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模造クリスタル 『スペクトラルウィザード』 : 〈普通の人〉の生きづらさ: 哀しみのスペクトラ

書評:模造クリスタル『スペクトラルウィザード』全2巻(イースト・プレス)

私の場合、読書は活字本が中心で、あまりマンガは読まないから、この作家の名も、友人のオススメがあって、初めて耳にした。
ずいぶんヘンテコなペンネームだし、タイトルからすると「ファンタジーもの」みたいなので、私の好みではないのではとも思ったのだが、まあ、大長編でもなさそうだし、ブックオフ・オンラインに安く出てたので、試しに読んでみようかと購読することにした。

第1巻にあたる『スペクトラルウィザード』の冒頭で、いきなり、ぎゅっとハートを掴まれてしまった。

黒っぽいゴシックファッションに身を包んだ少女が、家具のほとんどない、がらんとしたアパートらしき畳敷きの一室に帰宅するシーンだ。

部屋は薄暗く、帰宅した少女の表情は、それ以上に暗い。
怒っているわけではない。眉根を寄せた少女の表情は、まるで生きるのに疲れてしまった人のような、ある種の諦観に満ちたものだ。
部屋の真ん中には、ちゃぶ台がポツンと置かれており、少女はその上に、コンビニで買ってきたカップラーメンなどの入ったレジ袋を、放るようにして置く。

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簡単な食事を終えた少女は、そのままの格好で、畳の上に横になっている。
やはり、一人暮らしのようだ。

そして、と心の中で、ポツリと漏らす。

「ぬいぐるみでも ほしいな…」

クマの出来損ないのようなぬいぐるみと踊っている、自分の姿を思い浮かべる。

「そうすれば毎日楽しくて…私も少しは元気が出るかも…」

そう考える。

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この、なんとも侘しいシーンに、私は胸が締めつけられるような思いがした。
この少女を何とかして幸せにしてやることができないものかという、差し迫った衝動だ。
無論、作中人物の人生を、読者でしかない私にどうできるわけもないのだが、湧き上がった感情は、理屈を超えているのである。

翌日、少女はぬいぐるみを買いにデパートに出かける。

「近年まれに見る いい考えだな…」
「わが孤独な心は 救いを求めているのだ…」
「魂の伴侶を見つけるぞ…」

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少女は、おもちゃ売り場で売られていた、流行りのぬいぐるみを見つける。

「これにするか…」

ズールーラビットという商品名で、ウサギもどきの変なぬいぐるみだ。色は何種類もある。

「色は そうだな…」

たまたま、水色のズールーラビットと目が合ってしまい、

「目が合ってしまったではないか…水色ちゃん」
「お前にしよう」
「運命の出会いだな…」


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水色ちゃんをレジへ持っていくと、店員が「ギフト用にお包みしましょうか?」と問うた。「え?」と思わぬ問いにたじろいで、つい「そ…そうだな。たのもうか…」と答えると、店員は「お名前は?」とギフトの宛名を尋ねた。
それに答えて名乗った名前が、

「スペクトラルウィザード」

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店員は、その名前にたじろいだ。「スペ? スペ…」
少女は繰り返す。
「スペクトラルウィザード カタカナだ」

 ○ ○ ○

この紹介では、少々鬱っぽい少女魔術師が主人公の「ギャグ漫画」ではないか、という印象を受けた方も少なくないと思う。実際、絵柄的には、頭の大きな4頭身の可愛いキャラクターで、ギャグ漫画向きだし、登場人物の行動ややり取りにはギャグ漫画っぽい部分も多々あるのだが、お話自体はいたってシリアスで、「魔術を使う超能力者と人類との抗争」を描いた作品である。

主人公の少女スペクトラルウィザード(愛称スペクトラ)は、魔術師の一人であり、身体を無実体化(ゴースト化)させて、壁抜けをしたり、銃で撃たれても弾丸が通り抜けるだけで傷を負うこともない、といった超能力を持っている。魔術師は、魔術を使う特別な才能を持って生まれ、それを訓練によって開花させる種族なのだ。

当初、地球には、普通の人間と魔術師の種族が共存していたのだが、魔術師たちはその生き方として「魔術」を極める「純粋魔術」の探求に重きを置いていた。つまり、魔術は実用であるよりも、自分たちのアイデンティティを保証するものだった。
だが、「純粋魔術」の探求において、地球を滅ぼすほどの力を秘めたものが開発されだすと、魔術師たちにそれを使う意図がなくても、普通人の方は落ち着いてもいられず、結局は、魔術師たちをテロリスト認定し、科学兵器を装備した「騎士団」を組織して、魔術師たちを狩り出したり、時に殺害したりし始めた。
一方、そんな人間たちと、真正面からことを構える気のない、生き残りの穏健な魔術師たちは、追われる身となって、人間社会の片隅に身を隠しながらの逃亡生活を続けることになった。スペクトラも、そんな魔術師の一人だったのである。

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第1巻では、スペクトラは、魔術師を追う騎士団の少女ミサキと、敵対的ではあるものの、なぜか友人に近い関係であり、ミサキを電話で呼び座して、水色ちゃんを見せびらかしたりする。きっと、他に友人がいないので、自分を追っているミサキを友達扱いにしているのだろう。

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そんなある日、スペクトラは、ある魔術師の遺した、世界を破滅させる力を持った魔道書の複製データを、騎士団が保管していると知る。スペクトラは、騎士団による魔道書の悪用を防ごうと、データを破壊するため騎士団のサーバへと赴き、ミサキと対決することになる。
ゴースト化能力によって、スペクトラはミサキとの戦いに勝ったかに見えたが、ミサキに水色ちゃんを、人質ならぬ「ぬいぐるみ質」に取られ、降参し、敗北を認める。

このあと、スペクトラのかつて友人知人だった個性的な少女魔術師たちが次々と登場することで、物語が動き出すが、相変わらず、半分ギャグ漫画のようなノリである。
だが、第2巻にあたる『スペクトラルウィザード 最強の魔法をめぐる冒険』に入ると、物語は長編的な展開を見せ、やがて物語は、切ないラストを迎えることになる。

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もともと、主人公からして、鬱っぽくて暗いとはいうものの、まさかこんな終幕を迎えるなんてと、多くの読者はショックを受けた。そして、できればこの悲しいラストをひっくり返す続編が描かれないものかという儚い希望を「Amazonカスタマーレビュー」で語るレビュアーも少なくなかった。

本書は、このように「鬱系のギャグ漫画」かと思って読んでいたら、いつの間にか本格的な冒険マンガへとずれ込んで行き、最後は、近来まれに見るほどのつらいラストを迎える作品になっている。
本作を読み終えた読者は、決して「ああ、面白かった」とはならず、ズーンと重いものを腹のなかに置いていかれたまま、それでも物語の力に圧倒された事実を否定できない自分を持て余すことになる。

 ○ ○ ○

このマンガの、一体どこが、これほど読者を胸を打つのだろうか。

少なくとも、ストーリーそのものではない。ストーリー自体は、それほど目新しくもないものだと言ってもいいだろう。
では、悲劇的なラストが、読者の心に響くのかというと、それだけではない。こうした悲劇的なラストを持つ作品も、決して珍しいものではないから、そこがポイントではないのだ。一一では何がこの作品の特異性であり、力なのか。

それは多分、主人公の「主人公らしからぬ性格」である。

最初に紹介したように、主人公のスペクトラは「鬱」めいた、疲れ切った孤独な少女である。
スペクトラは、ぬいぐるみの水色ちゃんに、向かって独り語りをする。昔は「今よりずっと元気」で「生活も生き生きしていた」のだが「最近はどうにも体が重くて力が出ない」と語り、そして「元気だったあの頃に」「戻りたい…」と。

しかし、どうして彼女がこうなってしまったのか、その説明はなされず、彼女自身、その原因がわかっているのか否かも定かではない。とにかく今の彼女は、疲れ切っており、希望のない孤独な生活を送っているのだ。

しかしまた彼女は、そんな現状にあっても、基本的には真面目な常識人であり、真っ当な頼み事や要望を断ることができず、そのために、望まぬ事件に巻き込まれていってしまう。
断る元気もないということもあるのだろうが、彼女は、友達に頼まれると嫌とは言えない「弱い性格のお人好し」なのだ。そして、その結果、悲劇的なラストを迎えてしまう。彼女は、特殊な能力を持つとは言え、こんなにも弱く、ごく普通の、孤独な少女であったのに。

私が思うに、この作品の、感情に食い入ってくるような「非凡な魅力」とは、前記のとおり、このような、主人公の「主人公らしからぬ性格」にあると思う。

作品世界は、典型的な冒険ファンタジーの世界であり、彼女の周囲の人物は、いかにもマンガ的に個性的なキャラクターを持っているというのに、主人公のスペクトラだけは、なぜか、つまり理由もなく「疲れた人間」であり、描かれた世界の世界観から浮いて、一人だけ奇妙に「リアル」なのだ。

本来このような物語世界にいるべき存在ではないのに、この世界に置き去りにされてしまった、というような独特の疎外感が、彼女にはある。
そしてそれが、普通の物語にはない、奇妙に切実な感情を読者に喚起させるのだ。まるで、読者自身が、現実の世界の中で、スペクトラ同様の乖離感を感じて生きているような錯覚を覚えさせて、なんとも言えず、わだかまったような、つらい感情を喚起するのである。一一これは一体、何なのであろうか。

私はこの感覚が、ある種の「私小説」に感じられるものと同質なのではないかと思った。
主人公は頑張って生きているのだが、どうしても空回りをして、うまく生きていくことができない。そんな主人公のつらさをリアルに描いた「私小説」的作品に漂う、ある種の「やるせなさ」や「孤独」、あるいは「乖離的な絶望感」。

なぜ、作者である模造クリスタルが、このような作品を描いたのか、描くのか、それはわからない。
ただ一つ言えることは、こうした主人公の感覚や性格設定が、作者には避けられないものだということだ。いくら、物語らしい物語を作り、それらしいキャラクターを周囲に配しても、やはり主人公は、こうでなければ感情移入できないといった切実さ。
そして思えば、作者の「模造クリスタル」というペンネームも、なんとも自己否定的なものではないか。

先日読んだ、言語哲学者・古田徹也の著書『いつもの言葉を哲学する』(朝日新書)に、「かわいい」という言葉の語源に関する記述があった。

『「かわゆい」が変化した語である「かわいい」は、元々は「顔映ゆし(※ かはゆし)」、つまり、顔が赤らむ、見るに忍びない、といった意味の言葉に由来し、中世以前は、小さい者や弱い者を不憫に思う心境を表す言葉として用いられていた。それが中世後半に至ると、同じく小さい者や弱い者に対する情愛の念や愛らしいと思う気持ちを示すようになり、次第にこの種の意味合いが優勢になっていく。そして、近世の後半以降は「不憫」の意味が次第に消失し、専ら「愛らしい」という類いの意味で用いられるようになった(日本国語大辞典 第二版)。「かわいい」は、いまや世界各国で通用することになったが、そうした国際語としての「カワイイ(※ 外国語表記は省略)」も小さなものの愛らしさのみを表す言葉として流通していると言えるだろう。
 ただ、「かわいい」がいまは表立った仕方では「かわいそう」とか「不憫」といった意味で用いられることはないとしても、やはり、「かわいい」と「かわいそう」は深いところで結びついているように思われる。つまり、私たちが子どもを「かわいい」と思うとき、そこには、子どもを単に愛らしく感じるだけではなく、子どもを憐れみ、胸を痛め、後ろめたく感じる、苦い感覚が入り交じっているのではないだろうか。』(P58)

私を含め、多くの読者が、この物語、あるいはスペクトラに感じるものとは、これではないだろうか。
つまり「かわいい」と深いところで繋がった「かわいそう」や「不憫」の情であり、スペクトラを『憐れみ』、彼女の弱々しさに『胸を痛め、後ろめたく感じる、苦い感覚が入り交じった』複雑な感情。

私は柄にもなく「かわいい」ものが好きな人間だが、その裏には、この世界に絶望的なほど存在する、「弱く」「かわいそう」な存在に対する、このような感情があるように思える。
そして、それを直視することの辛さゆえに、日頃はそれを、単なる「かわいい」で覆い隠して生きているのだが、模造クリスタルは、そんな「かわいい」という覆いを、剥がした世界を描いてしまう、異能の作家なのかもしれない。



(2022年2月2日)

#模造クリスタル #スペクトラルウィザード  #コミック

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