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Vol.345 ヒストリーチャンネルが歴史を改ざん?

我が家はよくヒストリーチャンネルを見る。
夫が大の歴史好きだからだ。

この日も息子が寝た後2人で
『日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒(織田信長vs明智光秀)』の録画を見ていた。
本能寺の変が何故起きたのか?を考察する回だ。

すると黙って見ていた夫が一時停止し呟いた。

夫:「これおかしいよ。わかる?」
私:「(数秒考え)あ、本当だ。おかしいね。」

・・・流石は夫婦。
ここら辺の気付きが一致しているw

さぁこれが問題のシーン。
この画面を見て皆さんは〝何が〟おかしいか分かるだろうか? 

そう、正解は

6月2日に満月なんてありえねーよ!


である。
ここまで言えば分かる人も多いだろう。
蘊蓄うんちくじみていて申し訳ないが念のため解説すると、明治5年まで日本は「太陰太陽歴」を使用していた。いわゆる旧暦である。だから本能寺の変が起きた天正10年6月2日未明は「新月しんげつ」、つまり月が全く見えない、真っ暗な状態なのである。

【太陰太陽暦とは】
月の満ち欠けをベースとする暦。
原則として新月をその月の1日ついたちとして数える。
だから三日月みかづきは3日・満月は15日(十五夜じゅうごや)というように、日付と月の満ち欠けに対する呼び方が一致するのである。

【新月とは】
太陽の方角にあるため見られない月の名前。
この日を太陰太陽暦では「朔日」と呼び、1日ついたちと定める。


ちょっと難しい話になったが要は
 ⭐︎真っ暗ならその日は1日!
 ⭐︎三日月だったらその日は3日!
 ⭐︎満月だったらその日は15日!
こうして昔の人は日付を理解したのである。

つまり本能寺の変が起きた日は真っ暗なのよ😭
前日6月1日には日食も起きてるしね(これが本能寺の変が6月2日に決行された理由の1つとも言われてるんだけどそれは長くなるのでまた今度♪)

このように「月」は本能寺の変に大きく関係している。
漆黒しっこくの闇の中で行われる奇襲攻撃、煌々こうこうとした月明かりの中で行われる奇襲攻撃・・・

そもそもの結果だって違っていたかもしれない。

それなのにあろうことか満月の絵を被せるとは。
ヒストリーチャンネルともあろうものが。
歴史の専門チャンネルが。
誰ひとり指摘しないまま放送するとは。

これはどうなんだろうか?

他にもツッコんでる人いるんじゃないかな〜と思い検索したが今のところ誰も書いてない。う〜ん私が細かすぎるのかな。もしくは何か認識違いをしてるのかな…心配になってきた。

どなたかご意見・ご感想があればお聞かせください。





【猫ムスメより】
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