見出し画像

vol.26 ゴールズワージー「林檎の樹」を読んで(法村里絵訳)

これもノーベル文学賞作家(1932年度)

1916年に発表されたこの作品、「永遠のラブストーリー」と新潮文庫のカバーにある。

カバー文の引用

「徒歩旅行の途中、果樹園のある農場に宿を求めたロンドンの学生アシャースト。彼はそこに暮らす可憐な少女、ミーガンに心を奪われる。月の夜、白い花を咲かせる林檎の樹の下でお互いの愛を確かめ合った二人は、結婚の約束をする。だが旅立ちの準備で街に出たアシャーストを待っていた運命はーーー。自然の美と神秘、恋の陶酔と歓び、そして青春の残酷さが流麗な文章で綴られる永遠のラブストーリー」(引用おわり)

このアシャーストという男、自分の選択に言い訳ばかりしている嫌な奴だと思った。だいたい、女性の美しさや優しさを思い描く時、美しい花や小鳥のさえずりや月明かりに例える男は、どうも嘘っぽい。

ミーガンは、「神様、どうぞわたしたち家族とアシャースト様をお護りください」「おそばにいたい。ただそれだけです」という。彼女のこの純粋で可憐な美しさに惹かれたアシャーストは、先のことを深く考えずに駆け落ち、結婚を申し入れていると思った。若さゆえの衝動が、結果的にひとりの少女の人生を奪ってしまった。

アシャーストという男を考えてみる。

アシャーストはステラに言う。「ぼくの見るかぎり、正統派と言われる宗教の裏には、常に報酬の概念がある。正しく生きる代わりに、何が得られるか?そう、つまり一種の見返りを求めているわけだ(p113)」

この男、ミーガンが神様にアジャーストのことを祈っているのは、何かの見返りを期待しているというのか。

また、友人の三姉妹に出会って、「金色の髪をした三つの頭。青色のやさしい目をした色白の顔。アシャーストの手を握りしめた細い手。彼の名を呼ぶ生きいきとした声。『正しく生きることは大切だと信じているのね?』そう、それに清らかで落ち着いた、汚れひとつない神聖とも言える雰囲気のようなもの・・・塀に囲まれた古い英国式庭園だ(p119)」
この男、林檎の樹の下でミーガンと会った時、「咲く花や新緑のなかに、小川の流れの中に、甘やかな絶え間ない探求のなかに、・・・運命が彼女をこの腕に抱かせた(p73)」と思っている。

そして2、3日後には友人の妹を「白い服の天使のような乙女」と感じている。しかも、そんな自分の気持ちに言い訳ばかりしている。

漱石作品によく出てくる言い訳をしながら生きているどうしょうもない男と同じだと思った。「こころ」の「先生」と同じだ。いや「先生」よりひどい。漱石は「こころ」で、友人を裏切った自責の念で「先生」の命を断たせている。

ゴールズワージーは、自然の中で咲く美しい17歳の少女ミーガンの人生を奪った男が、整えられた英国式庭園のバラのようなステラと結婚して、少なくとも26年間は幸せな人生を送ったと描いている。これが歯がゆい。しかもミーガンの願い「林檎の樹の下に埋めて」も叶わず、十字路の道端に「乙女の墓」として埋められている。

これはどういうことなんだろう。結果的に洗練されたステラを選んだことが正しい選択だったということになっている。

新潮文庫の解説に、「もしアシャーストがミーガンと結びついたとしても、果たしてそこに幸福が訪れることになっただろうか?都会の青年と田舎の少女の結婚生活は、やがて現実の中で様々な障害にぶつかるであろうことは想像に難くない。そうかといって、近代的な教養を持つ、美しい妻ステラといえども、・・・満足させてくれないのである。結局、人間という有機体は人生にそぐわないようにできている」

いやいやいや、純粋な僕はそうは思いたくない。これじゃぁミーガンが浮かばれない。せめて、ミーガンの死が自害でなかったことを祈る。

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?