「奪う愛」から「与える愛」へ

6日目の夕方2回目の母に対する内観を行っていたところ、大きな発見がありました。

あまりにもの大きなショックで、体中がカーッと熱くなり、耳たぶまでカッカとしました。


私は、7年以上親元から離れて暮らしているので、親に対する感謝の念はとても強くありました。

こんな私には大きな自己変革なんて起きないのかも、と半ば諦めかけていましたが、この日の昼過ぎから母について再び記憶を掘り起こしていましたところ、「なんで父に対しての内観の方が、母に対してのものより深かったのだろう?」とふと思いました。

それで気づいたのが、私は、何かと父に文句を言いながらも、昔からずっと尊敬の念を抱いていたこと、それに反し、母に対しては「尊敬の念」といったものを、感謝してこそあれ全く持っていないとういうことでした。


人間、尊敬している人物にはすぐに感謝の念を持ちますし、その感謝の気持ちも素直なものです。

母に対しての感謝というと、教育費といった金銭的なものが一番大きく、ここで内観しているうちに、そればかりではない、食事等の身の回りの世話をしていただいたことに気づき始めていましたが、「何か」が欠けているのには自分でも気づいておりました。

母に対して幼い頃の私を調べているときに、「あ、昔は母のことをすごく尊敬していた。彼女は、調理師であり、生花の先生、ピアノも教える、リーダーシップも取れて、いつも誰かにスピーチなどを頼まれていた、字もすごく綺麗、歌もうまい・・・」と、母の優れた点がゴロゴロ掘り起こされてきました。

あんなに私のヒロインだった母が、いつから私の中で「小学校の道徳の本に出てくるような(つまらない)道徳観念を持った、哲学的でもない(本など読まない)、私が男性なら付き合いたくないような女性」に変わってしまったのだろう。


私は母を好きだと思っていましたが、心のどこかで彼女を否定し、馬鹿にすらしているところがあるのに気づきました。


7日目
、母について高校生の頃の自分を調べていくうちに、ある情景が思い出されました。

私は夕食後に母に話しかけているのですが、母は「あなたは2階に上がって勉強しなさい」とピシャリと言われる、といったものです。

父は、私のおしゃべりによく付き合ってくれましたが、母にはそれをしてもらえなかった。
そのことで、私は勝手に「母は私を認めてくれない」と思うようになっていたのです。


今にして思うと、母は1日の家事プラス夜遅くまでの学研教室に疲れ、しかも夕食後は次の日の教室の準備をしていたのです。

これでは、本を読まないと私が馬鹿にしたって、読む時間なんて彼女の1日にないのだ、と気づき、目が覚める思いでした。


私は、母に認めて欲しかった、しかし、拒否されたと長年思い込んでしまい、子供じみた仕返しとして、母を認めなくなっていたのです。

それがこの一週間の内観を通して、母がいかにいつも私を認めてくださっていたかがよく分かりました。

これからは、母を心から尊敬できます。

私は今まで、母を馬鹿にしていたのにさえ自覚がありませんでした。


最初の2日
は、頭痛がひどく、床に就く頃には頭がガンガンしていました。
おかげで二日間寝つけなかったのですが、3日目からはリラックスすることができました。

あと、一日三度の食事、とてもとても美味しく頂きました。

おかげで、母にずっと食事を作ってもらっていたことに対する感謝の念が出てきました。

私は、内観中は外界からすっかりカットされた物音一つしないシンとした空間に放り込まれるのかと思っておりましたが、そうではなく、毎日の生活の音が聞こえるのも予期しなかったことです。

朝食、昼食、夕食を作る台所の音、
洗濯物を干している音、
お風呂を沸かす音、etc。
この生活の音を聞いておりますおうちに、子供の頃、母にこうしてすべての面倒を見ていただいていたんだ、と改めて実感でき、とても嬉しく思いました。


自分自身の「まだ足りない」的愛情の要求にも気づきました。

本当に、子供が親にねだるような態度で夫にも接していることに気づかされました。


認められている自分」に気づいた今、「与える愛」が可能になることと思います。

本当に一週間ありがとうございました。

かけがえのない経験
をさせていただきました。

 (東京都 26歳女性 大学院博士課程)

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