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青の彷徨 前編

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昭和の末期、全国の医薬品卸は300社ほどあったのが30社ほどに収斂されていった。異常な慣習や滑稽な日常があった。その中を必死に生き抜いた男の姿を描きたい。
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青の彷徨  前編 20

 大分に戻っていつもの生活が続く。五月の母の日に、ノッピは周吾の実家に行こうと言う。何か用でもあるのか、と聞くと母の日だから、と言う。私は、周吾の大事な人は私の大事な人。特別に気を使うの。こんな時しか気を使えないでしょ。だから行こう、と言う。電話もかけないで行くからびっくりさせたが、母も父も喜んでくれた。周吾が埼玉の母には何かしなくていいだろうか、と聞くと、もう送ってあるから心配しないで、と言う。埼玉での話をすると、  「信枝さん、ありがとう、こんな息子を認めてもろうて、あり

青の彷徨  前編 24 (終)

 三月決算も終って四月に入った。周吾は転勤になったことを担当先に伝えた。引継ぎの日程では四月十三日までで終了することになっていた。西谷医院の大送別会、森山医院の送別会、万丈北山病院薬局主催の送別会、大手門クリニックの送別会、万丈支店の送別会と続いて引継ぎも全て終わって、後一日、明日は寮の荷物を積み込んで帰るだけとなった時、万丈支店に電話がかかってきた。  蒼井さん奥様からです、と商品課の浜野玉枝が言ってきた。周吾は何だろう。珍しいな、と思ったが、電話に出た。  「アオ、私、ご

青の彷徨  前編 23

 年末最後の仕事を納めてノッピの元に戻ったのは九時前だった。周吾は毎度のこととはいえ、年末の区切りが就いたことに安堵した。仕事の雑念を払って、ノッピと二人二回目の正月を迎えることができる。嬉しかった。ノッピはご飯も食べずに待っていてくれた。今週は一日しか戻れなかったので、寂しかった。丸二日ノッピに会えなかった。周吾の大好きな鍋をつついてお酒も少し飲んで、一緒に片付けをして、風呂に入って、ソファーに並んで座った。周吾は今現実なのか、と思った。愛しくて、愛しくて堪らない人とこうし

青の彷徨  前編 22

 一連の結婚以来の諸行事が終って、周吾もノッピも通常の仕事に戻り、今日はメーカーの会議後の飲み会で、寮に残ることになった周吾は、遅くなってノッピに電話した。  「どう、変わりない?」  「変わりないわ。明日は戻れるの?」  「明日もメーカーの会議で夜、飲み会がある。明後日金曜日しか戻れない」  「そう、仕方ないわね。今度の土日は休めるの」  「大丈夫だよ。完全休日」  「ねえ、どこか行こうか」  「いいよ。秋深し、二人はどこへ、行く人ぞ、だね」  「ねえ、また国東回らない?」

青の彷徨  前編 21

 二人が露天風呂を出て、家に入ろうとした時、ニッサンローレルが駐車場に入ってきた。  「ノッピ、あれ梅ちゃんだよ。協和製薬の」  「そう、もう一人いるわよ」  梅ちゃんと一緒に降りたのは、大日製薬の今村裕史だった。二人とも福岡だから、乗り合せて来たのだ。  「師匠、おめでとうございます」  今村裕史が走ってきた。  「師匠って誰?」  ノッピが聞く。  「おいその師匠は止めてくれ」  周吾は今村裕史に言う。  「いえ師匠は師匠ですから」  「蒼井さん、おめでとうございます」

青の彷徨  前編 19

 五月二日、二人は埼玉に行った。  ノッピの実家に着いたのは四時頃だった。ノッピのお父さんは、にこやかに迎えてくれた。周吾は、信枝さんと結婚させてください、と言うつもりだった。挨拶もそこそこに、畳の居間に通され二人並んで座ると、周吾はもう一度挨拶しようと思って正座のまま緊張していると、お父さんが、  「信枝、おめでとう。よかったな。よかったな」  と言った。  「ありがとう」  ノッピは、お父さんに答えた。周吾は、自分がなすべきことを思い出して、  「初めまして、蒼井周吾と申

青の彷徨  前編 18

 四月になると、ノッピが岩下病院からいなくなった。引継ぎ中の橋田祐太郎が気づいた。患者が減っている。ノッピは患者に人気があった。塩見太郎、橋田祐太郎、最後に黒田浩太が万丈支店から転出して行った。キョーヤクになって最初の月が終ろうとした頃、前年度の表彰者が決まった。最優秀営業員賞を周吾は受賞した。キョーヤクとして初めて全社表彰となって合同表彰である。京町薬品から一人、宮崎、熊本、鹿児島、沖縄から、それぞれ一人受賞した。      他は、キョーヤク医療器、キョーヤクヘルスケア、キ

青の彷徨  前編 17

 塩見太郎の延びた結婚式も終り、二月になった。 京町薬品万丈支店は交通安全宣言事業所として、毎朝、朝礼時に、無事故無違反三九十日と声を出して安全運転を確認する。その記録が、三九九日となった。全事業所初の四百日超え目前である。  二月十日金曜日の朝、本社から大鶴管理部長が来た。彼は内勤で債権絡みの地味な仕事の受け持ちだが、交通安全に関しては県下を取り仕切っていた。とにかく交通安全の神様である。車の中を徹底してきれいにすること。週末には洗車すること。雨であろうと、台風であろ

青の彷徨  前編 16

 一月も中頃の朝、橋田祐太郎が訝しげな顔をして電話を置いた。周吾は、そんな顔の橋田に声をかけた。  「橋田どうかしたのか」  「アオさん、不思議です。今商品課から電話があって、野崎医院から注文がきました。配送は行った事がないので、最初は営業員持参でお願いします、って」  「そうか、持って行けよ。心配することはない。行ったら院長にお礼を言うだけでいい。何かあったら向うが言うだろうし、橋田に会わないかもしれない。昔取引があったところだから、回収はこうこうでとか、細かい事は言うべき

青の彷徨  前編 15

 年末の慌しさが過ぎていく。天皇陛下重体報道によって、幾分控え目なような、そうでもないような忘年会がついに終った。周吾の担当する殆どの得意先は忘年会をする。それに隈なく誘いを受ける。しないのは中根医院。中根医院は、今年は、それどころじゃないから、どっちにしても関係ない。毎年恒例の行事を消化していかねばならない。  西谷医院、西岡内科、森山医院、大川医院、大手門クリニックと、周吾も忘年会を消化してきた。この中で、企画、運営、司会までするところが西谷医院。京町薬品の担当事業になっ

青の彷徨  前編 14

 周吾は、十二月二六日に、中根医院の棚卸を済ませ、二八日には、会社のコンピューターのLANPLANに入力、棚卸表を完成させ、中根医院に届けた。いつも訪問する時間だったが、先生は不在だった。  空白の時間ができた。このあと森山医院へ行くが、かなり早い。周吾は野崎医院へ行ってみようと思った。中根先生と何度か一緒に行った。市内で一番遠く、取引のないところ。取引を開始させよう、なんて気は全くない。自分に暇ができたからだ。   野崎医院に着くと、周吾は手ぶらで入って行く。仕事で来たので

青の彷徨  前編 13

 周吾はその後、すっかりノッピにのめり込んでいた。週末は必ず一緒に過ごした。  十二月二四日イブの日は土曜日だった。ノッピから、この日はエスケープしようと誘われていた。  周吾は金曜日の夜、仕事を終えて、大分の上野の山に行く。ノッピのマンションだ。九時前に着いた。  「アオ。何か食べてきた?」  「食べてない」  「そう。じゃ、先にお風呂入って。用意しとくから」  ノッピは薄いピンクのワンピースに、濃いピンクのエプロンをしている。エプロン姿は初めてじゃないが、つい目を奪われる

青の彷徨  前編 12

 森山医院に着くと、森山先生は玄関で待っていた。早速居間に通される。  「蒼井さん、中根君から電話もらってね、休業するって、咽喉癌らしい。胸から上もわかるのか、って言ったんだが、医大で見てもらった後で、間違いないらしい。大変だ。患者さんを何人も頼まれた。放射線専門は二人だけだし、あれの頼みは受けるしかない。それで、学術のほうが厄介だよ。今まで全く関知していなかったから。教えて下さい。蒼井さんに聞けば大丈夫としか言わないんだよ」  周吾は、今まで中根先生が担当してきた、万丈医師

青の彷徨  前編 11

 十一月下旬、周吾は中根先生に、突然驚愕の宣言をされた。年内で休業すると言う。理由は、個人的所見だが、という前置きで、  「咽喉にしこりがあって痛い、二~三日前から気がついたが、痛みが収まらない。自分でX線を取った。咽喉の専門ではないが、間違いなく癌だ。急いで調べて、どうなるかわからないが、治療を受ける側にならないといけない。月に一度は来られる患者さんがいるから、年内は休めないが、時々臨時休診にして、医大で検査を受けるから。その積もりで頼む」  「復帰はいつですか」  「わか