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詩『Good bye and happy birthday !』


忘れはしない。ひとつの終わりと始まり。高校三年生の秋。祖母の葬式。物心ついて、初めての身内の葬式。細長い柩に入れられていた遺体は、黄黒く枯れた蝉のようだった。みじかい夏のざわめきが何十年分も煮詰まって、しずかに、しずかに、水面下で焦げついた色。おとなのほろ苦い味がした。それはよく知っていたふくよかな祖母ではなく、末期癌の縮図だった。柩に花を一輪ずつ入れたとき、生前の祖母の姿が遺体に還っていったから、内部より海水が溢れ出して、それぞれの津波を堰き止められなくなった。みんな、みんな、おおきな波音がうなりを上げた。獣のような野太いこえ。記憶のなかの祖母の声の渦巻きや白粉の匂いがつん、と鼻をついて、死というものに顔面を突きつけられた。背後で神のつよい両手の圧力が最初に芽を出した日だった。出棺の時、わたし、は遺影を抱いた。遺影の祖母の写真はカラーだったが、色がこころに入ってこなかった。内部はあのほろ苦い味の地図一色で、ぎゅうぎゅう詰めだった。しずかに泣きながら、うつむいて歩きつづけた。背後に待っているいのちの終わりが鮮明に現像された日だった。終わらない問いの始まり。生きることと死んでゆくこと。そしてそれぞれの海を泳ぐ日々。暑い日も寒い日もつづいてゆくみちのりよ。

*  *  *  *  *  *

それからもときどき神の両手のちからに揺さぶられることがある。ひとびとが乗っている船が激しく揺さぶられることがある。避けられないアクションペインティングだ。生きるというライブペインティングだ。絵の具に塗れて、いろんな色彩に塗れて、汗をかきながら、涙を滲ませながら、波紋を描く。夜の畔や朝のひかりの眩しさのなかで、こころのひだを縫い合わせてゆく。いちにち、いちにち、のパッチワーク。366日目には、またあたらしい歌が生まれ出す。またひとつ年を重ねて、またひとつ死に接近する。死という台風は避けられない。ひとびと、という列島を縦断する。死んでゆくいのちも、遺されるいのちも、踏み拉かれる。ちいさな、ちいさな、いのちのともしび。誕生日ケーキのうえで、ゆらゆら燃えている。母親はあたらしいいのちを孕むことができる。胎内で終わるいのちも、胎内から産み落とされて、成長してゆくいのちも、ひとつ、ひとつ、時間を燃やし尽くす。限られた時間という記憶のノート。ノートで作曲する。生きるうたを描く、生きるうたを作曲する、生きるうたを演奏する、生きるうたを歌う。毎日、毎日、ひとつの蝋燭の炎が消えていって、またひとつの蝋燭に炎が点火される。ひとつ祖母の年齢に近づいた。今年、母は祖母の死んだ年齢に並ぶ。

『Good bye and Happy birthday!』

ちいさい子供の頃は、誕生日が楽しみでしかたがない。プレゼントと苺のデコレーションケーキ。少なくて細い蝋燭。おとなになる度に、蝋燭は増えて、ほろ苦いキャラメル味のバースデーケーキになる。海に溺れないように、もがきながら泳ぐこと。波紋は芸術になる。蝉の鳴き声はいのちの音楽。蝉の生命はとてもみじかい。あの日をずっと忘れない。


photo:見出し画像(みんなのフォトギャラリーより、みれのスクラップさん)
photo2:Unsplash
design:未来の味蕾
word&poem:未来の味蕾

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