記事一覧
どうにもならないことはどうにもならない
どうにもならないことはどうにもならない。それはそうだ人間は完璧ではないからだどうにかしようと思ってもどうにもならないんだからどうにもならないというただそれだけのことだ。
生きていればどうにもならないことが起こるものでそれを認知して過ごしていくしかない。できないことはできないしないものはない。また失ったものは失ったものでないんだから仕方がない今あるものを活用していくだけだ。
例えば少年漫画の主人
楽しく過ごすかどうかは結局自分次第なのかもしれない
どうも。ダラダラ書いていくよ。結局楽しく過ごすとか豊かに生きるというのは自分次第なんじゃないかとふと思ったので書いていく。
そりゃそうだよね自分がどう過ごしていくかなので。
今は散歩や読書にハマっているのでそれが楽しい。写真撮影もしている。主に道路標識や適当な道路風景や橋、動植物を撮っている。そこからなにを感じるのかということを楽しんでいる。楽しいことって無限にあると思うんだよね。退屈はしてい
1日の終わりが近づくと気分が上がる
どうも。今日はどんな日だったでしょうか。もうすぐ今日が終わろうとしているが午前0時が近づくにつれて気分が上がってくる。もう眠いよという状態とは別の気持ちだ。明日の世界に行く前のひとつの儀式のようなもの。
時間の経過が遅いとか感じることがあったりするだろうが誰もが時間は平等に与えられ1日という単位で日々過ごしていく。
ここで忘れてはいけないのが今日も無事に生きたということ。退屈を感じたりすること
散歩っていつでもできるわけじゃないよね
1日30分だけでも歩くということをするだけでも気分が変わる。騙されたと思ってやってみるといいよ。30分と言わずにもっとやることができるのであればそれに越したことがない。
コスト面も優れている。コストというかそもそもかからない。靴代と現地までの移動費用がかかる場合はそれもかかる。ほとんど0円でやれるといっても過言ではない。
人間はそもそもじっとしていることが難しい。心臓も背中もじっとしているとい
スーパーマリオ3をやっていてあっ人生だと思った
久々に書こう。
最近、ファミコンのスーパーマリオブラザーズ3にハマっている。小さい頃にも何度かやったゲームだ。読者の中にもやったことがある人がいるだろう。
単純にアスレチックなコースや砦コースを突き進み目の前にいる敵キャラを倒すか避けるかしていく。各ワールドの最終地点にコクッパという小ボスがいて倒すと次の国(ワールド)に進むことができる。最終的にはクッパという大ボスがいて倒せばゲームクリアとな
生きることは川か山か
ぼくはよく生きるとはなにかということを考えているが生きることとは地獄の川に入ることだと思っている。だがどの川に入ってもよい。ユルく流れているのか濁流なのか、激しく流れているのかその違いである。
冷たさは大して変わらない。どの川も非常に冷たい。いつか死ぬであろう冷たさがある。だがどの川に入ろうとも冷たさが変わらないのであれば自分に適した川に入っていればいいのだ。
川の選択くらいはできるだろう。必
宇宙人だと思い込みながら生きる
自分を宇宙人だと思いながら生きるのもいいだろう。「フツー」というのがわからないのならそのほうが気が楽になる。
元々人間は全員宇宙人のようなものだ。得体の知れないという点では同義ではないだろうか。
確かに学校では人間のあり方について学ぶことはできるだが大人になれば人間とはなんなのかよくわからなくなることがある。そこで宇宙人という単語を用いることで自我を保つことはできるのではないかと考えた。
宇