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声にならない声を聞かせておくれよ #おじいちゃんおばあちゃんへ

ここ2年ほど、祖父に会っていなかった。

私の祖父はコロナ禍の間に脳梗塞を発症し、長い入院を経て今は老人ホームに入居している。私が事の顛末を知ったのはかなり後になってからで、半年ほど後に帰省して初めて実家に祖父がいないことを知った。

祖父はかなりの健康体だった。
風邪などちっとも引かず、毎日車を乗り回して釣りに行ったり大工の仕事をしたり寺に行ったり。大好きな酒を毎晩飲み8時には寝る。大病といえば腰の病気で手術をしひと月ほど入院したぐらいのもの。そんな祖父の姿を見てきただけに、その衝撃はあまりに大きかった。

居間に布団を敷いて、いつも寝ていた祖父。祖母とこたつに入ってまったりとしていたその姿が見えない帰省は、何だか全てが物足りない気がしてどうしても寂しかった。


今年の正月。
コロナによる規制もだいぶ緩和されてきた。

私は実家に連絡して帰省のタイミングに合わせて面会の予約を入れてもらい、私は数年ぶりに祖父の顔を見ることとなった。帰る前に大阪でちゃんと父へのお土産を買っていき、それを持って私は老人ホームへ向かった。酒飲みの祖父が好きそうなさきいかの天ぷら。酒が飲めないにしろ、せめておつまみだけでも楽しんでほしい、という私の気持ちだ。

規制緩和とはいえ、老人ホームは集団感染すると一気に機能が止まる。面会は、玄関ホールを封鎖しガラス越しに携帯電話で話すというスタイルをとっている。受付で祖父を呼んでもらい、面会ブースで待機する。

車椅子に乗った祖父がやってきた。
見ただけでわかる。とても眠そうだ。

「お昼寝してたんですよね〜」

ホームの職員さんがそうおっしゃられていた。だろうな。家族だからやっぱり見たらわかる。ちょっと笑いつつ、私は受話器を耳に当てて祖父と話を始めた。でも、どうにも噛み合わない。脳梗塞の後遺症である脳の障害で、おそらく上手く言葉が出なかったり喋りずらかったりするようである。事前にそのことを母からも聞いてはいた。いたのだが、想像以上に話せていない。

なるべくゆっくり。
そして、一語一語をはっきりと。
私は、人生で一番丁寧に言葉を発した。

大阪で頑張って仕事をしていること。帰省して帰ってきたこと。ここ最近あった嫌なこと。お土産を買ってきたこと。祖父の記憶から私が間違えてこぼれ落ちそうにならないように満たすために。私はなるたけいっぱいいっぱい喋った。

電話を繋いでも、祖父の声は遠くてなかなか聞こえない。しばらくは耳に当ててるけど、腕がだるいのかすぐ勝手に受話器が遠ざかってしまう。近いのに遠くから聞こえる声。私は耳を澄まして、祖父の声を逃さないようにしっかり耳を傾けた。

「また帰ってくるからね、元気でいてよ」

嘘のない言葉をかけている。
でも、なのに心がざわざわして。

どんなことをその後母と話せば良いのか私には皆目見当がつかなくて。そのまま家まで黙って車に揺られていた。正直なところ心のどっかで、まだ普通に喋れたり元気に歩いてたりする祖父を期待している自分がいて、でもそんな期待はあっさり裏切られて。あまりにも年老いて上手く喋れない祖父の姿を見た自分。言葉は何も出なかった。

反抗期で強く当たったり、嫌悪した瞬間もあったりしたけど、いろんな思い出を作ってくれて、いつもそばにいてくれて、楽しい家族でいてくれた祖父。その祖父のために私には何ができるんだろう。博多行きの特急電車の窓の外。どこまでも続く暗い夜空と、平野の大地を見ながら私はぼんやりと考えて、でもなかなか答えは出なかった。

今はもう、声にならない声を聞くしかない。
それが、唯一自分にできることなのだろう。



おしまい。



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