ。長沼高校の分まで、全国大会がんばってくるから。」
以前よりさらに背が伸び、日焼けしていた二人は頼もしく見えたし、相変わらず、自分たちのことより、他校のことを気遣っていた。そんなやさしい二人をやっぱりいいなと思えたし、憧れも増した。
「星汰くんと幸与くんに会えてうれしいよ。長沼高校のことも、もちろん応援したけど、ここだけの話、僕は育命のことも応援していたよ。がんばった二人とこのお守りのおかげかもね。」
僕は鞄から二人がくれたサインボールを取り出しながら言った。
「懐かしいな、そのボール、持って来てくれてたんだ。ありがとう。敵チームなのに、応援してくれて。」
「桃太郎がこっそり応援し続けくれたおかげかもな。全国大会の時も、良かったらそのボールをお守りに登米で応援してほしい。」
「もちろん、二人が…育命が優勝できるように、このお守りを持ってずっと応援するよ。もう長沼高校の応援は終わったから、これからは堂々と育命の応援をできるよ。」
僕ら三人が久しぶりの会話に花を咲かせていた所に、育命学園野球部の監督らしき人がやって来た。
「二人ともこんなところにいたのか。探していたぞ。ん?そちらは長沼高校の生徒さんかな?おつかれさまだったね。戦ってくれてありがとう。」
野球部の監督というと鬼束先生のような怖い人というイメージがあったけれど、とても物腰が低く、やさしそうな監督で拍子抜けしてしまった。
「すみません、雨宮先生。桃太郎…長沼高校の犬井桃太郎とは中学時代からの友だちなんです。」
「久しぶりだったもので、すみません。そうそう、桃太郎、雨宮望(あまみやのぞむ)先生は野球部の監督だけど、音楽の先生でもあるんだ。だから長沼高校の吹奏楽部の演奏も褒めてたぞ。」
「えっ?音楽の先生が野球部の監督なんですか?珍しいですね。じゃあ、育命学園の吹奏楽部は誰が指揮してたんだろう…。」
「君は長沼高校の吹奏楽部なんだね。とても魂のこもった良い演奏だったよ。桃太郎くんと言ったかね…何の楽器を担当していたのかな?私は音楽の教師をしているけれど、母校の吹奏楽部のことは音楽の他の先生に任せているんだ。音楽教師の性なのか五感のうち、聴覚だけは試合中も吹奏楽に気をとられてしまうこともあるよ。」
雨宮先生と二人から慕われている野球部の監督兼音楽の先生は長沼高校の吹奏楽部の演奏を褒めてくれた。
「ありがとうございます。はい、僕は長沼高校吹奏楽部で普段はティンパニー、試合の時はティンバレスを担当している犬井桃太郎と申します。星汰くんと幸与くんとは中学時代、同じ野球部だったんです。」
「桃太郎くんはティンバレスを担当しているのか。魂がこもっていて良い音だったよ。野球もしていたなんて、音楽と野球をしている私と似てるな。」
雨宮先生はそう言ってやさしく微笑んだ。
「いえ、とんでもないです。同じなんかじゃないです。僕の場合は何をやっても上達しなくて、いろんなことに手を出しているだけなので…。全部中途半端で極められていないので、恥ずかしいです。」
「やっぱり似ているよ。私だって、何をしても中途半端な学生時代だったんだ。野球が好きだけど、レギュラーにはなれなかったし、音楽をするなら、手を怪我するといけないから、野球はやめなさいなんて親に言われて、音楽だけに専念した時期もあったし…。その音楽も才能があったわけではなく、ただ努力を積み重ねてようやく音楽の教師になれたんだ。でも好きな野球も諦められなくてね…。ただどっちも好きだから続けられているだけなんだよ。」
雨宮先生は、はにかむように微笑みながらそんなことを教えてくれた。
「雨宮先生って音楽の先生だからかな。熱い情熱もあるけど、繊細で分析力もあって、頭脳勝負というか、理論的なんだ。だから中学時代の鬼束先生とは違って、酷暑の中、連投させるようなこともしないし、倒れるまで走らせるとかそんな無茶なこともさせないんだ。愛があるっていうか。」
「そうそう、育命チームのことも、相手チームのことも徹底的に分析して、データを重んじた上で、レギュラーじゃない部員の声も絶対、取りこぼさないんだ。部員全員を大事にしてくれる、やさしい先生なんだ。だから桃太郎が育命に入学したとして、野球部に入部してたら、きっと中学時代より、楽しい野球ができたと思う。」
二人の雨宮先生に対する思いを知った先生は恥ずかしそうに弁明した。
「おいおい、二人とも褒めすぎだぞ。しいて言えば、私は監督としてバッティングや投球指導は他の監督たちには負けるかもしれないが、その分、データ分析や部員たちの思いに寄り添うことでまかなっているというか。生徒たちにひっぱってもらっている監督かもしれないな。甲子園に連れて行ってもらえるのもみんな、部員のおかげなんだ。こっちこそ、感謝しているよ。特に二人は大活躍してくれたし、本当にありがとう。」
「育命学園野球部なんて名門だから、どんなに厳しいのかと思ってたけど、監督も部員もお互いに信頼し合っているんですね。そんな温かい野球部だったら、僕も育命学園に入る道も考えれば良かったかな…。なんか雨宮先生って光太朗先生みたい。何でも分析して頭使って、やさしくて愛があるから。」
野球部監督としては珍しく、やさしすぎる雨宮先生のことを知ったら、ふと光太朗先生のことを思い出した。
「あー米麻診療所の菅波先生のことな。俺も何度かお世話になったことあるけど、たしかに似てるかもしれない…。」
「サヤカさんの友だちのうちのばあちゃんが言ってたけど、菅波先生って今でこそ、雨宮先生みたいに柔和で愛がある先生だけど、米麻に来たばかりの頃はクールな医者だったんだって。奥さんのモネさん?と出会って、人が変わったって…。」
「へぇー光太朗先生って、昔は今と雰囲気が違ったんだ。僕が出会ったのは小五の頃だったけど、その頃はすでにやさしかったよ。子どもが生まれてから、さらにやさしい雰囲気になったけど。小児科医にもなれそうな感じにね。」
「菅波先生?どっかで聞いたことある気がするな…。桃太郎くん、申し訳ないがそろそろ時間なんだ。また会えた時、ゆっくり話そう。」
雨宮先生は微笑みながら、丁重に挨拶してくれた。
「長話してしまって、すみませんでした。雨宮先生のような監督がいることを知れて良かったです。星汰くん、幸与くん、またね。甲子園、ずっと登米で応援してるから。」
「おう、またな。甲子園が終わったら、夏休みの間にたぶん登米に帰るし、その時ゆっくり話そうぜ。」
「そうだな。登米に優勝旗…は持っていけないとしても、優勝報告できるようにがんばるから。長沼高校の分もがんばるよ。」
「がんばってね」と二人にエールを送った後、慌てて長沼高校のバスに戻ると、「どこに行ってたんだ、探したぞ」と吹奏楽部顧問の揺本(ゆりもと)先生に叱られてしまった。注意されたはずなのに、雨宮先生と二人と話せたことがうれしくて、僕の心はまだ高鳴っており、ちっとも反省できなかった。

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《解き放て あなたの声で 光る羽根与えた思いを その足が向かうべき先へ そうしなきゃ見えなかった未来へ 諦めなかった事を 誰よりも知っているのは 羽ばたいた言葉のひとつひとつ 必ず届きますように》 「Aurora」

 育命学園は順調に勝ち進み、準決勝は僕が生まれる前に震災で亡くなってしまった僕のお父さんの母校だとお母さんが教えてくれた福島の聖(ひじり)学院と戦い、東北同士の熱戦の末、育命学園が勝者となり、決勝に残った。
「桃太郎のお父さんね、野球が大好きで、聖学院で野球部だったらしいの。甲子園に行くのが夢だったけど、お父さんはそもそもレギュラーにもなれなくて、お父さんが在籍中は県大会で優勝もできなかったんですって。だから、ちょっと残念ね。せっかく、準決勝まで残ったのに…。」
お母さんから僕の知らないお父さんの思い出話を聞きながら、二人で準決勝の行方を見届けた。お父さんの母校が負けたのはもちろん残念だけど、それ以上に星汰くんと幸与くん、そして雨宮先生のいる育命が決勝に残ったことがうれしかった。

 決勝大会は大阪の強豪校を下した山口国際高校と対戦することになった。ピッチャーの気迫がすごい。監督も鬼コーチと呼ばれるほどスパルタらしく、眼光が鋭く見えた。僕はサヤカさんたちと一緒に米麻診療所と森林組合に隣接するカフェに設置された大型テレビの画面を固唾を飲んで見守っていた。僕はもちろん、二人のサインボールをお守りとしてポケットに入れていた。
「こういう、みんなであづまって遠隔応援するの、何て言うんだべ?」
「パブリックビューイングって言うんでねぇの?」
森林組合の年配の方々は、試合はもちろん、米麻の人たちが集まったことを純粋に楽しんでいる様子だった。
「いや、しかしね、捕手の星汰くんは迫川地区の小料理屋の鳥原さんとこの子で、投手の幸与くんも桐生さんの孫でしょ?二人とも全国大会に出場して、しかも決勝なんておどけでねぇなぁ(とんでもなくすごい)。」
「甲子園に行くだけでもすごいっていうのに、とうとう決勝まで来ちゃったもんねぇ。ついに優勝旗が白河の関、越えるんでねぇの?二人とも東北の、登米の誇りだねぇ。」
「みんな、おしゃべりばかりしてないで、真剣に見ましょうよ。ほら、星汰くんなんてずっと捕手として、がんばってるんだから。」
サヤカさんは話の絶えない森林組合やカフェの人たちのことをまるで監督のようにしきった。たぶんサヤカさんが野球部の監督だったら、長沼高校野球部も甲子園に行けるんじゃないかとサヤカさんの素質を見込んで、本気で思った。
「あースクイズのチャンスだ。」
「スクイズって?」
野球に詳しくないカフェのおばさんが野球に詳しい森林組合のおじさんに質問していた。
「三塁に走者がいる時、打者がバントして、守備が手間取っているうちに、ホームインすることだよ。成功すれば点が入るが、失敗すると三塁走者がアウトになってしまう。育命はスクイズや盗塁が得意だが、百%成功するとは限らないから、大きな賭けなんだよ。」
「へぇー野球っていうのはただ適当に打って、やみくもに走ればいいってもんじゃないのねぇ。」
「当たり前だよ、雨宮監督になって以来、育命は特に頭脳を使うようになったというか、分析力がおどけでねぇんだ。」
さっきまで私語を慎むように指導していたサヤカさんがぽつりと呟いた。
「私、あれ好きよ。犠牲フライとかってやつ。バントみたいなものだけど、高く上げる分、見ていてスカッとするわね。」
「犠牲フライもなぁ、ホームに生還できればいいが、やっぱり成功率は百%ではないからなぁ。」
野球に詳しい森林組合のおじさんはテレビに視線を集中させた上で、うわ言のように呟いた。
「野球も命と同じで犠牲の上、つなげられるものなのよね…。死ぬってわかっていても、意味があるから、そうせざるを得ないというか…。次の打者に命をつなぐために、捨て石みたいに捨てられる一球もあるのよね…。野球のボールには魂がこもっていて、球児はみんな命ってボールを追いかけている気がするわ。だから野球は奥が深くて、おもしろいのよね。単なる球の追いかけっこじゃなくて、命を懸けてるようなものだもの。」
サヤカさんは時々、突拍子もないことを言う癖があるけれど、妙に深くてためになる場合が多い。みんな試合に真剣で、戯言のようなサヤカさんの話を聞く人はいなかったけれど、僕だけは真剣に聞いていた。
「あっ、やった、点が入った。」
リードしていた育命は二点の追加点を入れた。
「育命、どんな様子ですか?」
診療所から光太朗先生も顔を覗かせた。
「あー菅波先生、今、いい所だったんだよ。」
「四対一で育命がリードしてるよ。」
「そうだったんですか。患者さんたちも、決勝が気になるのかこの時間になったらぱたりといなくなったので、僕も見に来てしまいました。」
「みんな登米出身の二人もいるから、応援してるんだよ。」
「通院どころじゃないだろうからね。」
「桃太郎くんもここで見てたんだね。育命の友だちから甲子園に見に来ないかって誘われてたんでしょ?行かなくて良かったの?」
実は星汰くんと幸与くんから球場に来ないかと誘われていたけれど、僕は断っていた。
「はい、迷ったんですが、僕はやっぱり二人のことは、米麻でみんなで応援したいなって思って。ここなら、こうして光太朗先生とも一緒に観戦できますし。」
「そっか、ありがとう。僕も桃太郎くんと一緒に見られてうれしいよ。」
「ほんとは百太朗くんやモネさんとも一緒に見たかったんじゃないんですか?」
「うん…まぁそうだけど、でも二人は気仙沼にいるからね。仕方ないよ。」
愛妻家で子煩悩な光太朗先生は少し寂しそうに微笑んだ。

 ふと、育命の吹奏楽が演奏し始めた聞き覚えのある楽曲に耳を奪われた。福島の聖学院吹奏楽部が使用していた楽曲を、敗者の聖の思いを受け継ぐかのように演奏したのだ。解説によると耳コピして覚えた部分もあるらしい。宮城のみならず東北全体の思いを背負って粋な計らいをした育命吹奏楽の思いやりに僕は心打たれた。
「満塁…ここでホームラン打てば四点の追加点になるぞ。次の打者がスラッガーだといいんだが…。」
「スラッガーって?」
「長打力のあるバッターのこと、つまりホームラン打てる可能性の高い、強打者。」
みんなテレビの画面に釘付けになっていた時、僕は後方に微かに人の気配を感じた気がした。そんなことを気にしている暇はなかったので、振り向くことなく、大量得点のチャンスに見入っていた。
「すごい、本当にホームランを打ったぞ。」
「育命はここぞという時にすごいねぇ。やっぱり野球はホームランがあると気持ちいいねぇ。」
米麻のパブリックビューイングで見ていた僕らは歓声を上げ、拍手喝采を繰り返していた。
「あーこのホームランを百太朗や百音とも一緒に見たかったなぁ。」
光太朗先生は少し寂しそうな表情をしてぽつりと呟いていた。
「ぼくなら、ここにいるよ。」
「私も…ここにいますよ。」
まだ歓喜に沸き立っていた一同はその声のする方を振り向くとなんと後方には笑顔のモネさんと百太朗くんが立っていた。テレビを見やすいようにするためか百太朗くんはモネさんに抱き抱えられていた。
「モネ!百太朗!いつの間に来てたの。今日は来られないって言ってたのに…。」
サヤカさんは思いがけない二人の登板にうれしそうだった。
「代打と代走を引き受けてくれた同僚がいて…。百太朗くんにお父さんと一緒に観戦させてあげたらって。米麻に行って来なよと背中を押されて来てしまいました。」
誰よりも喜んだのはもちろん光太朗先生だった。
「百太朗!いつの間に来てたんだ。百音、来てくれてありがとう。うれしいよ。家族三人で同じ場所で、この歴史的瞬間に立ち会えたんだから。もちろん僕は桃太郎くんやサヤカさんたち、米麻のみなさんと一緒に見られただけでも幸せなのに、その上、知らぬ間に百太朗と百音ともこの感動を共有できていたなんて、あぁ僕はなんて幸せ者なんだろう。そもそも診療時間内だというのに、神の思し召しか、患者さんの足がぱたりと途絶えて、こうして観戦することができている。あぁ、僕はなんて恵まれているんだろう。ありがとう、米麻の神さま、山の神さま、空の神さま、野球の神さま、甲子園の神さま…。この幸せ、喜びをどう表現したらいいだろう。そうだ、この感情がすべてだ。ありがとう、育命学園。」
まるでミュージカル俳優にでもなったかのように、光太朗先生は感動的な一人芝居を繰り広げていた。サヤカさんたちはぽかんとした様子で先生を見ていた。光太朗先生は満足げに長台詞を言い終えると、モネさんの腕から百太朗くんを抱き寄せた後、百太朗くんを肩車し始めていた。モネさんは少し苦笑いしていたけれど、すべての意味は理解できない百太朗くんは光太朗先生の頭上できゃっきゃっとはしゃぎながらニコニコ笑っていた。
「菅波先生、まるで試合が終わったかのような台詞だったが、まだ試合は終わったわけでねぇがら、応援すっぺし。」
光太朗先生の名芝居にあっけに取られた様子のカフェのおばさんが先生の背中をぽんぽんと叩いた。
「そうですね…すみません。つい、うれしくて…。興奮してしまいました。」
その後は少し落ち着きを取り戻し、光太朗先生とモネさん、百太朗くんは家族揃って決勝を観戦していた。僕は少し百太朗くんが羨ましくなった。お父さんと一緒に野球を見られて、一緒に感動を分かち合うことができて…。そういう経験ができなかった僕は、幸せそうな親子を見かける度に胸が少しチクっと痛むことがあった。そんな感傷に浸っている場合でもなかった。友人二人が今まさにがんばっている育命の試合に集中しなければ。後半は星汰くんと幸与くんの活躍が目立ち、育命は満塁ホームランという歓喜の余韻を残したまま、試合を終えた。全国一の勝者になったのだ。ついに東北勢初となる悲願の甲子園優勝を育命が果たしてくれた。

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 「やったー優勝したぞ。今夜はみんなで祝杯あげっぺし。」
「ついに東北に、宮城に優勝旗がやって来るんだねぇ。感慨深いねぇ。」
「生きている間に、この瞬間に立ち会えるとは思ってなかったよ。白河の関は越えられないって諦めてしまっていたから…。」
「星汰くんと幸与くんは正真正銘、登米のヒーローだっちゃ。」
米麻のおじさんやおばさんたち、サヤカさんも涙を流しながら、いつまでもテレビに向かって拍手を送っていた。
「ねぇ?いくめいかったの?いちいになったの?」
「うん、育命が一位になったんだよ。優勝したんだよ。」
きょとんとしている百太朗くんにやさしく光太朗先生が教えていた。
「すごいねーいちいになったんだー」
状況を理解すると、百太朗くんはきゃっきゃっと笑って喜んだ。二人揃って喜ぶ我が子と夫の様子を微笑ましそうに見つめていたモネさんから僕は声を掛けられた。
「桃太郎くんって吹奏楽部に入っているのよね。長沼高校も惜しかったわよね。県大会の応援に行って、負けてしまって悔しかったでしょう?」
「はい、吹奏楽部ですが、打楽器の…ティンパニーとティンバレスを担当してます。マウスピースの音も鳴らせなくて。ほんとは金管楽器に憧れてたんですが…。母校は残念でしたが、全国優勝を果たした育命と戦えたことは誇りです。」
「私もね、中学時代、吹奏楽やってたの。サックス吹いてたんだけど、しばらく音楽からは離れてしまって、大人になってから、また再開したの。音楽っていいよね。みんなの背中を押せるっていうか、勇気もらえるし、あげられるから…。パーカッションも大事よ。音楽をまとめるために大切だもの。育命の野球はもちろんすごかったけど、吹奏楽も良いなって思いながら見てたの。」
モネさんはそんなことを言いながら、フフフっと微笑んだ。
「ねぇ、おかあさんとももたろうくんは、なにおはなししてるの?」
「音楽のお話してたの。」
「ふーん。ねぇ、ももたろうくん、ぼくとキャッチボールしてくれない?」
「えっ?キャッチボール?お父さんとした方がいいんじゃない?」
「おとうさんがね、ももたろうくんはいちいになった、いくめいでかつやくしたおにいちゃんたちといっしょにやきゅうをしていたから、ももたろうくんにたのんでみなさいって。」
光太朗先生は僕の方を見ながら、
「百太朗のキャッチボールの相手、してやってくれないかな。僕はそろそろ診察に戻らないといけないし。」
と申し訳なさそうに言った。
「キャッチボールなんて、高校生になって以来、しばらくしてなかったけど、大丈夫かなぁ。甲子園で優勝した二人と違って、僕はキャッチボールも下手くそだから。」
ためらいつつも、いつの間にかおもちゃの柔らかいボールを持っていた百太朗くんの熱意に押されて、百太朗くんとキャッチボールする羽目になった。
「百太朗くん、今年六歳でしょ?もうキャッチボールできるなんてすごいね。」
「うん、ぼく、おとうさんにとっくんしてもらっているんだ。」
「へぇーそうなんだ。お父さんとキャッチボール、練習してるんだ。」
百太朗くんが投げるボールにぼくは必死に食らいついた。軽くて柔らかい分、風に乗ってしまい、キャッチするのは相当難しかった。
「でもおとうさん、キャッチボールへたくそなんだよ。おかあさんのボールはとれるのに、ぼくのボールはまだとれないことがおおいんだ。」
よし、なんとか百太朗くんのボールを捕れたぞ。今度は百太朗くんに向かって、やさしくボールを投げた。
「昔、百太朗くんのお父さんに僕もキャッチボールの練習してもらったことがあるんだ。その時教えてもらったんだけど、相手を信じることが大事なんだって。」
「しんじること?」
あっやっぱり、百太朗くんは僕が投げたボールを捕り損ねて、落としてしまった。
「そう、僕は百太朗くんのことを信じて捕るし、百太朗くんも僕のことを信じて投げてってこと。」
「ふーん、よくわかんないや。」
百太朗くんは笑いながら、ボールを高く上げた。
「あー犠牲フライだね。」
少し離れた場所から僕らのキャッチボールを見ていたサヤカさんがぽつりと呟いた。
「百太朗、キャッチボールって言うのはね、相手に向かって、つまり桃太郎くんに向かってまっすぐ投げるのよ。分かる?」
百太朗くんの側に駆け寄ったモネさんがそう教えていた。
「百太朗と桃太郎くんのキャッチボール…いつかどこかで見覚えのある光景だわね。こんな風におもしろいものや感動的な場面に出会えるから、私もまだまだ長生きして、ここで若い人たちの成長を見守らないとね…。」
サヤカさんがふふっと笑いながら見上げた米麻の空には、束の間、七色の彩雲が出現し、まるで育命学園全国優勝を祝福しているかのようだった。

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《手探りで今日を歩く今日の僕が あの日見た虹を探す今日の僕を 疑ってしまう時は 教えるよ あの時の心の色》 「なないろ」

 「二人のももたろう、監督のインタビュー始まったから、こっちに来て見たら?」
サヤカさんに促された僕らはキャッチボールとも言えないボール遊びを楽しんだ後、またテレビの前に戻った。
「すごいねぇ、この雨宮監督って人は、母校が優勝しても、ありがとうございますじゃなくて、宮城、東北のみなさん、おめでとうございますって言えるんだものねぇ。」
「ほんとにね、人柄の良さや愛情深さが伝わってくるスピーチだよ。常にこれまで戦ってきた相手チームのことを労い、野球だけじゃなくて東北に住むすべての人々のことを考えてくれているみたいだものね。こんな監督の元で野球できた育命野球部の部員は幸せだろうね。」
「そう言えば、初戦ではベンチ入りした部員、十八人全員を起用していて、温かみのある監督だなと最初から思っていたよ。」
「どんなに腕のいいピッチャーやバッターがいても、野球っていうのは絶対一人きりじゃできないスポーツだものね。切磋琢磨し合える仲間や相手チームがいてこそ成立するものだから、共に戦ってきた他校の球児たちにも敬意を表した監督はやっぱり立派な人だね。」
全国優勝に導き、こんな風にみんなから尊敬される雨宮先生と出会って話せた自分は幸せ者だと思えたし、雨宮監督を少しでも知っている身として誇らしく思えた。
「百年開くことのなかった扉を開く鍵を持っていたのは雨宮監督だったんだね…。」
「開かずの扉を開く鍵の正体は監督と部員の信頼関係だったのさ。今、ネットで調べたけど、雨宮監督って部員たちからは監督じゃなくて、先生って呼ばれて慕われているそうだよ。野球だけじゃなくて、人情や愛を教えてくれる先生なんだろうね。それから…音楽の先生なんだってさ。おもしろい監督だよね。」
パソコンを開いて検索していた森林組合の中でも若手のおじさんが感心した様子で呟いた。
「甲子園っていうのはさ、野球している人たちからすれば誰もが憧れる聖地なんだろうけど、その聖地に足を踏み入れることのできる球児は限られているでしょ?今年の長沼高校みたいに、あと一歩ってところで行けない球児がいて、甲子園に行けたとしても、負けてしまって悔し涙を流しながら帰ることになる球児がほとんどなんだよ。決勝の舞台に立てるのは実力と運を兼ね備えたたった二校だけで、優勝できるのは当然、たった一校。その一校っていうのは、雨宮監督が仰る通り、すべての球児の思いを背負うことになるんだよね。おごることなく謙虚に、これまで戦ってきた相手チームを称えられる育命はすごいね。私は監督と部員の心意気に感動したよ。」
雨宮先生のスピーチを聞いたサヤカさんはそう言って目に涙を浮かべていた。
「たしかにそうだよな。俺も子どもの頃は野球をやっていて、甲子園に憧れたものだよ。行けるわけないのに、無性に憧れてしまうんだよ。もしかしたら行けるかもしれないって信じて野球を続けてしまうんだ。ほとんどの球児が夢で終わるわけだけども、登米から甲子園に出場して、しかも優勝に導いた二人が輩出されたとなると、夢物語で終わらせることなく、自分もがんばれば甲子園に行けるかもしれないって本気で後に続こうとする子どもたちが増えるかもしれないよな。」
熱心に野球解説をしていた森林組合の頭のおじさんは感慨深そうに言った。それを聞いていた百太朗くんはどこまで理解できたか分からないけれど、
「ぼくもこうしえんにいくよ。だからキャッチボールもしんじることもがんばるよ。」
なんて言って、無邪気に笑っていた。
「そっかー百太朗も甲子園に行くか。菅波先生も甲子園で息子を応援する日が来るかもしれないなぁ。楽しみだなぁ。」
百太朗くんの言葉にみんな笑顔になった。

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 僕も球児の端くれとして、甲子園という夢の舞台に憧れた時期はたしかにあった。でも僕は行き着くことはできないと早々に気づき、野球に挫折し、音楽の道に進んだけれど、それでも野球を嫌いにならずに済んだのは紛れもなく、星汰くんと幸与くんという憧れのバッテリーの存在があったからだ。他者思いで、信頼し合う二人の姿に憧れた。そんな二人の背中を追いかけて、中学時代に同じ野球部で練習できたことは中学時代の宝物だ。

 サヤカさんたちが言うように、甲子園に憧れる球児は多いけれど、その聖地に立てる人は本当にごくわずかの限られた野球少年たちで、甲子園なんて経験できない人たちの方が圧倒的に多い。僕もその一人で、野球は好きでも、甲子園なんて夢のまた夢だった。雨宮先生率いる、育命の選手たちは甲子園に行けなかった球児、行けても破れてしまった球児、すべての球児の熱い思いを担ってくれた。百年以上続く高校野球の歴史の中で、悔しい思いをしたすべての人たちの思いを蔑ろにすることなく、百年分の思いを抱えて戦ってくれた。勝ち負けではなく、その気遣い、心配りに一番感動した。

 僕のお父さんは僕が生まれる前に死んでしまって、会うことも一緒にキャッチボールすることもできなかったけれど、でも光太朗先生と出会えて、キャッチボールの極意は信じることだと教えてくれて、中学生になったら、やっぱりキャッチボールは信頼関係だと教えてくれたかけがえのない二人の野球仲間と出会えて、それから今はこうして百太朗くんという子どもに信じることを教える立場になれた。星汰くんや幸与くんみたいに野球を極められたわけじゃないし、何ひとつこれだと思うものを極められてはいないけれど、それでも僕は自分や出会った人たちを信じて、いろんなことに挑戦しながら、自分なりの人生を歩んで行ければと思っているよ。到底、憧れの二人と同じにはなれないけれど、ポンコツの僕は僕なりの生き方があるから。こんな僕を信じて、やさしい眼差しで見守ってくれる人たちがいるから、がんばれると思うんだ。みんな、桃太郎は桃太郎のままでいいって言ってくれるし。肯定してくれる人たちがいるから、僕は憧れの人たちみたいに、たくましくやさしい人でありたい。

 野球は才能なかったし、音楽も才能あるとは言えないけど、どっちも好きだから、完全に離れることはしないよ。野球ってしぶとく球に食らいつくことだと思うから、野球みたいに何をするにも、しぶとく挑んでみようと思うんだ。吹奏楽(打楽器)は続けるつもりだし、時々百太朗くんや光太朗先生とキャッチボールできたらいいと思っているし。それから医学部に進学することも諦めないよ。僕の学力ではとても難しいけれど、でも自分を信じて、努力し続けてみようと思う。だから勉強も好きとは言えないけど、ちゃんと続けるよ。医者になれたら、アスリートの力にもなれると思うんだ。もしも星汰くんや幸与くんがプロ野球選手になったら、その時は医者の立場から応援できることもあると思うし、同じ道には進めなくても、ずっと憧れの二人と関わっていけたらいいと思ってるんだ。だから僕はがんばるよ。それに米麻みたいに医師不足で困っている地域の人たちを助けたいとも思うし。僕は信じることの大切さを教えてくれた出会ったすべての人たちに恩返しがしたいんだ。光太朗先生、サヤカさん、モネさんのお母さんや、百太朗くん、それに星汰くんや幸与くん、雨宮先生…。根暗な僕と全然違って輝いている太陽みたいな人たちの役に立てる人にいつかはなりたいと思ってるよ。だから、空の上から見守っていてね、幸太郎お父さん…。

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《笑うから 鏡のように 涙がこぼれたよ 一度でも 心の奥が 繋がった気がしたよ 冷えた手が 離れたあとも まだずっと熱い事 見つけたら 鏡のように 見つけてくれた事 あの日 君がいた あの日 君といた 何も言えなかった 忘れたくなかった》 「アリア」

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