記事一覧
お誕生日おめでとう。
嫌なことに気が付いてしまった。
わたしは現在23回目の入院中である。
そして、今までに無いほど焦っている。
それは自分が本気で病気と向き合わなければ病院にいるだけじゃ治っていかない、と気が付いたから。いや、遅っ。
焦るのは違うと思いながらもでも、焦るよ、こんなん。
それを看護師さんに伝えたら、「1年後かもしれないし、8年後かもしれない事を今日気付けて私はお誕生日おめでとうと思いましたよ!」って
わたしが相手を想うより、
相手がわたしを想う気持ちが弱いのは時に寂しく辛いもの。
でもそれでいい。
ずーーっとそうでありたい。
虐待を受けたなら死ねばいい
この言葉を聴いて、は?やばいやつじゃん。と思ったあなた。是非最後まで聞いて欲しいです。
私は主に母親から虐待を受けて育ちました。
身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、そして少しのネグレクト。
中学2年生の時に児童相談所に保護されて、更にその後精神科の児童思春期病棟に1年10ヶ月保護されました。
私の症状のひとつにフラッシュバックがありました。
暗く深い夜の海に逃げきれない程の無数の手で海の底
1年後のお昼ご飯を考えるおばさんの話
私はつい最近まで精神科に入院していた。
そんな時、看護師さんから聴いたあるおばさんのお話。
どんな時にも不安はつきものである。
行動力がある、言葉通り行動する力だけある(後先を考えていない)という嫌味を言われる私でさえ、そこには不安がついてまわるのだ。
退院する時は特に、どんな生活が待っているのか、そこにどれだけの辛さがあるのか不安で看護師さんにその思いを伝えた。
そうしたらこんな話をしてくれ
一時保護所ってこんなとこ①
私は中学2年生の時に児童相談所の一時保護所に保護された。その時のお話。施設に興味がある人、子ども達のいる環境をよりよくしたい人に読んで貰えたらなにか得られるものがあると思う。ちなみに私も子ども達の環境を良くしたい人の1人だ。
私の保護理由は主に、両親からの身体的虐待、心理的虐待が原因だった。
学校に毎日施設の職員さんが来て、放課後面談した。面談から逃げようとした私は玄関で待ち伏せしているたっく
遺影を撮って生きることにした
私は、去年の始め、遺影を撮った。
いわゆる生前遺影というものを。
ずっと死にたかった。
もう自分が手に負えなかった。このまま生きていたら魂までもが傷ついてしまいそうで、それに焦っていた。もう、死ぬことしか考えられなかった。病気も治らないし誰かを責めながら生きる人生はもうやめにしたかった。
そして、覚悟を決めて自分でお葬式の準備を始めた。お通夜に来て欲しい人リストを書き、遺書をたくさんしたためて