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私たちはなぜ悩み苦しむのか?

 この文章では、夏目漱石の作品において性欲や恋愛などの人間の自然の感情と近代的な社会規範との相克がどう描かれているのかを、『門』を分析しながら論じていきたい。この作品には社会規範を内面化してしまったがためにそれと自身の自然な感情との間で苦悩する近代人の様子が描かれている。そしてこの苦悩から逃れられないことをこの物語の形式上からも言うことができるということを述べていきたい。
 『門』で宗助は友人安井の妻あるいは愛人であったお米と、姦通もしくはそれに準ずる行為と思われることを犯したのち結婚する。お米と宗助とは社会規範を理解していながらも自分たちの恋愛を優先して結婚し、崖下の借家で平穏な家庭生活を送っている。しかし、望んで結ばれたはずの二人は社会規範を内面化してしまったがためにそれぞれ罪の意識を抱えている。二人は心の内を吐露し合うことはせずにそれぞれに漠然と不安を感じていて、そのような意味で分かり合うことができていない。それだからそれぞれ秘密裏に、お米は易者からの言葉で自分に子供ができないのは過去に犯した罪のせいだと思い込み、宗助は安井への罪悪感に苦しみ禅寺で宗教を求める。自然の感情が社会規範を克服して結婚したかに思えるが、お米と宗助とは苦しみ続ける。
 『門』は前作『それから』の続編と見ることもできる。『それから』では人間の自然の感情と近代的な社会規範との相克はどう描かれているのだろうか。『それから』の代助に言わせてみれば、それは「世間の掟と定めてある夫婦関係と、自然の事実として成り上がった夫婦関係とが一致しなかったという矛盾」(「それから」,p. 296)のことである。代助はかつて友人の平岡に結婚の斡旋をして譲った三千代と結ばれようとした。すると、平岡によって父に訴えられて父と兄とからの経済的支援を失い、高等遊民だった代助は職業を探さなければならないことになる。人間の自然の感情を優先しようとした代助はその結果社会規範に敗北する。
 参考にする文献としては以下を考えている。

1. 石原千秋.『漱石入門』(河出文庫).河出書房新社,2016.
2. 石原千秋.『漱石と日本の近代(下)』(新潮選書).新潮社,2017.
3. 大岡昇平.『小説家夏目漱石』.筑摩書房,1988.
4. 柄谷行人.『増補 漱石論集成』(平凡社ライブラリー).平凡社,2001.
5. フーコー,ミシェル.『監獄の誕生 監視と処罰』.田村俶訳.新潮社,1977.

1・2は専業主婦とサラリーマンとの家庭がどのように成立して家庭小説が可能になったのかという文学作品の書かれた社会的背景を解説している。3は姦通が漱石の作品の中でどう扱われているのかというのを『それから』『門』を中心に読み解いている。4は文学という制度の観点から漱石の作品を考察している。5は社会規範がどのように人間の内面に入り込んでいくのかを検証している。
 『門』を中心に分析していき、関連性の強い『それから』も適宜見ていきたい。社会規範という時代性を有するものを扱うので作品の書かれた時代背景にも気をつけたい。

1.家庭小説と姦通小説

 『門』は一組の夫婦を描いた家庭小説である。家庭小説は明治民法下における婚姻制度が前提となって成立する。石原千秋によれば「明治三〇年代は家庭小説が大流行した。家庭小説は、当時の言葉で言えば、『婦女子』を主な読者として想定していた。それは家の思想の一つの具体的な現れであ」(『漱石と日本の近代(下)』、p. 10)ったということで、また、

ごく少数だが『門』から漱石文学の後期と考える人がいる。その理由は『彼岸過迄』を例外として、『門』以降の小説が家庭を書いているからである。たしかにその通りだ。しかし、これには注意しなければならない点がある。それは漱石文学では家庭を書いてはいても、家庭の幸福を書いているわけではないという単純な事実である。むしろ繰り返し家庭が壊れていくさまを書いたとさえ言っていい。(同書、pp. 9-10)

とのことである。広く大衆に読まれる新聞小説として連載された漱石の小説は決して理想的な家庭像を書いたわけではなかったのだ。漱石の小説の特徴の一つに恋愛の三角関係を描いているというのがある。それと家庭とを同時に扱えばその家庭は崩壊する可能性があるし、崩壊せずとも三角関係の当人たちそれぞれの心中は穏やかではないだろう。そのような設定の物語を書けば登場人物の心理を描かざるを得なかったのである。
 『門』のお米は専業主婦であり宗助はサラリーマンであるが、このような家庭は当時の時代状況を考えると先進的で珍しい。「当時は、まだ既婚女性も農業をはじめとした家業に従事するのがふつうだった」し、「漱石が小説を書き始めた日露戦争後は、八万人以上が戦死して戦争未亡人が大量に出たことから、万が一の時のために女性にも職業が必要だという『婦人職業問題』が社会的にも話題になっていた」(石原、『漱石入門』、p. 111)ほどだからだ。

この時期完全に「分業」をなし得る家庭は決して社会の多数派ではなかったはずである。「主婦」と「主人」が「分業」をなし得るためには、「主人」がサラリーマンであることが前提となる。しかし、そうした新中間層と呼ばれる階層が成立したのは、日露戦争後から第一次世界大戦を経る一九一〇年から一九二〇年代にかけてである。
 伊東社の調査によると、大正九年(一九二〇年)において、全国の新中間層は七~八パーセントにすぎなかった。しかし、都市部では、明治四十一年(一九〇八年)の五・六パーセントに対して、大正九年には二十一・四パーセントに達していたという。(中略)
 主婦は、「分業」を可能とする都市の中間層という階層が現実に大量に存在しない限り、成立し得なかった。主婦とは大正期の「発明」だったのである。(同書、p. 116)

 この当時夫婦となって家庭を築いても農業のような一つの家業に共に従事するのが多数派であったし、そのような時代背景では夫婦で分業するなどといった考えには及ばないのである。石原の言うように主婦は発明されたものであった。また、今日ではこのような固定観念は解体されつつあるが、「結婚したらサラリーマンと専業主婦とからなる家庭を築くのが当たり前」といった前時代的な価値観も歴史的に構築された制度であると言えるだろう。つまり、主婦とサラリーマンとの構成の家庭は都市の会社や役所に通勤するサラリーマンという制度があって成立する近代的家庭なのである。
 『門』はお米と宗助との過去が明かされる描写を境にして、物語を前半と後半とに分けることができる。前半部では宗助の弟の小六の学費の問題や抱一の屏風の売却などの、家計の話を中心に表面的には平穏な家庭生活が描かれる。物語中盤で宗助は友人安井の妻あるいは愛人であったお米と結婚したことが明かされる。

事は冬の下から春が頭を擡げる時分に始まって、散り尽した桜の花が若葉に色を易えるころに終わった。すべてが生死の戦いであった。青竹を炙って油を絞るほどの苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。彼らは砂だらけになった自分たちを認めた。けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。(「門」、p. 494)

「すべてが生死の戦い」「青竹を炙って油を絞るほどの苦しみ」「大風は突然不用意の二人を吹き倒した」「砂だらけ」などの比喩表現は苛烈なことがお米と宗助との二人の身の上に起きたことを示す。ここまで『門』を読み進めてきた読者にはやや唐突な過去の事実の暴露であり、比喩表現が盛りだくさんで小説全体を見れば少々浮いているとまで感じられてしまう。しかし、この直接的な描写を避けた表現からお米と宗助とは姦通もしくはそれに準ずる行為を犯したと言えるだろう。お米と宗助とが姦通をしたのちに社会的制裁を受けたことを示すこの抽象的な表現は、『それから』で代助の友人平岡の妻三千代との関係が父に発覚して、父と兄とに勘当されて一切の金銭的援助がなくなるという社会的制裁を受けた場面に共通する。

三千代以外には、父も兄も社会もことごとく敵であった。彼らは赫々たる炎火の裡に、二人を包んで焼き殺そうとしている。代助は無言のまま、三千代と抱き合って、この焔の風に早く己れを焼き尽くすのを、この上もない本望とした。(「それから」、p. 308)

 代助は暑い中を馳けないばかりに、急ぎ足に歩いた。日は代助の頭の上から真直ぐに射下した。乾いた埃が、火の粉のように彼の素足を包んだ。彼はじりじりと焦げる心持がした。
「焦げる焦げる」と歩きながら口の内で言った。
 飯田橋へ来て電車に乗った。電車は真直ぐに走り出した。代助は車のなかで、
「ああ動く。世の中が動く」と傍の人に聞こえるように言った。彼の頭は電車の速力をもって回転し出した。回転するに従って火のように焙ってきた。これで半日乗り続けたら焼き尽くすことが出来るだろうと思った。
 たちまち赤い郵便筒が眼に付いた。するとその赤い色がたちまち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣るしてあった。傘の色が、まあ代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売ってるものがあった。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追っ懸けて来て、代助の頭に飛びついた。小包郵便を載せた赤い車がはっと電車と摺れ違うとき、また代助の頭の中に吸い込まれた。煙草屋の暖簾が赤かった。売出しの旗も赤かった。電柱が赤かった。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗っていこうと決心した。(「それから」、pp. 310-311)

 『門』で宗助とお米とは「大風」に「吹き倒され」て「砂だらけ」になった。『それから』の代助は三千代と共に「焔の風」に焼き尽くされるのを本望とし最後代助の眼には「赤く」「回転」する世の中が映っていた。どちらもそれぞれの作品全体から見れば唐突に比喩が連続している場面である。上で引用した『それから』の文章は物語終盤の部分であり、『それから』は社会規範を破って人間の自然の感情を優先した代助が社会的制裁を受けるまでの物語である。一方、『門』は『それから』の「それから」の物語であり、社会的制裁を受けた後の一組の夫婦の物語を描いた家庭小説であり姦通小説なのである。

2.社会規範の内面化

 1で説明した通り、『門』は、宗助がお米を友人安井から奪って結婚したという点において姦通小説として読むことができる。しかし、お米と宗助とは姦通罪で刑罰を受けていないし、安井から民事訴訟も起こされていない。このことについて石原は、

宗助は「友人の妻を奪つた」のではない。すなわち、宗助と御米は「姦通」したのではない。だからこそ、宗助と御米は刑法上の「罪」ではなく、はじめも終わりもないような「徳義上の罪」に耐え続けなければならなかったのだ。
 この書き方は、小説の読み巧者でもあった正宗白鳥さえも「誤読」してしまうようなみごとな「手腕」ではないか。改めて確認するが、「徳義上の罪」こそが『門』の根幹をなす「思想」なのである。それを漱石は隠しながら、しかしわかるように書いた。この「作為」には驚いておいていいが、『門』はもっと驚いておいた方がいいかもしれない記述にあふれているのだ。(石原、『漱石と日本の近代(下)』、p.16)

と述べている。石原は法的な姦通ではないとしているが、人間関係の構図としてはやはり姦通小説と読んで間違いないだろう。だが、ここで大事なのはジャンル分けではない。石原の指摘は的を射ている。『門』について語る際は「徳義上の罪」が問題になってくるのである。つまり、刑法上の罪は刑罰を受ければ社会的にはそれ以上罪に問われないし、民事訴訟で訴えられたとしても係争に終わりはあるだろう。お米と宗助とは刑罰でない社会的制裁を受けたが、社会的制裁を受けたこと自体が問題になるのではない。なぜなら『門』は社会的制裁を受けたあとの物語であるからだ。お米と宗助とは近代的な社会規範を内面化していて「徳義上の罪」を常に感じている。
 ミシェル・フーコーは社会規範の内面化について、ベンサムの考案した一望監視装置(パノプティコン)の仕組みを説明して、

権力の自動的な作用を確保する可視性への永続的な自覚状態を、閉じ込められる者にうえつけること。監視が、よしんばその働きに中断があれ効果の面では永続的であるように、また、権力が完璧になったためその行使の現実性が無用になる傾向が生じるように、さらにまた、この建築装置が、権力の行使者とは独立した或る権力関係を創出し維持する機械仕掛けになるように、要するに、閉じ込められる者が自らがその維持者たる或る権力的状況のなかに組み込まれるように、そういう措置をとろう、というのである。(フーコー、『監獄の誕生 監視と処罰』、p. 232)

権力の効果と強制力はいわばもう一方の側へ――権力の適用面の側へ移ってしまう。つまり可視性の領域を押しつけられ、その事態を承知する者(つまり被拘留者)は、みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時に二役を演じる権力的関係を自分に組込んで、自分がみずからの服従強制の本源になる。(同書、p. 234)

と述べている。
 権力の行使者はいつでも監視することができるのだということが被行使者に自覚的であれば、必ずしも監視が常に行われている必要はないし、そうであれば被行使者は常に権力に従順であるため権力の実力行使も必要なくなる。そのような状態は被行使者が社会の権力のシステムに組み込まれた状態である。被行使者が「みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる」ことは社会規範の内面化であり、このようなことを規律・訓練と言う。権力の行使も監視する目も今や権力の行使者から被行使者へと移っていて、被行使者は自発的に観察者となる。「無名で一時的な観察者が多数であればあるほど、被拘留者にしてみれば、不意をおそわれる危険と観察される不安意識がなおさら増す」(同書、p. 233)ため、被行使者自身による監視が永続的に実現している状態が生じる。規律・訓練が、「いたるところに常時目を光らせ社会全体に隙間も中断もなく及ぶ網目状の仕掛」(同書、p. 241)になっているため、「規律・訓練の装置は民主的に取締られてい」(同書、p. 239)ると言える。
 『門』の場合で言えば、お米も宗助とも婚姻制度などの近代的諸制度や姦通罪をもって取締る司法権を恐れているわけではない。それらの権力は崖下の借家で平穏な家庭生活を送る二人を脅かしはしない。また安井の目を恐れているわけでもない。お米も宗助とも自分たちは「徳義上の罪」を犯したということを自覚していて、その罪をそれぞれ孤独に背負い込んで罪悪感を持ち続けている。社会規範を内面化してしまった近代人であるお米も宗助も、自分の目で自分を監視し続けているから負い目を感じているのである。

3.『門』に描かれる近代人の姿

 小説家の大岡昇平は『それから』と『門』について、

『それから』の結末では、三千代の離婚はたしかではなく、心臓が悪くて生死不明です。代助は発狂寸前である。二人が結婚するのは、『門』の冒頭で、崖下の家で淋しい生活を送っている宗 助とお米の姿から遡ってその結末が確定する、という形になっています。そして新しいヒロインお米は子供ができないのを罰と感じ、宗助は崖の上の家主の知合いにお米の先夫が近く訪ねて来る、と聞いて運命を感じ、精神の安定を失って参禅する。この永続する不幸が、代助と三千代の断罪となっていることで二つの姦通小説は関連し、読者を含めて社会的制裁を受ける仕掛けになっている。(大岡、『小説家夏目漱石』、p. 279)

と評している。大岡は「永続する不幸」と言っているが、お米と宗助との不幸は、「彼らは親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく言えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。学校からは無論棄てられた。」(「門」、p. 495)とある通りの社会的制裁を受けただけでは終わらないのだ。
 お米と宗助とは社会規範を理解していながら自分たちの恋愛を優先して結ばれ社会的制裁を受けたあと、崖下の借家で平穏な家庭生活を送っている。しかし、そのような過去を背負った二人は望んで結ばれたはずだがそれぞれ罪の意識を抱えている。物語中盤で明かされるのは姦通の過去だけではない。一見平穏な二人の家庭生活の裏には流産・死産の記憶があった。この二つの事実が物語後半どころか読者がそれまで読み進めてきた前半部の色調までをも暗くする。

 夫婦は和合同棲という点において、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であった。それもはじめから宿る種がなかったのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落としたのだから、さらに不幸の感が深かった。(「門」、p. 466)

 お米と宗助とは姦通を犯して結婚し、社会的制裁を受けてまでも一緒になりたかったのだから「和合同棲」の家庭生活を送れているが、そこには不幸も入り込んでいた。子供は人生に彩を与えるし、子供の誕生の喜びは計り知れないものであろう。しかしだからと言って、子供ができなくても必ずしも不幸ではないし、流産・死産はもちろん大きな不幸であるが妊婦が責められるべきものではないはずである。もしそれで妊婦の心が傷付いているのならそれは精神療養で解決していくべき問題である。ところが、

この苦い経験を嘗めた彼らは、それ以後幼児についてあまり多くを語るを好まなかった。けれども二人の生活の裏側は、この記憶のために淋しく染め付けられて、容易に剝げそうには見えなかった。時としては、彼我の笑い声を通してさえ、お互いの胸に、この裏側が薄暗く映ることもあった。(「門」、p. 470)

とあるように、二人はこの不幸について心の底を打ち明けるコミュニケーションをとることもなく、それぞれで勝手に不幸を感じ続けていた。二人の生活の裏側に存在し続けている孤独な淋しさこそが「永続する不幸」である。お米は易者からの言葉で自分に子供ができないのは過去に犯した「徳義上の罪」のせいだと思い込み、宗助は安井への罪悪感に苦しみ禅寺で宗教を求める。

彼女は三度目の胎児を失った時、夫からその折の模様を聞いて、いかにも自分が残酷な母であるかのごとく感じた。自分が手を下した覚えがないにせよ、考えようによっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であったからである。こう解釈した時、お米は恐ろしい罪を犯した悪人とこれを見做さないわけにゆかなかった。そうして思わざる徳義上の苛責を人あかるみ知れず受けた。しかもその苛責を分かって、ともに苦しんでくれるものは世界中に一人もなかった。お米は夫にさえこの苦しみを語らなかったのである。(「門」、pp. 470-471)

 お米は三度胎児を亡くしているがそれを自分のせいだと思い込んでいて、その負い目に苦しんだお米は非近代的な占いに頼るのである。

 彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んでいた。それが実生活の厳かな部分を冒すようになったのは、まったく珍らしいと言わなければならなかった。お米はその時真面目な態度と真面目な心をもって、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうかを確かめた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占なう人と、少しも違った様子もなく、算木を色々に並べてみたり、筮竹を揉んだり数えたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握って何か考えたが、終りにお米の顔をつくづく眺めた末、
「貴方には子供は出来ません」と落ちつき払って宣告した。お米は無言のまま、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり砕いたりした。 それから顔を上げて、
「なぜでしょう」と聞き返した。その時お米は易者が返事をする前に、また考えるだろうと思った。ところが彼はまともにお米の眼の間を見詰めたまま、すぐ
「貴方は人に対してすまない事をした覚えがある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言い切った。お米はこの一言に心臓を射抜かれる思いがあった。くしゃりと首を折ったなり家へ帰って、その夜は夫の顔さえ碌々見上げなかった。(「門」、pp. 473-474)

「彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文明人と同じように、遊戯地に外に現れるだけで済んでいた。」とあるが、子供は学校などの教育施設で知識などを与えられ、規律・訓練を一斉に行い社会規範を内面化していく。その中で非近代的な迷信などは否定され子供は文明人の大人へと育っていく。
 お米は「貴方は人に対してすまない事をした覚えがある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」と易者に言い切られてしまった、お米は自分に子供ができないのは「徳義上の罪」のせいであると認識してしまう。不安を解消して安心を得るために易者を頼ったはずなのに結局お米はひとり落ち込んでしまった。お米は易者の判断もあってこのことをただちには宗助に伝えないでいて、大分後になってから宗助には伝えた。
 一方宗助は、冒険者として蒙古へ行っていた安井が宗助の借家の家主で裏の崖上に住む坂井を訪ねてくると知って恐れおののく。

 彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知に見えた。彼は胸を抑えつける一種の圧迫の下に、如何にせば、今の自分を救うことが出来るかという実際の方法のみを考えて、その圧迫の原因になった自分の罪や過失はまったくこの結果から切り放してしまった。その時の彼はひとのことを考える余裕を失って、ことごとく自己本位になっていた。今までは忍耐で世を渡ってきた。これからは積極的に人世観を作り易えなければならなかった。そうして、その人世観は口で述べるもの、頭で聞くものでは駄目であった。心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。
 彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれどもその響は繰り返す後からすぐ消えて行った。攫んだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない文字であった。(「門」、pp. 521-522)

 安井が坂井の家にやってきて鉢合わせしてしまうかもしれないという不安は、安井の目を気にしているわけではない。実際はこの出来事をきっかけに「徳義上の罪」を強く意識させられた自分自身の目を気にしているのである。つまり、規律・訓練によって社会規範を内面化した自分の目を気にしているのである。なぜなら、宗助は安井と対面して関係を変えようとしているのではなくて、自分の頭の中の人世観だけを変えようとしているからである。こうして宗助もお米と同様に非近代的な宗教の門を敲くこととなったのである。
 禅寺の老師から与えられた「父母未生以前の本来の面目」(「門」、p. 532)の問題を宗助は遂に解決することができなかった。それもそのはずであろう。宗助の抱えていた問題は前近代的な宗教の問題ではなかった。近代化社会で生じた「徳義上の罪」で悩んでいたからである。
 そしてお米と同様に、宗助もこの安井が坂井の家を訪ねてくるから自分は宗教を求めたということをお米に話すことはなかった。「和合同棲」の夫婦は傍から見れば円満で愛し合っているように見えるが、その実お米と宗助とはそれぞれ自分が心理的危機に陥ったとき独断のもと秘密裏に動いてお互いの腹の内を見せ合わない。「徳義上の罪」は二人でしか共有できないはずなのに、その大事なことについて話し合わない。社会的制裁によって社会から隔絶された二人は社会から孤立しているが、お互いに思い遣り合っていたとしても家庭内でも本当の意味では孤独なのだ。

 宗助とお米の一生を暗く彩った関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思いをどこかに抱かしめた。彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互いと向き合って年を過ごした。(「門」、p. 512)

 「一生を暗く彩った関係は、二人の影を薄くして、幽霊のような思いをどこかに抱かしめた。」とはまさに二人が「和合同棲」でいても孤独のままであるということである。二人は「わざと知らぬ顔に互いと向き合って」いるため孤独を癒すようなコミュニケーションは行っていない。『門』では社会から疎外されてしまっているため、分かり合えてはいないがお互いを頼るしかない孤独な夫婦を描いていると言える。
 その「分かり合えなさ」は『門』では小説全体で宗助の視点の描写が多いため分かりづらい。その「分かり合えなさ」が判然としてくる作品が漱石未完の大作『明暗』である。『明暗』ではお延と津田とが分かり合えない他者同士としてそれぞれの視点から描かれている。漱石が男性だから男性の宗助を主人公として据えていると見るのは簡単であるし、実際『門』の主人公は宗助とするのが一般的な理解であろう。しかし、宗助と同じように「徳義上の罪」を背負い「永続する不幸」の中にいるお米も『門』の重要な主人公であると考えられる。

漱石は『それから』の代助の、友人の妻への愛を「自然の命ずるもの」だと書くが、けっしてそうはいえない。というのは、代助の愛は、女がまさに他人の所有であるがゆえに高まったといえるからだ。そうだとすると、「自然と制度」という図式などは成立たない。「自然」そのものがすでに非自然的な制度的なものにからめとられている。『門』において、漱石の人間存在への問いが飛躍的に深まるのは、この意味においてである。三角関係はむしろ人間の「関係」 そのものへの問いのなかで見直される。(柄谷行人、『増補 漱石論集成』、p. 415)

代助のいう「自然」と「制度」の対立 が最も鮮明にあらわれるのは、姦通においてである。つまり、制度性が結婚に、自然性が恋愛に象徴されるとしたら、それらが軋み合うのは、姦通においてだからである。(同書、p. 430)

 柄谷の言うように確かに自然さえも構築された一つの制度ということは可能であろう。しかし、近代社会の枠組みの中で自然と制度の二項対立を考えることは十分意味があると考える。柄谷自身も「制度性が結婚に、自然性が恋愛に象徴されるとしたら、それらが軋み合うのは、姦通においてだからである」と言っている。
 また、柄谷は「三角関係はむしろ人間の『関係』そのものへの問いのなかで見直される」と言っている。これは漱石が家庭小説に三角関係を持ち込んだ意義を捉えている。つまり、一番親しいはずの人間関係の中で人間は他者と分かり合えずに苦悩し、徹底的に孤独にもなりうるということだ。
 以上が、人間の自然の感情と近代的な社会規範との間で揺れる近代人の姿である。

4.まとめ

 最後に『門』の作品構造に触れたい。次に引用するように『門』の結末へ行くと冒頭のシーンへ繋がるような構造になっている。

 宗助はさっきから縁側へ坐蒲団を持ち出して、日当りのよさそうな所へ気楽に胡坐をかいてみたが、やがて手に持っている雑誌を放り出すとともに、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞こえてくる。 拡枕をして軒から上を見上げると、奇麗な空が一面に蒼く澄んでいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較べてみると、非常に広大である。たまの日曜にこうしてゆっくり空を見るだけでも大分違うなと思いながら、眉を寄せて、ぎらぎらする日を少時見詰めていたが、眩しくなったので、今度はぐるりと寝返りをして障子の方を向いた。 障子の中では細君が裁縫をしている。
「おい、いい天気だな」と話し掛けた。細君は、
「ええ」と言ったなりであった。宗助も別に話がしたいわけでもなかったと見えて、それなり黙ってしまった。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と言った。しかしその時は宗助がただうんという生返事をしただけであった。(「門」、pp. 328-329)

お米は障子の硝子に映る麗らかな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくのこと春になって」と言って、晴れ晴れしい眉を張った。 宗助は縁に出て長く延びた爪を剪りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏を動かしていた。(「門」、p. 563)

 平穏な家庭生活の日常風景から始まって、安井の接近というこの家庭にとって危機的状況が訪れるも結局何事もなく、漠然とした不安だけを残してまた元の平穏な日常へと戻っていく。このように作品構造からして漱石が『門』に描いた問題は堂々巡りである。この堂々巡りの作品構造は、夫婦の崖下での穏やかな家庭生活の中で「徳義上の罪」の意識は繰り返しやってきて、内面化された社会規範からは逃れられないという「永続する不幸」を暗示している。『門』の小説の構造は、「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」(『道草』、p. 286)という『道草』の健三の台詞と重なる。
 日本が近代化している中で経済発展により新中間層が生まれ、都市部の会社や役所に通勤するサラリーマンが出現する。そうしてそれまで農業などの家業に従事していた女性たちは主婦となり、専業主婦とサラリーマンとから構成される家族が可能となる。このような社会状況で家庭の一つの理想像として家庭小説が広く読まれるようになった。婚姻制度や姦通罪などの近代的諸制度は社会や人間を変化させ、規律・訓練によって近代人は社会規範を内面化した。そのことによって性欲や恋愛感情などの人間の自然の感情と近代的な社会規範との相克が問題となった。漱石は家庭小説に三角関係を持ち込み、人間関係における近代人の心理を掘り下げ、『門』のような小説を書くことによって時代的な問題を描いたといえるだろう。

参考文献

石原千秋.『漱石入門』(河出文庫).河出書房新社,2016.
石原千秋.『漱石と日本の近代(下)』(新潮選書).新潮社,2017.
大岡昇平.『小説家夏目漱石』.筑摩書房,1988.
柄谷行人.『増補 漱石論集成』(平凡社ライブラリー).平凡社,2001.
夏目漱石.『それから 門』(文春文庫、現代日本文学館).文藝春秋,2011.
夏目漱石.『道草』(岩波文庫).岩波書店,1990.
フーコー,ミシェル.『監獄の誕生 監視と処罰』.田村俶訳.新潮社,1977.


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