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お腹が弱い私が提唱する「腹痛のABC」

私はお腹が非常に弱い。

それは今に始まったことではなく、
子供の頃から現在まで片時も変わらずなため
親お墨付きの弱さなのだ。

食べ過ぎれば腹痛、お腹が冷えれば腹痛、
なぜか知らないが腹痛。

最後に至っては理不尽極まりないが、
事実この厄介な難敵との戦いが日々繰り広げられている。


こうも長い間腹痛と戦っていると、
いくつかのタイプがわかってくる。

奴らには種類があり、
それ相応の対応をしなければならない。

ただトイレに駆け込めばいいという話ではないのだ。

現在までの私の経験上3種類経験しているため
勝手に「腹痛のABC」と呼んでいる。

あまり腹痛に縁がない方にもわかるように
経験談を交えながら解説していこうと思う。



まずはAタイプ。

これはトイレに行けば原因を根絶できる、
最もベーシックな腹痛だ。

多くの人が腹痛と聞いてこれを思い浮かべるであろう。

痛みは時と場合によるが、
対して痛みを伴わないものから
強烈な痛みを提げて訪れる時もある気分屋だ。

基本的に何かを食べた・飲んだ後に訪れ、
Aタイプを患った人はトイレのことしか考えられなくなる。

基本的にトイレに行けば解決するため
対処しやすい部類ではあるが、
二次災害的にトイレが見つからない状況や
電車内といった物理的に行けない状況において、
人生においても最大級の絶望感を感じることになるだろう。

頭の中でいかにトイレに行くか、
どこにトイレがあるかを
とんでもないスピードで思考しながら
解放されるその時を夢見て全力を尽くす必要がある。

そうして満身創痍になりながら
無事トイレにたどり着いた時の安堵感ときたら。

この時ほど生を感じることは
ないだろう。

なお、種類によってはトイレ後にも
痛みを置き土産として残す
極悪なタイプもいるため注意が必要だ。



続いてBタイプ。

私がこれを初めて経験したのは
ある暑い夏の日だった。

定番そうめんをたくさん食べた後、
案の定腹痛に見舞われた。

トイレに行くしか能がなかった
幼き頃の私はそこで違和感を感じる。

今回は明らかに様子が違う。

トイレにいても解決しない。

そう感じた私は自室のベットに向かい、
お腹を重点的に温めながらただ痛みが
過ぎ去っていくのを待った。

Bタイプの正体とは
お腹に痛みを感じるがトイレに行っても
何も解決しない、ただ耐えることしかできない
腹痛である。

いつ発症するかはわからず、
痛みの平均値はAタイプよりも
強いため厄介だ。

しかもいつ治るのか予測ができない。

長い時は拷問のように感じるが、
意外と呆気なく痛みが引く時もある。

もし患った時にできる事といえば
お腹を温め、ビオフェルミンといった
薬を飲んでひたすら治ることを待つしかない。

ちなみに私はトイレに行っても解決しない分
Bタイプの方が嫌いだ。



そして最後はCタイプ。

これは長らく観測されなかった
レアリティの高い腹痛だ。

しかしその実は恐ろしいものになっている。


私が初めて経験したのは
幼少期から時が過ぎ、
高校3年の夏前であった。

その時は誰かの誕生日で、
中華料理屋で大量にご飯を食べていた。

案の定お腹が弱い私は
鋭い痛みを自らの腹部に感じる。

一緒にいた友達を少し待たせ、
トイレに駆け込む。

しかし何も事態は進展せず、
Bタイプなんだなと思い
痛みを抱えたまま合流した。

そのまま解散となったが、
痛みを抱えながら家まで自転車で帰るのは
少々きついなと思いながらも
帰る以外の選択肢はないため懸命に帰宅する。

後数分で家に着くという所で
かつてない痛みが訪れた。

腹の中からヘビー級ボクサーが
ボディーブローを打ち込みまくるような痛みだった。

そして体全体がトイレに行けと
命令しているのを感じる。

ありえない。

一度トイレに行った時は
Aタイプではなかった。

つまりBタイプなはずなのだ。

タイプが途中で変わることは今までの経験上
一度たりとも経験したことはない。

つまりこれは新型なのではないか
という私の推理が頭を巡った。

しかしそんなことを考える暇はなく、
絶え間なく訪れる痛みの嵐に
耐えること数分。

ようやく家に着いた私は
人生で最も早く玄関からトイレに駆け込んだ。

あの時のスピードなら誰にも負けない自信がある。

そうしてトイレに駆け込んだはいいが、
地獄のような痛みに襲われ続けた。

便器の上で腹をさすりながら
痛みに悶絶し神に祈りを捧げるその姿に
何者かが助けをくれてもいいんじゃなかろうか。

そんなことを思いながら
格闘すること數十分。

ようやくトイレから解放された。

とはいえ戦いはまだ終わっておらず、
いまだに痛みに襲われている状況であった。

いつ痛みがなくなったかは
覚えていない。

しかしはっきりとあの日の痛みは
人生でも最大級のものであったと断言できる。


後日この腹痛の考察をしていたが、
これはいつトイレに行く必要があるかわからない、
予測不能の時限爆弾のようだと思った。

そのため私の中では別名時限爆弾として
忌み嫌われている。

痛みはA、Bタイプ両者を凌駕し、
その被害たるや未曾有の災害だ。

今後の人生において2度と体験したくない。

そう思わざるをえない衝撃的な体験だった。



しかし時は流れて今年の冬、
スノボ旅行の帰りの電車にて
奴は突然私の身に襲いかかった。

時限爆弾、再来である。

一緒に旅行に行っていたメンバー
全員が私の顔色が悪いと認識するほどに
時限爆弾が及ぼす影響は凄まじかった。

車内のためトイレに行くことは叶わない。

というよりまだトイレに行っても
なんら解決にもならない。

そのため電車内の腹痛時に起こる
思考が爆速になる現象は
後どれくらいで最寄りに着くのかを
計算し終わった段階で役目を終えていた。

しかし思考を止まることを知らず、
何を考えて良いのか困惑してしまう。

最寄りまでの目安の時間はもうわかった、
トイレはあの駅とあの駅のを使うべきだ、
薬は持っていないためただ痛みに耐えるしかないのだろうか。

そんなことを延々と考えた結果、
私は宇宙の果てはどうなっているのかを
考え始めていた。

人は腹痛に襲われて、追い込まれると
悟りを開こうとするのかもしれない。

電車の中で若干前傾姿勢になりながら、
青白い顔で宇宙に着いて塾考している。

人生で初めての経験だ。

今までのように神に祈るわけでもない、
早く痛みが治らないかと考えることもない。

ただひたすらに答えの出ない問題を
最寄り駅に着く瞬間まで考える。

その時の私は腹痛の向こう側にいた。

そして時限爆弾は優しいことに
私が家に帰るまでトイレに行かせようと
させてこなかった。

地獄のような痛みはあったが、
まだマシである。

そこに妙な優しさを感じながら
トイレに數十分篭る事になったのだが。



これが私が提唱する腹痛のABCである。

表現があっているかわからないが、
これらの強さを不等式で表すなら
C>>>>>B>A
といったところだろうか。

とりあえずCは地獄であり、
それに比べればAもBもどんぐりの背比べだ。


腹痛と一概に言っても
これだけの苦しみと困難がある。

人と腹痛の数だけドラマがあり、
中にはトイレに間に合わなかった人、
現在進行形で戦っている人もいる事だろう。

腹痛というものがなくならない限り、
私たちは常に戦士として戦わなければならないのだ。

時に家で、電車で、社内で、外で。

奴らはいついかなる時に襲いかかってくるのか
一切不明だ。

宣戦布告などせずに襲いかかってくる。

そんな失礼極まりない腹痛に
我々は決して屈してはならない。

そう思う今日この頃である。



こうも腹痛のことを考えていたら
心なしか痛くなってきたような気がする。

まさか考えるだけで痛みが誘発されるとは。

凌ぐことは出来ても人類が腹痛に勝利するには
まだまだ時間がかかりそうだ。

そうこうしているうちに
痛みが本格化してきたためこの辺で終わりとする。


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