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エピクテトス/アンソニー・ロング編/天瀬いちか訳『自由を手に入れる方法』(文響社、2021年)を読んで。
哲学は小難しい。そう思う人は多いのかもしれない。例えばプラトンやアリストテレスやカントの倫理思想を紐解く人々は、書いてあることはそれなりに理解できたとしても、よくわからないという実感をもつこともあるかもしれない。そういった人々に薦めたい哲学者がいる。それはエピクテトスである。いっときマルクス・アウレリウスが注目され、その著である『自省録』を読んだことがある人もいるかもしれない。そのマルクス・アウ
もっとみるイマヌエル・カント/大橋容一郎訳『道徳形而上学の基礎づけ』(岩波文庫、2024年)を読んで。
本書は熟読を勧めたい最初に読むべきカントの著作である。カントといえば三批判、特に翻訳も多い『純粋理性批判』に手を伸ばす人も多いであろう。しかしどの翻訳が良いのかは読者の置かれた状況に応じて変わってくる。その良し悪しを見極めるにはカントその人の文章に慣れる必要がある。三批判に取り組む前に読むものとしてぜひとも勧めたいのが本書なのである。
カントは感性界(現象界)と叡智界(知性界)とを峻別した。わ
シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(下)』(岩波文庫、2010年)を読んで。
ヴェイユの文章は、ニーチェの言葉を借りれば、血で書かれている。そのことを『根をもつこと』を読み進めていると強く実感する。
『根をもつこと』は十全な仕方で発表されたものではないため、ヴェイユ自身による細かな学術的注が付けられていない。とはいえ、それを発表するために彼女に準備する時間が残されていたとしても、彼女がそれをしたかどうかはわからないであろう。というのも残された原稿がすでに自らの命を削るよ
シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓訳『根をもつこと(上)』(岩波文庫、2010年)を読んで。
「根をもつこと」、それは根を張ることであり、根を張るべく自らを掘り下げていくことでもあるだろう。ヴェイユの言葉に解釈は不要かもしれないが、『根をもつこと』を読むことで感じたことをいくつか記してみたい。
ヴェイユの著作は『自由と社会的抑圧』を除いてすべての著作が死後刊行である。死後刊行ともなればそこにヴェイユが意図したことではない配列やニュアンスが含まれるのではないかとよく指摘されるところである
大貫隆『ヨハネ福音書解釈の根本問題』(YOBEL, Inc.、2022年)を読んで。
研究者の多くは自らのことを語ろうとはしない。しかし、大きな仕事をした人は多かれ少なかれ自伝的なものを何か残している。本書の著者、大貫隆氏は新約聖書学を牽引し続けている碩学である。氏の業績は『福音書研究と文学社会学』に一つの頂点を見出すことができ、引き続くマルコ研究とヨハネ研究は今もなお新約聖書学において特異な位置を占めていることと思う。広くグノーシス研究者として知られているかもしれないが、本書の
もっとみるおすすめのブックカバーフィルムについて
本を読む人にとって、ブックカバーは千差万別で人それぞれに自分なりの定番を探すのも楽しみの一つかと思います。筆者は手に汗をかきやすいので、蒸れて本のカバーの内側に水分が行ってしまうことに抵抗があるので大抵は布製や防水紙のカバーを使用しています。ですが、本の表紙を隠したくない、見える状態が良いという気持ちになるような本もあるのではないのだろうか。例えば、岩波新書とか。あるいは変形サイズで文庫や新書の
もっとみる田中美知太郎『人間であること』(文春学藝ライブラリー、2018年)を読んで。
『人間であること』。この書名は「人間ということ」でも「人間とは何か」でもなく、やはり「人間であること」でなければならないのだと改めて思う。本質探求を旨とする科学万能の観を呈する現代世界において、本書が問いかける問題は全く古びていない。それは本書が「人間であること」の問いに貫かれているからである。本書は人間であることの探求の書であることは当然である。しかし、人間をある一つの枠組みの中に同定すること
もっとみるケネス・バーディング「歌って学べる新約聖書ギリシア語」について
ギリシア語学習者にとってまず超えるべきハードルは文字に慣れることであろう。そして格変化を覚えていくこと。その最も難しい部分を軽快なリズムに乗せて歌ってくれる新約聖書ギリシア語文法入門がある。
著者ケネス・バーディングが新約聖書ギリシア語の文法を大学生に教える時に工夫して作られたのが本作である。アルファベットの歌、定冠詞の歌、主要動詞の歌、分詞の歌、エイミ動詞の歌などなど、古典ギリシア語学習者