きこりーぬ

はじめまして。壮絶な離婚、シングルマザー、うつ病、膠原病を経てやっと動き出せるようにな…

きこりーぬ

はじめまして。壮絶な離婚、シングルマザー、うつ病、膠原病を経てやっと動き出せるようになりました。長い地下潜りでした。 50代!現在の生活保護のどん底人生から今からの人生大逆転に向けてここに綴っていきたいと思います。読んでくださりありがとうございます🙏

最近の記事

じれったい道のりですが…

資格を2つ取りました。 でもこれは本当にやりたいことを実現する為のほんの些細な支えになってくれるかもわからない微妙なもの。 時間もかかる。 次はまず現実的な資格を取り、暮らしを背負っていきたいと思います。 まだまだ先は霧の中。 焦りばかりが募る無謀な50代半ば。 最近は更年期の症状なのか膠原病の症状なのか、はたまたまだまだ続く向精神薬の離脱症状なのかわからない不調が何かと出ております。 市営住宅への引っ越しは言われていたより早く入居できることが決まりました! パートと

    • 引っ越しまで落ち着きませんが…

      当選していた市営住宅への入居許可がおりて、引っ越しできることは決定しましたが、実際いつ入居になるかはまだ未定。いちばん早ければ6月、大体7月か8月あたりが妥当なところな感じです。 それまでは何とか今のパートを続けながら引っ越し準備をしていこうと思います。 上の子がこの4月から社会人になり、寮に入りました。 先月までは我が子を家から送り出すことが寂しくて気持ちは落ち込んでいました。 居てくれるだけで明るかった子がこの家から居なくなる、と思うと涙が溢れてしまう毎日でした。

      • 睡眠薬マイスリー断薬について③

        またまた前回から少し日にちが空いてしまいました。 睡眠薬マイスリー断薬について②の続きです。 一気断薬を続行し、全く眠れず一睡もできないまま朝を迎える日が2日ほど続き3日目にようやく数時間寝れる、というような日々が2、3ヶ月ありました。 そしてその間、薬を絶ってから約1ヶ月後くらいに始まったのものがありました。 それは頭の中が何にもわからなくなると言ったら良いのか… 言葉にするのがとても難しいのですが、具体的にはまずは時間の組み立てみたいなものが全く出来なくなりました。

        • 睡眠薬マイスリー断薬について②

          少し日にちが空いてしまいましたが、 前回の続きです。 よろしくお願いします🙇‍♀️ 睡眠薬がとうとう手元に1錠も無くなり、ここを断薬の スタートと覚悟を決めて頑張ることにしました。 15年程飲んでいたマイスリー。 睡眠は完全に薬に頼り切っていて普通の自然な入眠の仕方なんて忘れていました。 薬無しで眠れるこの世の大多数の人に対して憧れを持つほどでした。 断薬はかなり壮絶でした。 まず最初の2ヶ月は全く眠気が来ず、一睡もできないまま徹夜で朝を迎える日が2日ほど続き、3日目

        じれったい道のりですが…

          睡眠薬マイスリー断薬について①

          私は2008年頃から2023年まで約15年ほど睡眠薬のマイスリー10mgを服用していました。 最初の数年間は1錠飲むと20〜30分ほどで眠気がきて気絶するように眠っていました。 若い頃から不眠気味の私は、薬を飲めば簡単に眠れてしまうラクさに薬を飲んで寝ることが当たり前になっていきました。 最初は健診で行った内科でたまたま「眠れない」と言ったことでマイスリーを処方されました。 その当時血圧が高めだった為、薬を飲むことになり、 毎月の通院になり月一で降圧剤と一緒に睡眠薬をもらっ

          睡眠薬マイスリー断薬について①

          痛みで顔つきが変わった気がする。

          2021年秋にシェーグレン症候群、舌痛症と診断されてから 2年強。私は耳下腺からの唾液分泌がとても少なく、口内は常に渇いていて、サラサラの唾液が出ないから常にネバネバヌルヌルしているという不快感いっぱいの口になっている。 そこに舌痛症、遅発性ジスキネジアが加わっていて口内環境は最悪。 常に、本当に四六時中、一時もラクになることはなく、口の症状がつきまとっている。 痛みに関しては強弱があってあまり感じない時もある。 基本的に舌は痺れていてピリピリ痛いが、比較的痛みを感じず過

          痛みで顔つきが変わった気がする。

          ちょっと心が閉じてるな。

          今のパート先に年齢は今のところ不詳ですが、かなり高齢のパートさんがいます。 先日、早朝に、締め切りぎりぎりの検便を出しに事務所に行くとその方が出勤時間にはまだかなりあるのに事務所の掃除をしていらっしゃいました。 事務所と店舗は少し離れているしタイムカードを押すのは店舗に行ってからなので時給は発生しません。 でも明るくチャキチャキと掃除されている姿を見て、 久しぶりに感嘆し心からの拍手をしたくなりました。 私はと言えば、出勤時間よりせいぜい10分前に職場に到着。なるべく時

          ちょっと心が閉じてるな。

          向精神薬について②

          私は向精神薬をたくさん飲んでいた。 最初の数年間はあまり覚えていないのだが、いつからか子供達との会話が噛み合わなくなる事が出てきた。 今日子供達と話してたことを昨日話した、と思うようなことも頻繁に起こり、いつも子供に指摘された。 細かくそんなことが続き、決定的に「これはホントに ヤバい」と思ったのは朝歯磨きをしたかが分からなくなった時だった。 ほんの数分前または数時間前の事のはずなのに歯磨きをしたかどうかが分からなくなってしまい、本当に焦った。食事の内容を忘れることはしょっ

          向精神薬について②

          向精神薬について

          2016年〜2023年までの7年間、抗うつ剤、抗不安薬を 数種類飲んできた。 睡眠薬にいたっては約15年近く飲んできた。 最初に心療内科に飛び込んだ2016年、それまでも辛い結婚生活で離婚を考えざるを得ない年月が続き、体のあちこちが次から次へと悲鳴をあげていたけれど、原因は分かっているのだからと薬の力を借りようとは思わなかった。 でもとうとう過呼吸や動悸、メンタル面でもう無理、となって心療内科へ駆け込んだ。 その時の診断名は「心因反応」 うつ病ではなかった。 そこからは

          向精神薬について

          打たれ弱い自分

          うつ病に倒れて難病になって苦しかった5年、 そこから這い出してきた自分は以前よりは随分と強くなった気がしていた。 それまでの自分はきっと他人軸で生きていて皆んなに良い顔をする八方美人だった。 ヘタレでポンコツな私には、モラハラ離婚、シングルマザー、生活困窮など厳しすぎる人生の試練に耐えられる強さは無かった。 離婚で子供達を犠牲にした罪悪感。 うつ病で何も出来ず子供達に負担を強いる罪悪感。 それらにも本当に苦しんだ。 そして膠原病という難病になった。 このことで私の人生は転

          打たれ弱い自分

          人生ここから、これから。

          すみません。2月9日に投稿した内容を間違って削除して しまいました。 このnoteは私にとってその時々の素直な気持ちを残す大事な日記のような記録でもあるので再投稿させていただきます🙏 スキをくださった方、写真を使用させていただいたクリエイター様、申し訳ございませんでした(泣) 気圧の変動のせいか、倦怠感、頭痛、不安感、緊張感や気持ちの落ち込みあり。 娘との口喧嘩にも相当なダメージを受けて、久しぶりに何もかも嫌になる。 もう何もしない、するもんかと決めて、びっくりする程早い

          人生ここから、これから。

          脳疲労?

          最近色々な課題、問題が重なってかなりしんどい。 考えることも多く、細かい用事も無くなることがない。 家から近かったり、シフトが緩めということで まずは復帰一歩目と始めたパートも職場環境や仕事内容はハードだし、色々気を遣うことも多く、ここにきて かなり疲れが出てきている感じがする。 頭がぼーっとして銀行のATMでお金を下ろしたのに取り忘れたり、通帳を忘れたり、コンビニではお釣りを取らずにスタコラサッサと店内から出ようとして店員さんに大声で呼ばれた。  なんせ集中力が無い。

          春なんて来てほしくなかった

          長いうつ病の期間、まだ1番心がラクな季節は冬でした。 シンシンと冷たい空気、皆んなが黒い分厚いコートを着込んで冬籠りしているような世界は暗く塞いだ心には薄い安堵感があった。真冬の寒い日はホッとした。 春を待ち侘びるニュースや声が辛かった。 ずっと冬でいい、と思っていた。 「春よ、来ないで」 そう願っていた。 春は草木も芽吹いて、桜が咲いて皆んなが心湧き立って、 あちこちで新しいスタートがあり、希望に満ちた季節。 そんな明るいイメージが自分を苦しめた。 元々、春は得意では

          春なんて来てほしくなかった

          友人との再会。

          友人に会った。まだ離婚以前の家のご近所さんで子供同士 学年は違ったけれど同じ小学校。 久しぶりの再会にお互い積もる話しがたくさんで何時間も 話し続けた。泣いたり笑ったり。 彼女に「最初に会った頃の〇〇ちゃんの明るさに戻ってる」と言ってもらえた。 そう、こんなふうに憑き物が落ちたようにありのままの自分で友人と語れるのはいつぶりだろうか… 10年位は苦しい気持ちだけを抱えて表面だけで笑顔を作っていたと思う。 これからの生活の不安はある。 経済的にとんでもない不安がある。

          友人との再会。

          人生後半は自分を生きる。

          気圧の変動のせいか、倦怠感、頭痛、不安感、緊張感や気持ちの落ち込みあり。 娘との口喧嘩にも相当なダメージを受けて、久しぶりに何もかも嫌になる。 もう何もしない、するもんかと決めて、びっくりする程早い時間に布団に入り、Netflixでドラマを観る。 そんな昨夜を過ごし、今夜もまた体調不良で早く横になる。 うつ病から復活し、どん底人生からの復活を目指し勢い勇んでみても、生きていればやはり誰でもどよ〜んと落ちる日はあるものですよね。 落ちかけると「まさかまたあの鬱の闇に戻るのか

          人生後半は自分を生きる。

          うつ病の時に言われた言葉

          「うつ病だって働いている人はいるよ」 「働いている身からすればうつ病を理由に休めて 良いなぁって思う」 過去に知人から言われた言葉です。 言った人達は善良な優しい人達です。 私もその人達が発言した気持ちがわからないわけではありません。 多分私も自分がうつ病になっていなかったら同じように思っていたのではないかと思います。 でも自分が鬱のどん底にいてその言葉を聞いた時は 何とも言えぬ悲しみと怒り、絶望感のような気持ちが込み上げてきました。 うつ病でも働いている人はいる

          うつ病の時に言われた言葉