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文芸・エンタメ・創作論考

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文学、物語、エンタメ、創作全般について考えたこと。
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【物語論】自分をかばわずに書けるか。

創作物には、作者の人間性がにじみ出る部分があるものです。 キャラクター造形にも個々のエピソードにも、作者の実体験・実生活からの影響がどうしても出てしまいますから。 となれば、およそ世間から非難・嘲笑を浴びるようなキャラクターや思想を書く時、どうしても「私は本当はこんな人間じゃないんだよ」という主張を作品の中に織り込みたくなってしまうのが作者の性と思います。 私自身、小説は元より、noteの記事にさえ「言い訳」を書きたくなります。 文章を書きながらこんな葛藤を抱いた経験は

ChatGPTと文芸に関する雑感。

最近になってChatGPTなるものがすごいという話を知り、さっそく使ってみました。 色々できるようですが文芸好きの私としてはやはり、 「AIにオリジナル小説を書かせられる」 ここが一番の注目点です。 ■ChatGPTって何なの?私がつらつら書くよりもググっていただいたほうが早いのですが、せっかくなので「ChatGPTでどんなことができるか簡潔に教えて。」とChatGPTに頼んでみました。 だそうです。 理路整然ときちんとした文章で返答してくれますね。これはこれは……

【物語論】題名で五十点減点!?

若林明良さんの以下の記事に触発されて、作品のタイトルについて私見を書きます。 ※なお、本記事で扱うのは「紙媒体あるいは電子媒体で書籍として出版されうる散文の文学」に限定します。 私も若林さん同様、五十点減点には驚きました。 私の実体験として、内容に満足したが後でタイトルを振り返って幻滅した、ということありません。市場に出回っている書籍はそれだけタイトルが練られている証拠でしょうか。 宮本輝氏の口ぶりからすると、タイトルそのものが気に入らないのではなく内容との不一致・不調和

物語はこのためにある。

■グッド・ウィル・ハンティング/バカの壁 物語ってやつはすごい力を持っているなあ、と再認識させられました。 いい映画を観ました。 『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』です。 孤児という出自を持ち、定職にも就かず、不良仲間と喧嘩やナンパに明け暮れる青年・ウィル。 しかし、ウィルはただ者ではなかった。 まともな教育は受けていないにも関わらず頭脳明晰、あらゆる書物を読破してその内容を記憶している。弁論にも長けて相手をけむに巻くのはお手のもの。数学に関しては著名な専門家を上

文学は音読されても文学たりうるか。

JISAIONE 様の記事で VOICEVOX なるツールを知ったので私もさっそく使ってみました。 ボカロはだいぶハードルが高そうで手が出せないでいましたが、これはいくぶん簡単に喋らせることができるよう。 二時間ほどいじった後に作ってみたのが以下の音声です。詩の朗読になってます。 VOICEVOX:冥鳴ひまり 無調整でいけた箇所もありましたが、やはり自然な印象に近づけようとするとそれなりに手間がかかりますね。 短い詩の朗読くらいならまだしも、小説など長文の朗読はきつそう

【物語論】ネガティブはウケない。

――ネガティブ(消極的・否定的)に終始する創作物はウケない。 何かしら創作に打ち込む人は一度くらい耳にした文言でしょう。 悲劇のヒロインは嫌われるとか、金もらって読者を嫌な気分にさせてどうするとか。 wiki情報ではありますが、作家の角田光代さんは、 ということがあったそうです。 やはりプロの世界でも同じことを言われるらしい。 ポジティブな内容のほうが後味が良いのは間違いありません。ただ、印象への作用がどうということよりも、ポジティブが持つ「共感を得やすい」という利点こ

【創作論】ロジックか、エモーションか。

私、ここ一二か月でいくつかエッセイを投稿したのですが、思いの外スキが付きやすくて喜んでいます。 クリエイターページの紹介文に 《私の人となりが見えてくるnoteを目指します》 と書いているくらいですから、noteを始めた時から自分の主張や考えを書く意志はありました。 そして実際に書いたものが以下の記事です。 いずれも、私がエッセイと銘打った記事を投稿し始める前のもので、本記事の投稿日時点でスキはひとつもありません。 ほかにもスキがゼロの記事はありますが、ドラマ感想や創

【創作論】エンタメは啓発でも啓蒙でもない。

桑本 大成【キャリアと読書】氏の記事を読みました。 養老孟司氏と宮崎駿氏の共著『虫眼とアニ眼』に関する内容です。 この中で、 「『うちの子どもはトトロが大好きで、もう100回くらい見てます』なんて手紙が来ると、そのたびにこれはヤバイなあと、心底思うんですね。」 「トトロの映画を1回見ただけだったら、ドングリでも拾いに行きたくなるけど、ずっと見続けたらドングリ拾いに行かないですよ。」 という宮崎駿氏の言葉を紹介してくれています。 ところで、 この宮崎氏の考え方(特に

【創作論】アイデアを捨てる勇気を持ちましょう。

先日、とある文学賞向けに書き進めていた小説のプロットが完成したのですが、本文(原稿)を書き出すことなく捨てました。 アイデアの種を思いついた時点では言うまでもなく、プロット八割くらいの段階ではまだ面白くなると思っていました。 が、プロット制作が終盤に差し掛かると心の中で暗雲が立ち込め、一応の完成をみたプロットを読み返した時、「これはつまらない」と自分でもわかってしまったのです。 ただ、アイデアを捨てるに至ったことを残念に思ってはおりません。 むしろ、自身に対して感慨を覚え

【創作論】エッセイでどこまで嘘ついていいか考えてみた。

■ 起こり直近でエッセイ(体験談という程度の意)を書きました。 今までは自分の体験を語るにしても、体験そのものより主張に重きを置いた文章を書くことが多かったので、今度は体験そのものを主題に据える意識で臨みました。 だ・である調で体験を語ろうとすると、私の場合文体が小説っぽくなるようです。特に意識せずに書いたらこうなりました。 それはそうと、書いているうちに 「エッセイとは言え、嘘ついてもバレないな」 と思いました。 となると、問われるのは私の良心のみです。 直感的に嘘を

【物語論】作者の毒気を感じさせなければ再読は望めない。

私には、初見で感心した巧みな小説であっても、再読したくなるものとそうでないものがあります。 私の中で再読欲の有無を分かつのはどんな要素か考えてみました。 先日、本棚を整理している時に、奥田英朗氏の小説『家日和』が出てきたのがきっかけです。 背表紙にはこうあります。 会社が突然倒産し、いきなり主夫になってしまったサラリーマン。内職先の若い担当を意識し始めた途端、変な夢を見るようになった主婦。急にロハスに凝り始めた妻と隣人たちに困惑する作家などなど。 日々の暮らしの中、ちょ

【物語論】誰に向けての、何のための物語か。

二十六世観世宗家・観世清和氏は、『能(※)はレクイエム/鎮魂』であると語っていました。(※おそらく〈夢幻能〉を指していると思われます) 飢餓、病、戦乱などによって、【死】が現代より遥かに人々の近くにあった時代。死者を弔い、生者を癒すという狙い・願いを持って能は存在したのです。 現代の物語創作においても、それが誰に向けて書かれ、何を叶えるものなのか、明確にした上で創作に臨んだ方が良い結果を生むのだと思います。 思えば私がかつてゲームクリエイター志望だった時、ゲーム(商品)

【物語論】文学では真似できない物語表現の領域。

今回は、ゲーム版『ウォーキング・デッド』の感想を通じて、ゲームと文学の差異について見ていきます。 かつて超がつくほどのゲーム少年だった私ですが、成人してからはあまりゲームをしなくなりました。 興味関心の中心がゲームから文学へとシフトしたからです。 ゲーム版『ウォーキング・デッド(エピソード1)』は成人後にプレイした作品ですが、それでもなお、現時点で過去最高のゲーム体験――いえ、物語体験の一つに数えられます。 文学に傾倒した私が思わず嫉妬するほどの物語体験がそこにはありまし

【創作論】人は物語が好き。作者と作品と批評について。

1920年代には、ニュー・クリティシズムという文学批評思想が流行しました。 当時、芸術作品への批評がまるで作者その人についての批評になってしまうことが多発し、その反発として生まれた潮流だったようです。 ウィキペディアには―― 作品を社会的、歴史的文脈から切り離し、また作者の伝記的事実と結びつけることをせず、純粋に作品そのものに即して論じようとした。 とあります。 つまり、作者ではなく作品に目を向けようということですね。 私も一時はこの考え方に深く共感していました。 記