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英語帝国主義とはなにか 1

英語帝国主義(English Imperalism)という言葉をご存じだろうか。

言葉時代は知られていなくても、その考え方は生活の奥深くまで浸透している。

英語帝国主義とは

一言で言うと、「英語」と「外国語」を同一視すること、そして「英語こそすべて、優れた言語で、ほかの言葉は劣っている」といった考え方のことだ。あるいは、「英語を話さないものは人ではない」といったような考え方をにじませるようなひとたちのことだ。

英語帝国主義というよりかは、英語中心主義と言っても良いかもしれない。

英語以外にもたくさんの外国語がある

世の中には、たとえば中国語、韓国語、フランス語、スペイン語などの言語がたくさんある。彼らの母語である言語ではない英語という言語を介して話すということは、半ば暴力的でもある。一番の理想は、日本人の前では片言でも日本語で話す努力をして、スペイン人の前では片言でもスペイン語を話すということなのかもしれないが、それはすべての言語においてできることではないし、人間には時間もリソースも寿命も限られていることから、どうしても「役に立つ」言語を勉強したほうが「有益」だということはどうしてもある。たとえば、話者が100万人の言語を流暢に話せても100万人としか話せないが、話者が1億人なら1億人にリーチできる可能性がある。そういったことはどうしても起こりうるのだが、それは理想とは言えない。

日本語を学ぼうとしない外国人を見てどう思うか?

ただ、逆の立場で考えてみてほしいが、とくに日本に長期滞在する外国人が、いっこうに日本語を学ぼうとしないとしたら、良い感情は浮かばないと思う。すこしでもいいから日本語で話してほしいと思うかもしれない。もし、そういったひとが突然倒れて、医療を必要としたら、英語(あるいは彼らの母語)を話すひとを用意してくるというリソースを割くことになる。言語ができないというのは、その時点で不利益を被ることがある。

しかし、その不利益は社会全体にも響き渡るものだ。配偶者に任せれば良いと言われそうだが、配偶者はあなたの専属通訳ではない。本来専属通訳であれば支払われたはずの給料という対価を出さずに、都合よくひとを使っているのは私は嫌な気がする。逆に、片言でも「こんにちは」と言ってくれれば、ああ、このひとは日本社会の一員として生きていくつもりがあるんだなあ、と思えるわけだ。

これは気が向いたときに続きを書こうと思う。今日はここまで。

続き


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