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【今日のnote】人から言いたい放題言われるのが「やさしい人」ではない。

 どうも、狭井悠です。

 毎日更新のコラム、54日目。

 昔のことを思い出して、「そんなこともあったんだなあ」としみじみ思ったことがあったので、ちょっと書いておきます。


 先日、長い付き合いの友人と二人で飲んでいたときのこと。

「そういえば、前に皆で集まっていたときにさあ、お前あんなこと言われていたよね」

「え、そんなこと、言われてたっけ?」

 僕は十代の頃から付き合いのある友人たちと、年に何回か集まることがある。友人が言う「前に集まっていたとき」とは、数年前の集まりの時の話だ。

そこで話題になったのは、僕の過去の恋愛に関する話だった。

 正直、思い出すだけでも腹が立つような内容なので、ここでは詳しい記述はしないけれど、数年前の友人たちとの集まりで、僕が周りから茶化されるように言われていた内容は、どう考えても失礼な話だった。

 まあ、その場の雰囲気で笑い話のように言われていたことなのだろうけれど、時間が経ってから客観的にその話を聞くと、面白くもなんともなく、単なるハラスメントでしかない。


「なんだそれ」と真顔でいいながら、当時の自分のことを思い出しているうちに、人から言われたい放題言われても何も感じなくなっていた自分が過去にいたことに気づいたのである。


 数年前の僕は、東京で会社員をやっていたのだけれど、いわゆる社畜状態だった。

 長時間労働は当たり前で、上司からハラスメントにあたるようなひどい当たり方をされても、「まあ、仕方ない」となんでもかんでも受け入れて、ヘラヘラとその場をしのいで、酒を飲んで忘れて、なんとか毎日を生きていた。

 そういう自己肯定感の低い状態で日常を送っていると、周りの人間から何を言われても、何も感じなくなるような状態に、人はなっていくのだ。

 結果、そうしたきつい環境で毎日こき下ろされながら生きることで、僕は何度か精神的にも参ったり、体調を崩したりを繰り返すような不甲斐ない会社員生活を送っていた。


 当時の僕は、そんなひどい環境下で毎日働いていたので、友人たちが茶化すような感じで、あきらかにハラスメントにあたるような失礼な話をしはじめても、たぶん、何も感じなかったのだろう。

 ヘラヘラとして、その場をしのいでいたに違いない。


 そして、当時の僕にたいして、周りの人間が一貫して下していた評価は、「お前はやさしい奴だから」というものであった。

 何を言われても、何も言い返さない。いつでもヘラヘラしている。お前はほんとうにやさしい奴だよね、といった文脈だ。


 しかしながら、今になって思うことは、当時の僕は「やさしい人」なんかではなく、たんなる「感情のない人」だったんだろうなということだ。

 誰に何を言われてもヘラヘラしている、感情のない人。

 それが、数年前までの僕の姿だったんだろうなと思う。


 しかしながら、以下に紹介する「いちどっきりの人生だから」というコラムで書いたとおり、僕はこの1年半ほどの間に、ほとんど別人になってしまった。

 大切な家族が事故で死に、自らも病で倒れ、「いちどっきりの人生を自分らしく生きよう」と決めて、フリーランスとして独立した。

 これまでは主張してこなかった自分の想いをしっかりと主張し、「なんでもやる人生」から、「これしかできないことをやる人生」に切り替えた。

 代理店やクライアントと真正面からぶつかって仕事をし、自分の持つスキルのすべてを活用して、ひとりでお金を稼ぐ方法を覚えていった。

 そうした過程で、僕は失われていた僕自身を取り戻していったのである。


 そんな中で、あらためて思うのは、人から言いたい放題言われるのが「やさしい人」ではないということだ。

 やさしい人とは、つよい人であり、こわい人でもある。

 自らの意志を持って日々を生き、良いことは良いと伝え、悪いことは悪いと諭し、分かり合える人たちと手をつなぎ、分かり合えない人たちとは離れる。

 そうしたシンプルな生き方をつらぬく人こそが、本当の意味での「やさしい人」なのかもしれない。


 友だちについては、以下の詩で、今の僕が思う「友だち観」を端的にまとめてみた。


 お互いに尊敬し合えるような、
 常に高め合えるような、
 そんな人たちだけが友だちだ。

 僕は、必要とする「友だち観」を、上記のように結論づけた。

 お互いに尊敬し合い、高め合えるような人たちを、何よりも大切にしていきたいし、そうした人たちと時間を過ごすことを選択していくことこそが、これからのキャリア・人生をつくりあげていくうえで重要であると考えている。


 一方で、いつまでも過去の「感情のない人」だった頃の僕の姿に執着したコミュニケーションしかとれないような人間たちや、言いたい放題言ってもかまわない人間なのだと僕のことを誤解しているような人間たちとは、どんどん離れていくことになるだろう。


 まあ、でも、仕方がないよ。

 人から言いたい放題言われるのが「やさしい人」ではない。


 僕はこれから、本当の意味での「やさしい人」を目指していきたいと思う。

 やさしい人とは、つよい人であり、こわい人でもある。

 自らの意志を持って日々を生き、良いことは良いと伝え、悪いことは悪いと諭し、分かり合える人たちと手をつなぎ、分かり合えない人たちとは離れる。

 そうしたシンプルな生き方を、僕は貫いていきたい。



 さて、今回は「やさしい人」について思うことを書いてみました。

 今日もこうして、無事に文章を書くことができて良かったです。

 明日もまた、この場所でお会いしましょう!

 ありがとうございました。ぽんぽんぽん。

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