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物語

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自作の物語です。執筆は不定期ですが、公開と同時に追加します。
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記事一覧

「らしさ」に囚われた人の話

「らしさ」に囚われた人の話

「自分らしく」「あなたはあなたのままでいいの」といった言葉が怖くなったのはいつ頃からだっただろう。よくインクルーシブとか教育とか就活とか、その辺りの界隈で聞く言葉だけれど、僕には呪いにしか見えない。

ここでいう「自分」や「あなた」というものがどういう状態を指し示しているのかがわからない。それは、発話者にとって都合の良い部分についての「あなた」なのか、それともその人と関わってきた側面についての「あ

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ふとした時に寂しくなるのは

ふとした時に寂しくなるのは

午後5時30分。日が暮れるにはまだ早いけど、少しずつ差し込む光が弱まって、ぼんやり暗くなり始める頃。

外からは子供がわーきゃーいう声が聞こえ、おそらく仕事帰りであろう大人の楽しそうな声も聞こえる。野球部なのかラグビー部なのか、とにかく運動部系の声も響き渡っている。

そういう時、ふっと寂しくなることがある。それは、おそらく自分が部屋にポツンと一人でいて、一日誰とも会話していなかったからなのかもし

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誰宛てでもない

頭に何も浮かばない日がある。前日にめちゃくちゃ頑張ったとか、何か大きなイベントがあったとか、そういう理由がなくてもダメな日はダメだ。言葉を紡ぐのだって惰性だもん。

こういう時に、僕は自分を責めようとする。何もしないのは良くない、何か進捗をうまないとってね。でもそういう日って進捗どころか日常生活すらやる気にならないんだよね。どうしたらいいのかわからない。仕方ないのかもしれない。

体がだるくて、食

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チョコレート

口の中にそっとチョコレートを入れた。じんわりと甘さが口の中に広がる。しばらくその味を楽しんだと思ったら、すっと溶けてしまった。

疲れた時に、こうやってチョコレートを食べるのが私のお気に入りだ。高級チョコレートを食べる機会なんてそうそうないので、個包装になっている小さなチョコを机の引き出しにストックしている。優しい甘さが好きなのだ。

「あ、チョコ休憩ですか」

隣の席にいた後輩が笑う。彼女はよく

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最初の読者

最初の読者

楽譜から音楽が現れた時、黒インクで描かれただけの線や丸からこんなにも色彩が飛び出すのかと驚いた記憶がある。

いつだったかは覚えていないが、楽譜が読めない頃だから相当昔で幼いはずだ。多分聞いていたのはピアノの曲で、小学生レベルの簡単なものだったが、幼いなりに僕は音楽の「色」に感動していた。

少しして、小学校に上がった。そこで初めて楽譜の読み方を教わった。四分音符、五線譜、ト音記号。線や丸が意味の

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物語の種

物語の種

何を書こうか頭を悩ませていて、ふと物語の種を拾いに行こうと思いたつ。書きたいものが見つからないことがここ数日続いていて、もやもやし始めていた。

物語の種は、徒歩30分圏内のどこかに落ちているんだと、幼馴染が言っていた。もう3年も前のことだ。それきり彼には会っていない。お互いに忙しくなって、すれ違うようになったからだった。いつも冷静沈着で、私とは正反対の人。最後に会った彼は、いつもの静かな口調で、

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色鉛筆の魔法

色鉛筆の魔法

屋根裏部屋で色鉛筆を見つけた。白い紙箱に入った18色入りの古びたやつ。箱には小さな字で「コウタ」と書いてあった。お父さんのものだったらしい。

僕はそっと箱を持って自分の部屋に戻った。何か別のものが出てくるかもしれないと思ったからだ。もちろん、お父さんには秘密。きっと屋根裏部屋にこんなものがあることも覚えていないだろうし。

部屋に戻ると、慎重に箱を開けて、机の上に色鉛筆を並べてみた。赤、青、黄色

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「言葉」の感覚

「言葉」の感覚

昔、こんな短い物語を書いた。600字くらいの掌編とも呼べないようなひと場面。

・・・・・

「伝えるってさ、言葉に材質と形を与えて相手に渡す行為なんだよね、きっと」

このような話をしたのはいつだっただろう。穏やかに、でもどこか悲しそうな目で笑う彼女は、きょとんとする私にこう続けた。

「例えば、さ。文春砲って聞いたことあるでしょ。スクープとかスキャンダルを抜いて有名人を攻撃しているやつ。あれ

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そして、梅酒で乾杯を

そして、梅酒で乾杯を

物語を作って、と彼女が言い出したのはいつだったろう。

パソコンを開きながら考える。記憶を辿ったが思い出せない。

諦めて冷蔵庫から梅酒と炭酸水を取り出したところで、ふっとあの日のことが鮮明に蘇ってきた。

そうだ、サークルの飲み会だった。公演の準備はじめの景気付けだ。

・・・・・

なんの変哲もない演劇サークル。小さいながらきちんと公演を打てるだけの実力はあって、私はそこで演者と小道具作成をし

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物書きの一コマ

物書きの一コマ

首筋に冷たいものが当たった。視線をずらすとミルクティーのペットボトル。

詰めていた息を吐いて振り返ると君がいた。

「はい、休憩の時間ですよ〜」

戯けたように笑っている君を見て、僕は首を回しながら立ち上がった。

ここは僕の秘密基地。という名の3畳ほどのスペース。机があって、高反発のクッションを置いた椅子がある。机の上には、古びたノートパソコンと原稿用紙。僕の手には叔父からもらった万年筆。

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女郎花

初めて降り立った駅。特に何か目的があって来た訳ではない。とりあえず時間を潰したかった。何も予定がなくてただ自宅に篭っているのが辛かった。

ホームの人はまばらで、いわゆる都会なのにあまり都会っぽくない。風がホームを抜けていく。ほんの少し爽やかで、それでいてまだ夏だと実感させてくれるような風。

とりあえず改札を出ようと歩き始めた時、すぐ脇を誰かが通り過ぎて行った。

淡い黄色のワンピースを着た女性

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