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齋藤美衣
2020年12月1日 16:44
突き飛ばしてから、へたへたとそこに座り込んだ。手指の先がしびれていた。ナルミは突き飛ばされて、クローゼットの奥に横たわっている。目は開いているが、何も言わない。泣きもしていない。ゆっくり体を起こして、膝を抱えて座った。横に人の気配がして、目を上げるとそこにはあの子が立っていた。「一番バカなのは誰か、まだわかっていないの?あなたたちみんなバカだって、わかってないの?JDAから
2020年11月16日 09:01
正人はいつになく少し軽い足取りで、家路についた。玄関を開けると、1階の灯はついていない。空気がすこし冷えている。もう10時近いというのに、ケイコはまだ帰っていないのか。忌々しく思うが、先ほどのアイディアに気をよくしていたので、それについてはまた今度考えようと思う。きっと俺はすこし働き過ぎで疲れているんだ。2階への階段をゆっくり上がる。途中小さな踊り場があって、ちょうど17段。13
2020年11月9日 11:36
玄関の扉を開けると、むっと油の匂いがした。ダンス着袋を置いて靴を脱ぎかけたときに、スリッパのぱたぱたと言う音がこちらに近づいてきた。「おかえり。少し早かったんじゃない。夕ご飯とんかつだからね。早く手を洗ってらっしゃい」お母さんはそれだけ一息に言い終わると、菜箸を持ったエプロン姿でまた台所に引き返して行った。このところ家の中が明るい。自分の心も動いている感じがする。これまでは違って
2020年11月3日 08:35
足が触れる床の感触。床はグレイのリノリウムで、ステップを踏んでシューズのつま先が触れるときゅっとこすれた音がする。回転を続けた後に、体の軸を保ったまま静止する。天から一本の糸が垂れているように、腕を伸ばし、体も足も伸ばして最後のポーズを決めた。なんて気分がいいのだろう、とミサトは思う。G学舎のAクラスで席次は4番目。今月からトップ5に入ったので、特待生扱いになって母親が狂喜した。
2020年10月31日 08:55
正人の会社では、午後7時半になるとフロアの電気が消される。ノー残業の取り組みの一環だが、「特別研修室」だけは9時まで電気の使用が認められていた。この部屋は、昨年の暮れにそれまで会議室だった部屋を改装して作られた。80㎡ほどの広い部屋で、一面はすべて鏡になっている。その向かいの壁には横にずっと長いバーが取り付けられていた。正人は、ひとりその部屋の真ん中に座り込んでいた。ダンス着ではなく
2020年10月30日 07:43
野中アサミは、軽いため息をついた。やっと家に着いた。ワンルームの2階の部屋。スチール製の扉がガタン、と音を立てて閉まり、ほとんど何も考えずに2箇所のロックとチェーンをかけた。右手に持っていたショルダーバッグと、左手に下げていたコンビニのビニール袋を、ピスタチオ色の毛足の長いラグの上にやや乱暴におろした。備え付けの小さなキッチンのシンクに一つだけ残っていたグラスを軽くすすぎ、水道の水を
2020年10月29日 07:38
翌朝ナルミが教室に入った時には、変わったことは何もないように見えた。まだクラス内には登校している生徒は半数くらいで、みんな3,4人のグループでおしゃべりをしたり、ふざけあっている。いつもの光景だった。声を出した方が正しいのか、黙っていた方が正しいのかわからない。前はこんなことはなかった。いつでも、その場で何をすればよいのかちゃんとわかった。それをするのが上手なのも、自分でわかっていた。
2020年10月25日 14:16
2020年11月、日本の文部科学省は、あたらしい学習指導要領を発表した。その発表は、社会に大きな動揺をもたらした。なぜなら、「従来の、国語、算数、理科、社会、音楽、体育などの教科はすべて廃止して、教育の中心にダンスを置く」というものだったからだ。これまでも学習指導要領には「生きる力を育む」ということがうたわれ、その根幹にはコミュニケーション能力を育てるために、国語で「読む、書く、聞く
2020年10月26日 07:50
5月の連休明けの朝、教室は凍り付いた。「ちょっと、わたしのものに触んないでくれる!」というミサトの鋭い声が響いたのだ。肩をびくっと振るわせて動きを止めたのは、あのナルミだった。この4月、クラス替えのないままに4年2組から5年2組になって以来、教室の勢力分布図が急速にその形を変えているのには、誰もがうすうす気が付いていた。しかし、この出来事は決定的だった。ナルミは、唇をかすかにふ
2020年10月28日 07:41
ナルミは気が付いたら教室を飛び出して、上履きのまま校庭に出ていた。頭上でチャイムの音が響いている。もう3時間目がはじまる。「次は創作ダンス、か」ため息とともにつぶやいて、戻らなくてはいけないとは思う。思うものの、足がもう思うように動かない。頭ではくるっと方向を変えてすぐに教室に戻らなくては、と思う。しかしそんなナルミの気持ちを無視するかのように、両足は上履きのまま校庭の乾いた砂をず