長月みそか

漫画家

長月みそか

漫画家

マガジン

  • 表現規制についての雑感

    表現規制について個人的に思うことをつらつらと

記事一覧

チー牛

Xでチー牛叩きが話題になっていた。 「チー牛」とは「チーズ牛丼を好んで食べていそうなキモい底辺男性」という意味の侮蔑語で10年ぐらい前からちらほら聞くようになった…

1

クリエイター搾取とマーケター

企業による末端クリエイター搾取問題は、そもそもがパワハラなので立場の弱い末端クリエイターにできることは少ないけれど、容認してきた自分たちにも責任の一端はある。 …

長月みそか
1か月前
2

絵で食べていこうという思い上がり

本来自分は自己肯定感がかなり低く、絵を仕事にできるような能力があるとは思ってもいなかった。 しかし、90年代ぐらいまでは「こんなんでいいなら、僕の方がもう少し上…

長月みそか
1か月前
2

ブーメラン

結論としては同意するものの、無視できない矛盾をはらんだ主張を目にした。 理想や大義の前の小さな矛盾には目を瞑るべきという考え方はできればしたくない。 そうなると同…

2

「モノ化」と「性的消費」について

性的な差別や搾取と表現規制の是非に伴い、近年よく見かけるようになった言葉に「モノ化」や「性的消費」という言葉がありますが、その定義は非常に曖昧で恣意的に使われが…

4

オタクは女性の敵か

オタクは女性の敵なのだろうか。 「女性の敵」を「実在する女性を性的または社会的に搾取・支配する男性」と定義した場合、その多くは非オタク層なのではなかろうか。 女…

3

オタクvsフェミ

オタクvsフェミといった構図の紛糾がネット上で盛んになって久しい。 ネット上でオタクバッシングに熱心な人たちは、その言い分から察するにミサンドリや性嫌悪に加えて…

差別について

差別というものを初めて知ったのは、小学校の道徳の時間だった。 しかし、差別を身近に実感する機会が少なかった当時の自分にとって「ふうん・・・そういうことがあるのか…

猥褻とゾーニング

春画展の開催に際し、「春画は猥褻か芸術か」という議論が起こりましたが、「わいせつ」の定義が曖昧なため議論は平行線をたどりました。 まず「性的である」「裸体である…

3

少女観察論

WEBコラム「女子中高生に固執する成人男性たち」に端を発したツイッターでの一騒動がありました。 あまりに論点が多すぎて整理しきれませんが、「町中で女子中高生を観察…

2

パースのあり方

しばしばパースの話をしているため、自分はパース理論至上主義と誤解されることがあります。 しかし、僕自身は知識や理論・技術などに対して原理的に固執することをよしと…

2

解像度のお話

解像度というと「なんか難しいんじゃない?」と、あえて勉強しないできた絵描きの人も少なくはないようですが、デジタルで絵を描いたり、PCでデジタル画像を取り扱う仕事…

1

誇りをもって

つまらないプライドを持つよりは、誇りを持ちたいものです。 誇りは誰にでも持つことができます。 なぜなら、それは実績や実力の優劣で担保するものではなく、自らがどう…

チー牛

Xでチー牛叩きが話題になっていた。
「チー牛」とは「チーズ牛丼を好んで食べていそうなキモい底辺男性」という意味の侮蔑語で10年ぐらい前からちらほら聞くようになった。

「オタク」違うのは無趣味であっても該当する点で、より広く曖昧な定義となっている。

〈ルックスやコミュニケーション能力に自信が持てず、うつむき気味に生きてきた元スクールカースト底辺層〉というイメージなのだろう。

そもそもなぜチー牛

もっとみる

クリエイター搾取とマーケター

企業による末端クリエイター搾取問題は、そもそもがパワハラなので立場の弱い末端クリエイターにできることは少ないけれど、容認してきた自分たちにも責任の一端はある。

近年はだいぶ改善されてきたものの、クリエイターに関わるビジネスや企業が昔よりも多様化して増えたことで差し引きゼロともいえなくはない。

いつだったかの忘年会で代理店のお偉いさんに絡まれた。

「世の中に価値を創出してるのは俺等であって、ま

もっとみる

絵で食べていこうという思い上がり

本来自分は自己肯定感がかなり低く、絵を仕事にできるような能力があるとは思ってもいなかった。

しかし、90年代ぐらいまでは「こんなんでいいなら、僕の方がもう少し上手にできるかも?」と思うような、あまり質の高くない広告カットが世の中にあふれていた。

それは間違いなく、絵で食べていく道を選んだ理由のひとつだった。

「絵で食べていけたら幸せだろうな。」
「もしかしたら自分にはギリギリそれができるのか

もっとみる

ブーメラン

結論としては同意するものの、無視できない矛盾をはらんだ主張を目にした。
理想や大義の前の小さな矛盾には目を瞑るべきという考え方はできればしたくない。
そうなると同意していた結論も危ういものに感じられてしまう。

0か100でしか考えられず、100を絶対だと考える人にとっては、99でも許せない。
100という無謬性を担保するために無理な主張をくりかえせば、必然的に矛盾も生じる。
その矛盾を指摘して無

もっとみる

「モノ化」と「性的消費」について

性的な差別や搾取と表現規制の是非に伴い、近年よく見かけるようになった言葉に「モノ化」や「性的消費」という言葉がありますが、その定義は非常に曖昧で恣意的に使われがちなため、建設的な議論の妨げになっています。

これらの言葉を分析してみると、大きく分けて2つの意味を持っていることがわかります。

(1)実在の女性を「モノ」として性的に搾取すること
(2)想像上の女性を性的に表現した「モノ」を消費するこ

もっとみる

オタクは女性の敵か

オタクは女性の敵なのだろうか。

「女性の敵」を「実在する女性を性的または社会的に搾取・支配する男性」と定義した場合、その多くは非オタク層なのではなかろうか。

女性の敵となる男性の多くは基本的に「こじらせた支配欲を不適切な方法で実行する人物」であるといえる。
「支配欲をこじらせた人物」は「負け組」であると思われがちだけれど、そうともいい切れない。
それは、痴漢常習犯に高学歴が多いことからも伺える

もっとみる

オタクvsフェミ

オタクvsフェミといった構図の紛糾がネット上で盛んになって久しい。
ネット上でオタクバッシングに熱心な人たちは、その言い分から察するにミサンドリや性嫌悪に加えてオタクフォビアをともなった先鋭的なラディカル・フェミニストの一派だと思われるため、単純にフェミとしてくくってしまうのは非常に危うく、まっとうなフェミニストへの風評被害になりかねない。

また、その表現規制運動に便乗する男性も少なからず見受け

もっとみる

差別について

差別というものを初めて知ったのは、小学校の道徳の時間だった。

しかし、差別を身近に実感する機会が少なかった当時の自分にとって「ふうん・・・そういうことがあるのか」ぐらい、差別は他人事だった。

そんな自分が最初に差別を実感したのは、それから十数年後のこと。

20代前半の頃、仕事で会った関西出身の中年男性と話をしていた時、突然彼が部落差別発言を口にした。

とにかくギョッとしたし、強烈な気持ち悪

もっとみる

猥褻とゾーニング

春画展の開催に際し、「春画は猥褻か芸術か」という議論が起こりましたが、「わいせつ」の定義が曖昧なため議論は平行線をたどりました。

まず「性的である」「裸体である」「性行為を取り扱っている」このどれもが「わいせつ」を成立させる直接的な要素ではありません。

そもそも、「生命の根源である性」に対する表現を禁忌とする考え方自体がキリスト教的な古い偏った価値観であり、物事を論理的に考える上では非常に煩わ

もっとみる
少女観察論

少女観察論

WEBコラム「女子中高生に固執する成人男性たち」に端を発したツイッターでの一騒動がありました。

あまりに論点が多すぎて整理しきれませんが、「町中で女子中高生を観察し、それを絵に活かすこと」の倫理的な是非が問われるのであれば、自分としては考えざるをえない問題です

基本的にこのような「観察事案」において、「どういった心情で観察していたか」を考慮することは無意味です。

知り合いに似てると思っただけ

もっとみる

パースのあり方

しばしばパースの話をしているため、自分はパース理論至上主義と誤解されることがあります。

しかし、僕自身は知識や理論・技術などに対して原理的に固執することをよしとしないスタンスなので、パースについても同様で至上主義とは対極の立場です。

パース理論にかなってない絵がダメだとは少しも思いませんし、パースがとれているにも関わらず臨場感のない背景を描くくらいであれば、パース無視の方がはるかに良いと思って

もっとみる

解像度のお話

解像度というと「なんか難しいんじゃない?」と、あえて勉強しないできた絵描きの人も少なくはないようですが、デジタルで絵を描いたり、PCでデジタル画像を取り扱う仕事の人にはどうしても必要な知識です。

「解像度の事はよく分かってないけど、この際覚えておきたい」という方だけ読み進めてください。
できる限り簡単に説明しますが、算数のお話も多くなるので数字が苦手な人はちょっとだけ我慢してついてきてくださいね

もっとみる

誇りをもって

つまらないプライドを持つよりは、誇りを持ちたいものです。

誇りは誰にでも持つことができます。
なぜなら、それは実績や実力の優劣で担保するものではなく、自らがどう取り組んできたかに対して持つものだからです。

物事と誠実に向き合い、真摯に取り組む人であれば、誰にでも持つことができるのが誇りというものです。

もし実績や実力の証明を必要とし、それに依存しなければならないようなものであれば、それはすで

もっとみる