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日々の泡沫

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ささやかな日常の雑感、備忘録
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【エッセイ】健康曼荼羅

【エッセイ】健康曼荼羅

 いつも自分の体調を気にかけているわけではないけれど、体調不良に陥ると、何が良くないのかと考える。もう若くはないのだから、なかなか快食・快眠・快便とはいかない。それどころか、肩・腰・目・胃腸・そして心……いつもどこかが故障しているような。だから、自ずと体調を気にかけることになる。いや、わかってる、深酒のせいだ、それと睡眠不足、さらには仕事のストレス……あとは、食べすぎかな、それに運動不足?

 若

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【エッセイ】駅前の本屋が閉店したと思ったら、新規開店していた件

【エッセイ】駅前の本屋が閉店したと思ったら、新規開店していた件

 年末に駅前の行きつけの書店を訪れたところ、立て札が出ていた。

 あー、地元で40年以上も営業してきたこの本屋さんもとうとう閉業か、時の流れだなあ。ずいぶんと寂しくなる。大型店ではなかったけれど、文学、歴史、人文科学の新刊が充実していて、とても品揃えの良い書店だったのに。……面白そうな本を見つけては、タイトルを暗記して図書館で借りたりしたものだ。あ、いや、でもそれは高額な新刊の場合で、文庫や新書

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【エッセイ】看板に偽りあり

【エッセイ】看板に偽りあり

 うかつなことに、カモシカは鹿の仲間でなく、牛科であると知らずに生きてきました。

 そこで思い出されたのが、上野動物園のタテガミオオカミです。「オオカミではありません」と、大きく看板に書かれていました。ちなみに、うなじの毛も黒くて逆立ってるけど、タテガミと言うほどでもないような。動物界の二重に「看板に偽りあり」動物として、貴重な存在なのかもしれませんね。

 いや、あんた、タテガミもなく、オオカ

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【エッセイ】そして、カレーうどんに至る

【エッセイ】そして、カレーうどんに至る

 カレーライスが好き、そしてうどんもまあ好き。だからといって、カレーうどんが大好きだとならないのは何故なのか。カレーにはやはり飯が合う、なんてこだわりもないようなものだが。

 一体、カレーうどんを最後に食べたのはいつのことだろう。

 関西のうどん文化で育ったものだから、東京で評判の蕎麦屋に入って値段に驚かされたことがある。ひょっとしてもはや大衆料理ではない? 高いばかりで若い胃袋には全然物足り

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【掌編】赤鬼/青鬼

【掌編】赤鬼/青鬼

 郊外で暮らしていると、朝は上りの電車が混み、夜は下りの電車が混む。逆に言うと、朝は下りが空き、夜は上りが空くことになる。

 だから都心へ通うナイトシフトなら、行きも帰りも座って通勤できる。

 改札が一階にあって、ホームが二階にある高架線の駅の階段を上っていると、血相を変えた駅員が駆け下りてきてぶつかりそうになる。

 駅員が上でこちらが下、突き飛ばされたら、階段を転げ落ちて大怪我をするところ

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【エッセイ】シラフの日々

【エッセイ】シラフの日々

 現場での夜勤を終えて、オフィスに戻る。始発までぽつねんと待っている時間がもったいないから、健康のために隣の駅まで歩く。

 午前四時四十分、ようやくシャッターが開いて、エスカレーターを使わず階段を歩いて深い深い地下へと下りてゆく。まだ誰もいない地下鉄の駅の肘掛けの付いたベンチに腰かけると、思いもよらず座り心地が良く、清涼な風が吹いてきて、睡眠不足と疲れもあってうつらうつらしていたら、どういうわけ

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【エッセイ】絶滅仕事図鑑

 近い将来、自分の仕事はAIに奪われるのではないのだろうか……そんな不安を抱いてもどうしようもない。何年後かには確実にそうなる。そのときのために備えておく。

 なんて考えると、一見ポジティブなようだけど、では具体的にどう備えるのかとなると、何の知恵も浮かばない。

 そうなると、人はちょっとばかし後ろ向きになるものらしい。どんな仕事が生き残るだろうかと頭を働かせるよりも、そういえば、一昔前、いや

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【掌編】カラスとハーモニカ

【掌編】カラスとハーモニカ

 緑地の川沿いの遊歩道を散歩していると、どこからともなくハーモニカの旋律が聞こえてくる。初めは、ラジオからでも流れてきたのかと思った。台風一過の土曜日の昼下がり。

 勇ましい行進曲のようだった。それがハーモニカの哀愁を帯びた音色で奏でられると、聞き覚えはないけれど、どこか懐かしさに似た感覚に捉えられる。どこから聞こえてくるのだろう、ランナーや家族連れの邪魔にならないように立ち停まって、しばし耳を

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【掌編】未明の蕎麦屋にて

【掌編】未明の蕎麦屋にて

 仕事が夜勤であるから、始発電車を待つ間に飯を食う機会が少なくない。あちこちの現場へ行っても、定番のチェーン店ばかりなので、非常事態宣言時のことを思い返すと深夜・早朝に営業しているだけでありがたいけれど、どうしても飽きてしまう。

 だからというわけでもないが、最近は始発までの時間、一駅か二駅分ぐらいなら歩くことにしている。するとすこぶる体調が良いのである。

 ところが、初めて下車したその町のガ

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熱に浮かされて

熱に浮かされて

 ここ数年、年末年始になると決まって体調を崩すのは、気の緩みからではないのか。今年も一年、無病息災で過ごすことができ、晴れ晴れと正月を迎えられそうだ、そんな油断があるのかもしれぬ。その上、時節柄大っぴらにはできぬが、大勢で集まり大酒を呑んで(それも一度ならず)、免疫力がガクンと落ちた可能性もある。

 年の瀬、昼近くに目覚めて、猛烈な頭痛に自己嫌悪に陥る、また二日酔いかと。うんうんうなされながら、

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【エッセイ】禿頭考

【エッセイ】禿頭考

 ある朝、ひどく気がかりな夢から覚めて洗面所で鏡を見ると、あろうことか頭髪がすっかり抜け落ちている、そんな夢を見た。思わず洗面所へ駆け込んで確かめずにいられないほどリアルな夢だった。

 精神分析学なら、どんな風に解釈するだろうか。どう考えたってフロイトの唱えるエディプス・コンプレックスだとか、ユングの唱える元型などではこの夢は説明できない。とはいえ、どうやら私の無意識の領域に深く関わっているらし

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【短編】ふたりの映画監督 

【短編】ふたりの映画監督 

映画について

 子どもの頃から飽きるほど映画を観ている。それでも、飽きないのは何故だろうか。実はもうウンザリしているのに、本人が気づいていないということなどあり得るだろうか。気づいてないのではなく、そのつどすでに忘れているだけなのかもしれない。

 別に映画だけの話ではなくて、ある外国文学のアンソロジーにキャリア何十年の翻訳者が後書きを寄せて、小説に心をかき乱され、目眩や動悸を感じることにいつま

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【エッセイ】心配事のほとんどは起こらなかったのか?

【エッセイ】心配事のほとんどは起こらなかったのか?

 ふと、たしかマーク・トウェインに「心配事のほとんどは起こらなかった」というような言葉があったはずだが、と検索してみると、『心配事の9割は起こらない』という本がヒットした。もちろん、作者はマーク・トウェインではない。

 その本の著者は禅僧にして大学教授、庭園デザイナーという方で、『減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』という副題から、ジャンル的には自己啓発本に入るかと思われる。売る方は「減らす、手

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真夜中のアリクイ

真夜中のアリクイ

 夜勤明けの仕事帰り、コンビニで缶ビールと柿ピーを買って未明の住宅地を歩いていると、不意にケモノが目の前を悠々と横切った。ある家のガレージから一方通行の道路を渡って、反対側の家の庭へ。
 犬猫ではない。タヌキでも、ハクビシンでもないようだ。近所の空き家の荒れ果てた庭にタヌキのつがいが住み着いて、角から頭だけだして、仲良くこちらをうかがっているのに出くわしたのは、10年も昔になるか。しかし、もうこの

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