むく

発達性トラウマ障害と一緒に生きる24歳。虐待を経験した私だから伝えられる事を真っ直ぐ伝…

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発達性トラウマ障害と一緒に生きる24歳。虐待を経験した私だから伝えられる事を真っ直ぐ伝えていきたいです。感じすぎて生きづらいけど生きていきたい私の言葉たち。次の夢はお母さんという立場の人を支えること👫ウォールアートをする事🎨よろしくお願いします。基本書く専用✍🏻

最近の記事

覚悟を持つ滑走路

私は、5歳から精神的な病気を抱えていると医師に言われている。 物心ついた時からずっと病気。私にとっての当たり前。 最近、食べ物の味がするってこういうことかな?とか 頭に雲がかかった感覚これって当たり前じゃないのかも・・とか 少しずつ、でも確実に回復に向かっているように感じる。 半年くらい前から、薄々気がつき始めた。今まで精神科だけで24回入院をして、自殺未遂、痙攣、心因的な呼吸停止でICUに入ったのも合わせたら30数回はあるんじゃないかな、そんな中で、あれ?もしかしてだけ

    • 正しさがほしくなる時

      ふっ!!と勢いがついて急に一人暮らしを始めた。 父は猛反対で『どうせお前には出来ないんだから解約料かからないところを調べろ』と言っていて選んだ家に今、いる。 私は、母がいなかったのでいろんな家事スキルを知らない。 もちろん料理は友達に振る舞えるくらいには作れる、とか洗濯機の使い方はわかる、って基本的なことはできるけれど伝わるかなあ 自動車に乗る仕組みを人から説明してもらって頭で理解できたのだけど実際乗ってみたら操作上手く出来ない、みたいな。 それらの作業にぬくもりや魂が入っ

      • お誕生日おめでとう。

        嫌なことに気が付いてしまった。 わたしは現在23回目の入院中である。 そして、今までに無いほど焦っている。 それは自分が本気で病気と向き合わなければ病院にいるだけじゃ治っていかない、と気が付いたから。いや、遅っ。 焦るのは違うと思いながらもでも、焦るよ、こんなん。 それを看護師さんに伝えたら、「1年後かもしれないし、8年後かもしれない事を今日気付けて私はお誕生日おめでとうと思いましたよ!」って言われた。少なからず救われた…。 わたしの病状を簡単に説明するとこんな感じ。

        • 辛いとても辛い

          今わたしはとても辛い。 急に暴れたくなる、死にたくなる強い衝動性、 生理的欲求を感じなくなる感覚鈍麻、 頻繁に倒れたり、常に自分が離れた感じがする解離。 この前は急に死にたくなって離人感の中、自殺防止のホームドアを飛び越えて線路に落ち、男の人達が服や腕を掴んでくれて臨時でホームドアを開けて今、生きてる。応援の駅員さんが他の駅から来て、警察も来て気付いたら袋麺を袋から取り出したみたいな隙間の扉の広い保護房で解離して倒れてた。外には警察官が5人居た。 主治医にはいつ措置入院に

        覚悟を持つ滑走路

          わたしが相手を想うより、 相手がわたしを想う気持ちが弱いのは時に寂しく辛いもの。 でもそれでいい。 ずーーっとそうでありたい。

          わたしが相手を想うより、 相手がわたしを想う気持ちが弱いのは時に寂しく辛いもの。 でもそれでいい。 ずーーっとそうでありたい。

          名乗らず帰る人

          わたしは、19歳の頃からの夢「個展を開く」というものを達成したのですが(1つ前の記事参照) 不思議な気持ちになる出来事が1つありました。 少し分かりずらい所にある会場だったのですが、わたしがたまたま背のびをしに外に出た時、迷わずスタスタとこちらに向かって歩いてくる30代前半の女性が目にはいりました。 急いでるな、と思ってふふん〜と見ているとその人は会場に入ってきました。 そしてその瞬間その女性はぶわっと泣きだしました。そして 「覚えてる?」 と聞いてきました。わたしは驚

          名乗らず帰る人

          初めまして、個展。

          わたしはこのnoteを20歳のときから書いていますが最初に書いた自己紹介に、夢は個展を開くことだと、書いていました。 そこから3年。25日〜30日まで個展を開いています。そう、夢が、叶いました。 19歳の時に思ったんです。精神科の慢性期病棟。何重にもある扉の奥に身体拘束をされて横たわっている時に。 今わたしが生きていることを知っている人は少ないだろうな、って。 19歳でそんな感情を抱く人なんてそんな多くないと思うんです。 それでもわたしはそれに気がついてしまって。 もうこの

          初めまして、個展。

          虐待を受けたなら死ねばいい

          この言葉を聴いて、は?やばいやつじゃん。と思ったあなた。是非最後まで聞いて欲しいです。 私は主に母親から虐待を受けて育ちました。 身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、そして少しのネグレクト。 中学2年生の時に児童相談所に保護されて、更にその後精神科の児童思春期病棟に1年10ヶ月保護されました。 私の症状のひとつにフラッシュバックがありました。 暗く深い夜の海に逃げきれない程の無数の手で海の底に引っ張られるような感覚。 匂い、音、空気の味、全部が母に殴られるあの瞬間とリ

          虐待を受けたなら死ねばいい

          論理的にとかではなく私は幸せだ

          私は、幸せだ。最近幸せというものを知った。 ずっと複雑性PTSDと闘ってきて、やっと最近。 ご飯が食べることができて。お布団があって。とかきっとそんなものに幸せを感じることが正しいとされているのだろうけど、今までの私にはその「幸せ」にもなんとも言えない苦痛がセットになってくっついていてだから幸せと感じるべきことも感じられなかった。 それに関して多少の罪悪感と、少しの焦りは感じていたけれど幸せと感じられないものは感じられないのだ。仕方がないと思っていた。 だけれども最近

          論理的にとかではなく私は幸せだ

          衝動性が行動力に変わった瞬間

          私は、発達性トラウマ障害の特性としてずっと衝動性に悩まされてきた。 急に飛び降りたくなって高速道路を下が走る歩道橋から飛び降りようとしたし、腕を切りたくなったら考える隙もなく切った。お腹を切ったらどんな風になるのかと思ったら包丁でお腹を刺した。 こうして理性を持ち、考えることを知らずに生きてきた私だったが、最近そういった行動がめっきり減っているのだ。それを自分なりに分析してみた。 私は行動力と衝動性は紙一重だと思っている。衝動性というのは悪い結果になってしまうかもしれな

          衝動性が行動力に変わった瞬間

          辛い人or健常者生き方の葛藤

          私今めっっちゃ悩んでる! 凄く簡単にいうと健常者としての生き方が分からん! 最近嬉しいことにどんどんPTSDの症状が良くなってきていて健常者に近づいていると感じる。そんな今だからこそ感じる悩み。 ただただ寂しい時や友達関係でしにたっ!ってなった時健康な人は入院でも自殺相談窓口でもなくどうやって乗り越えるの?! 入院したい?って自分に問いかけるとめちゃくちゃ辛いのに迷いなく🙅‍♀️でいやいや入院しても私の欲しいもの何一つ手に入らないんだわ。って思うの。 今までの入院で求めて

          辛い人or健常者生き方の葛藤

          人生のビラ配り

          私は今まで自分が辛くなる選択ばかりとって生きてきた。支援者になりたくて、未来に出会う1人でも多くの人の1つでも多くの感情に共感できるようになるためには苦労が必要だから噛み締めようと。 でも最近もうそろそろ辛い経験はいいかな。って思うようになった。私がさっさと幸せになって早く困ってる人に余裕を持って寄り添いたい。って。 「むくちゃんが寄り添おうとしてその気持ちを受け取ってもらえなかったら悲しくはならないの?」 ってある時聞かれたことがあった。そんな時私は思ったんだ。そうだ、

          人生のビラ配り

          1年後のお昼ご飯を考えるおばさんの話

          私はつい最近まで精神科に入院していた。 そんな時、看護師さんから聴いたあるおばさんのお話。 どんな時にも不安はつきものである。 行動力がある、言葉通り行動する力だけある(後先を考えていない)という嫌味を言われる私でさえ、そこには不安がついてまわるのだ。 退院する時は特に、どんな生活が待っているのか、そこにどれだけの辛さがあるのか不安で看護師さんにその思いを伝えた。 そうしたらこんな話をしてくれた。 「前の病院に1年後のお昼ご飯の事を悩んで苦しんでいる人がいたの。その人は色

          1年後のお昼ご飯を考えるおばさんの話

          人生で1番辛かったこと

          私は只今、精神科に16回目の入院中である。 そして今、私は身体拘束をされている。 手首と、お腹にベルトが巻かれ、頑丈な金具でとめられる、抜けないようにきつく、きつくきつく…そう、一生懸命に締め上げる看護師さんは何を思うんだろう。 きっと、嫌がらせだったりそんなんじゃなくて、私の安全を守ろうと仕事をしているだけなのだと思うのだか、それにしても何を、思うのだろう。 そんなことを考えながら私の人生で1番辛かった話をしようとおもう。 私は14歳の時に初めて入院をした。約1年10ヶ

          人生で1番辛かったこと

          一時保護所ってこんなとこ①

          私は中学2年生の時に児童相談所の一時保護所に保護された。その時のお話。施設に興味がある人、子ども達のいる環境をよりよくしたい人に読んで貰えたらなにか得られるものがあると思う。ちなみに私も子ども達の環境を良くしたい人の1人だ。 私の保護理由は主に、両親からの身体的虐待、心理的虐待が原因だった。 学校に毎日施設の職員さんが来て、放課後面談した。面談から逃げようとした私は玄関で待ち伏せしているたっくさんの素敵な先生達に引きずり戻され、また相談室で私を保護する為の説得が始まるのだ

          一時保護所ってこんなとこ①

          遺影を撮って生きることにした

          私は、去年の始め、遺影を撮った。 いわゆる生前遺影というものを。 ずっと死にたかった。 もう自分が手に負えなかった。このまま生きていたら魂までもが傷ついてしまいそうで、それに焦っていた。もう、死ぬことしか考えられなかった。病気も治らないし誰かを責めながら生きる人生はもうやめにしたかった。 そして、覚悟を決めて自分でお葬式の準備を始めた。お通夜に来て欲しい人リストを書き、遺書をたくさんしたためて、そして、モデルになる!!とみんなに宣言して、カメラマンの所に行き、遺影を撮った

          遺影を撮って生きることにした