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低レベルな「バーベンハイマー騒動」とその対極にある「バービー」という作品の洗練
本来、作品自体とは全く関係のないことなのだが、日米双方で騒ぎとなってしまったので、露払いの意味も含めて「バーベンハイマー騒動」についてまずは触れようと思う。
そもそもは全米における「バービー」とクリストファー・ノーラン監督の最新作「オッペンハイマー」が7月21日に公開日が重なり、この2作が「揃って」大ヒットとなったことからネット上で悪ふざけが人気となったことが始まりだった。少女のおもちゃの代
単なる冒険活劇が、どのようにして「インディアナ・ジョーンズ」という名の冒険物語へと昇華していったのか
すでに伝説と化しているが、1977年の6月にハワイで休暇中だったジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグが共に過ごし、スピルバーグの「007のような映画が作りたい」という思いにルーカスが応える形で「実はこんな企画があってね・・・」と話が進んで…という話は、間違いではないんだけど、スピルバーグが「007のような映画」という言い方をしたのには訳がある。
この頃、007の最新作「私を愛したス
「ウーマン・トーキング 私たちの選択」が観客に突きつけている「選択」とは
自身が過去に性的暴行を受けた経験がある女優サラ・ポーリーが、脚本・監督を務めた「ウーマン・トーキング 私たちの選択」は、鑑賞者の心中にざわめきを生じさせる問題作だが、その明示する問題点とは、レイプや性自認差別、そしてその前提となる男女差別といった、これまでの映画でも散々描かれてきたものだけではなく、実のところ「作品を免罪符のように消化することで何もしない、実際には無関心な大衆」というものに対する
もっとみる圧倒的な映像快感体験をもたらした「スター・ウォーズ」の幸福感をその後の作品が凌駕できない理由
サーガとしては現在のところ全9部作、その他の派生作品を含めると実写、アニメを含む映画、テレビシリーズなど夥しい作品数で世界観が構築されている「スター・ウォーズ」。その中でも映画作品として「どれが最も優れたエピソードか」というテーマは常にファンの間で議論というか、話題になっている。
とはいえ、たいていの場合は代表的意見として「『帝国の逆襲』こそが最高のスター・ウォーズだ」というものと、「いや、
「否定と肯定」の原作本が明確にする「印象に支配される生き方」の危うさ
デボラ・E・リップシュタット教授の著書「否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い」は、2016年のレイチェル・ワイズ主演の映画「否定と肯定」の原作で、書籍の方はもちろんのこと、映画版も多少の脚色を交えながらも、極力真実を伝えようとした素晴らしい作品だった。
劇中では「ホロコーストはなかった」とする歴史家デヴィッド・アーヴィングの主張を、データや証言をもとに次々に突き崩していく様が、ある種の
「行動に伴う責任」と「人間の愚かさ」を問いかけた「イニシェリン島の精霊」
タイトルにある「イニシェリン島」とは、北アイルランドにあるとされる架空の島で、そこに伝わる「精霊」の伝説とは「死を精霊が予告する」というものだそうで、ブレンダン・グリーソン演じるコルムによれば「精霊は人々の死をただ嘲り笑って眺めているだけだ」というものらしい。
というわけで、本作はその島の俯瞰ショットから始まり、画面を覆い尽くしていた霧が晴れていくことで島の様子が見えてくるようになっている。
「アフター・ヤン考察」ロボット工学三原則から考える「ヤンの機能停止」
たしかアイザック・アシモフの科学エッセイで読んだと思うんだけど、「生物の脳細胞」と「機械の電子頭脳」の構造的違いとは、その構成要素の根幹が前者の場合は炭素であり、後者の場合はケイ素だということで、あとは基本的に相違はないから、問題はその処理能力ということになるんだけど、電子頭脳が飛躍的に発展していけば、人間の脳の持つ複雑さをいつかは超えるのではないか、ということなんだそうだ。
このことを知った
「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」が映像で語りかけてくるもの
映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインが長年行ってきた性的暴行の事実を告発した2人のジャーナリストを描いた「SHE SAID シー・セッド その名を暴け」は、その原作でもあるジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーによる著作「その名を暴け: MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い」の単純な映像化ではなかった。
世の中に大きな変化をもたらしたジャーナリストによるスクープを描いた作
「24分の1秒」の違いを極めた「THE FIRST SLAM DUNK」が「THE FIRST」である決定的理由
スポーツ観戦の醍醐味はリアルタイムで進行するドラマであって、それは競技者のレベルが高ければ高いほど「ドラマチックな展開」が発生しやすい。だから各種大会でも予選よりは本選、準決勝、決勝と先へ進むにつれて人気も高くなる。オリンピックに代表されるように世界中でスポーツ観戦が楽しめる時代にあっても、やっぱりテレビ観戦よりも現場での生観戦に勝る迫力はないだろう。
一方で、「歴史的な内容の試合」というもの
2本の「オリエント急行殺人事件」それぞれの存在意義とは
犯罪被害者の気持ちというものは、同じ境遇に立たない限り決して理解できるものではないと思う。長年事件報道に携わってきて、実際に数多くの犯罪被害者の方々と過ごした経験があってさえも、彼らの気持ちというものは「なんとなく察せられる」といった程度の理解しかできないものだ。
それでも当事者にとってみれば、時間と共に感情を共有できるのはマスメディアの人間くらいしかいなくなるらしい。近隣住民や友人たちは近