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アルレッキーノ、タッチストーンそしてジョーカー 斜に構えるスタンスも私のパートナー その2.2 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 王道を歩むことが人生の軸です。その上で対極にある斜に構えるスタンスも恣意的に取ることは忘れません。

 そのスタンスの典型の1つである、道化師として芸術作品で扱われる役回り。

 その1では、

 良い年をして、最近になってこのnoteのプラットフォームの中のアルレッキーノさんの作品に触れる機会があり、正にnoteさんがご縁でアルレッキーノを意識するようになり、リファレンスとしてアルレッキーノ (Arlecchino)をこれから少しずつ勉強していこうと思っています。

というお話でした。

 その2.1では、アルレッキーノに次いでタッチストーンを。王道を歩むことを柱に構成されている私の頭の中の仮想パートナーとして、斜に構えるスタンスのメインのリファレンスロールモデル。
 NHK教育テレビの市民大学講座で小田島雄志先生のシェイクスピアの作品の解釈を通じて、異なった目線で物事を見ているタッチストーンの重要さを知り、私の心の深い場所にシェイクスピアの作品は鎮座したというお話でした。

 今回はその続編です。

 丁度受験勉強の呪縛からの解放前夜、極寒の冬から憧れの大学生活が始まった正に私にとっての春にかけての時期。当時は、シェイクスピアがトレンドだったのか…

 小田島雄志訳「シェイクスピア全集」白水社 1976年
なんていう全集ものまで発刊されたりしていました。

 そして極めつけは網羅性あるBBCのシェークスピア劇場。

 シェークスピアの全劇作品をテレビ化することで、世界中の人々が容易にシェークスピアに接することができる文化財とすることを目指し、BBC(イギリス放送協会)が制作したテレビシリーズ。イギリスでは1978年に制作を開始し、全37編を6年計画でテレビ化。総合では2か国語放送で10作、教育では字幕スーパーで全37作を放送した。(カラー/総合2か国語、教育字幕/イギリス/原題: The Shakespeare Collection)
 
以下出典

 放送は1980~1986年度にかけてで、冒頭にご紹介した通り私が丁度受験勉強の最後の悶絶、ある大学の電子工学科の学生をしながら今風に言えば仮面浪人を経て満足行く結果を得て、最高に楽しく、自由な学究生活を送っていた時期と重なりました。ですから正に砂漠に水を撒くように身体に染み込んで行きました。
 特に高画質のベーターマックスのビデオの高性能版Hi-Band Betaの普及期と重なり、当時の最新のビデオデッキを買って番組を録画していました。

高画質のベーターマックスのビデオの
高性能版Hi-Band Betaの普及期と重なり

当時の最新のビデオデッキを買って番組を録画

如何にも昭和っぽいカタログ

 業務用技術を民生用に展開したもので、理系の私には垂涎(すいぜん)物でした。

実力は、プロの現場で磨いてきた

というキャッチコピーがズンと心に刺さりました。
大いに無理して(笑)購入。

 ジョグダイヤルという業務用機器に使われる機能を駆使して気に入った場面や深く理解したい場面を繰り返し再生していました。
 余談ですが、英文科卒業の父は当然書斎で私とは独立に楽しんで居ました。流石に英文学叢書を座右に置くだけ有って余裕で楽しんでいて、羨ましく思ったことを良く覚えています。

 私は専ら小田島雄志先生の市民大学講座テキストをそれこそ座右に置いて楽しむというレベルでした。このテキストでの解説無しには楽しめなかったのでした。

小田島雄志先生の市民大学講座テキスト
座右に置いて楽しんだ

このテキストでの解説無しには楽しむのは無理

 大学入学まで、受験勉強の期間が長かった事もあり、また王道を歩むことを人生の軸にしていたので、周りが見えていませんでした。ていうか(今風の表現試してみました(笑))敢えて周りのことは気にせず自分自身のことに集中していたのです。
 だからこそパッと道が開けた時に主役だけではなく、むしろ脇役に重要なメッセージ性を持たせている作品が新鮮でした。その意味からもお気に召すままのタッチストーンはシンボリックな形で私の心に入って来たのだと思います。

 このコンテンツと最新の映像技術を使いこなしての鑑賞は、私にピッタリでした。

何もかもが心地良い

 このことは私の大学生活、そしてその後の今日までの人生に多面的な彩りを与え続けてくれています。ネタバレですが、自分から彩りを添えに行った話は次編でご紹介しますね。

 因みに小田島雄志先生(の遺伝子*)は今も精力的に活動されているようです。

日経最新ニュースから

戯曲翻訳の新星、小田島創志 新国立劇場の新作に挑む · 文化往来. 2022年4月7日. 祖父はシェークスピア翻訳の大家、小田島雄志氏。父母も翻訳家という.

つづく

*小田島雄志先生の遺伝子とその頭からDumpされて残された知の体系が、子という個体を通して新しいお仕事をされているという感覚なんです。
 その辺りはこちらもご覧になって下さい。

 

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