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自分を支えてくれるのは、小さな記憶たち

春が待ち遠しいのは

昨日は、ゆっくりとした朝を迎えて、のんびりと好きなパン屋さんでパンを購入し、コーヒーを飲んで過ごしました。午後からは、春を感じる為にゆっくりと近所を散歩しました。小さな小道を進んでいき、その突き当たりを右に曲がろうとすると、僕の好きな桜が見えてくるのです。その桜は、すでに満開になり、ちらほらと散り始めていました。散っていく花びらが落ちていくのを、ひとつひとつ眺めていくうちに、モヤモヤした気持ちが癒えてくるような気がしました。

他にも、見渡せば春を感じさせるものはいっぱいあります。こうしたものをゆっくりと眺めていると、ほんのちょっぴりわくわくするし、ほんのちょっぴり穏やかになれるのです。言い換えると、それは、いずれ小さな幸せになるものだと思うのです。

この瞬間を忘れないように、ちゃんと思い出せるように、通り過ぎていく景色や風の匂い、この穏やかな雰囲気を憶えておこうとその時に感じました。もう少ししたら桜が一斉に散っていく時に寂しさを感じるのも、ついこの前、あたり一面が雪に覆われたときに、春がなんだか待ち遠しく感じるのは、こうした記憶が、ちゃんと僕の中に残っているからなんだなと、今は思います。

これまでの僕は、こうした小さな幸せたちを、すごく蔑ろにしていたんだと思うのです。だって、すぐに忘れてしまっていたから。成功だとか夢を叶えるとか、あれこれ必死になって追いかけているうちに、小さな幸せに気付くことも出来なかったし、いつの間にか忘れてしまっていたのです。

そんな日常に、本当は疲れていたんです。それでも、諦められなかったかったけど。結局、上手くはいかなかったけれどい。その当時は、春が嫌いだった。なんだか、みんなが浮かれているのに、自分だけが楽しめない状況に、寂しくも惨めさをも感じるものだから。

今は、そんな自分も慰めることが出来る。

今の僕は、小さな幸せをひとつひとつ大切に拾い集めているから。

支えてくれるもの

こうした記憶に残したいと思うものは、何も春だけじゃない。大切な人の笑顔も、さりげない会話も、そんな人達と食べたさりげない食事も。

本を読んでいる時に、元気をくれるような言葉に出会った時、僕はお気に入りの付箋を貼る。そんな感覚でいようと意識している。

それに、今の僕は、自分のことでも喜びを感じることが出来る。それは手にしたものじゃない。自分の本音が見えたときや勇気が出せた時。自分で成長を感じられた時なんかなのです。

休み明けの月曜日は、どうしても元気が出ないといったそんな時も。ときどき、なんでもないのに凄く気持ちが落ち込む時も。ネガティブなニュースがタイムラインに流れてきた時も。何か失敗した時も。僕は凄く落ち込む。これでもかっていうくらい憂鬱になる。

そんな時に支えてくれるのは、忘れないように記憶していた小さな幸せたちなんです。それらをを思い出すことで僕は憂鬱な気持ちを忘れることが出来るのです。

これからもきっとそうだと思うのです。今こうして感じられるこの春の景色を、桜が満開なこの景色を思い出して、自分を癒す時がくると思う。

僕にだって、理想の自分があります。こうあるべきだとか、こうなっていたいだとか、この歳まではこうなっておきたいとか。現実の自分と比べるとなんだか情けなくなる。心にぽっかりと穴が開いてしまう。過去の自分を憎むときもある。振り返ってみれば後悔ばかり。それでも、そんな過去の中でもキラキラしたものだってあるものなのです。

それは桜が散る時の光景のようにも見えるのです。そのひとつひとつの花びらが僕を満たすように、過去のキラキラしたひとつひとつの思い出がこれからも、僕を満たし、癒してくれるものだと思う。

今日も、精一杯頑張っていこう。それも、小さな花びらに変わるから。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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