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井上純一『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』 : 〈常識的思い込み〉からの経済的脱却

書評:井上純一『がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか』(KADOKAWA)

「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」一一この、誤った「経済的常識」(と、それに依拠した「プライマリーバランス〔経済的収支バランス〕」という考え方)こそが、最大の敵なのだ。

こんなことは、当シリーズの愛読者にとっては、それこそ「常識」に類する話なのだろうけれど、そうした正しい認識が一般化していないからこそ、大きな問題を引き起こしてもいる。
喩えて言えば「キリスト教の神を信じなければ、人は死後に天国へは行けない」というのが「常識」であった時代の世界では、拷問してでもキリスト教徒にした方が、本人のためだと考えられたりした。それと同じあやまちを、私たちは「経済的」におかしている。

「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」と信じられている世界では「政府が予算をたくさん執行すれば、その分、税金もたくさん徴収しなければならない」ということになるのは、理の当然である。「誤った前提から、論理的に結論を導き出すならば、その結論は必然的に誤ったものになる」し、ならざるを得ないのだ。

(経済学を知らないと、この理屈で説得されてしまう)

だが、この誤解を解くのは至難の技であるし、「一部の人」が知っているだけでは、世間は誤った方向に流されざるを得ない。したがって、私たちがしなければならないのは「我も学び、人をも教化せん」という、経済的誤認に対する「啓蒙」なのである。

そんなわけで、本書は素晴らしい啓蒙書である。マンガで表現されているから、楽しく読むことができる。是非とも、多くの人に読んでもらい、楽しむだけではなく、経済の現実問題に目覚めてほしいと思う。

しかしながら、繰り返すが、これは容易なことではない。例えば、私がこの「経済的常識」を知ったのは、やっと昨年のことであり、齢57歳に達してからである。
なぜ、そうなったのかと言えば、それは「数字」が嫌いだからだ。私は相当広い範囲の本を読む読書家を自負しているが、子供の頃から「数字」だけは苦手だった。と言うか、正確には「計算(算数)」というものが退屈だからとやらないでいたら、すっかり苦手なものになってしまっていたのである。
そんなわけで、「数学」は無論のこと「統計学」だとか「経済学」だとかいった、数式や統計などが出てくるジャンルだけは敬遠してきた。科学には興味があって、「ハイゼンベルクの不確定性原理」や「ゲーデルの不完全性定理」なんてものにまで興味を持ち、なんとか数式や方程式の少ない解説書はないかと、そんな本を探してまで読むような人間だから、逆に「経済学」という「数字と世俗性」が合体したようなジャンルには、長らく毛ほどの興味も持たなかったのである。

しかしまた、そう言いながらも、私が「経済学」に興味を持ったきっかけは、昨年(2020年)の東京都知事選であった。なんとか小池百合子を落選させたいと考えたのだが、その対立候補として、多少なりとも可能性があるのは、その前の参院選で「れいわ新選組旋風」を巻き起こした山本太郎しかいない(地味な宇都宮さんでは、浮動票は得られない)、と私は考えた。一一勘のいい人なら、これで大筋察することもできただろう。

山本太郎という特異なキャラクターがとても面白いと注目しはしたものの、彼の語る「反緊縮」という経済政策は、当時の私には「無責任なバラマキ」としか思えなかった。つまり、その当時の私は「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」と信じ込んでいたから、「赤字国家である日本」が、このうえ無責任にバラマキなんかはできないと思ったのだ。
しかし「山本が、ここまで確信ありげに語るのはどうしてだろう?」と疑問を感じて、山本太郎関連の本を読んでみると、彼には、松尾匡という「反緊縮」の必要性を訴える経済学者がブレーンとして付いているというのを知り、これは読んでみなければならないと思った。そうして、松尾の著作は無論、そこで紹介されていたヤニス・バルファキスの経済学入門書や、「大阪都構想」問題に絡んで、それに反対する藤井聡「MMT」入門書など、全部で10冊ほどの「反緊縮」本を読んだのである。

そんなわけで、今回半年ぶりくらいに「経済学」の本を手にしたわけだが、そこで語られていることは、大筋で理解できた。
しかしである、そうした予備知識のない、例えば1年前の私が、この本を読んでいたら、果たして本書の内容を十全に理解することができただろうか?

(「預金とは、銀行の借金である」ってこと、理解できますか?)

多分、無理だろう。きっと「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」という「誤解」に対する説明に、十分に納得できなかったのではないかと思う。それは本作中で、作者の奥さんの「月さん」が、これまでの「経済学マンガ」シリーズの2冊で、そうした説明を何度も受けてきて、ひととおりは理解できていたはずなのに、やはり完全には理解できていなかったことが判明したのと、同じことである。
「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」という、圧倒的な「常識的誤認」を突き崩すのは、それほど困難なのだ。

しかしまた「困難だ、困難だ」と言ってばかりいたら、それはいつしか「もう無理だ」ということになってしまい、それが不幸な「予言の自己成就」になってしまいかねない。
だから、私たちは、根気よく、諦めないで「経済的な正しい常識」に普及に努めなければならない。そうでなければ「政府の予算は、国民の税金によって賄われている」という「誤った経済学的常識」にとらわれた、不勉強な政治家たちによって、私たちの日本を潰されてしまうだろう。

たしかに、安倍晋三だの菅義偉などという我が国の総理大臣たちを見ていると、絶望的な気分にもなってしまうが、しかし世界的な潮流が、私たちの認識を支持してくれているのなら、希望は確かにあるはずだ。だから、私たちは本書著者やその家族の人たちとともに、希望を持って「誤った経済的常識の打破」を目指さなくてはならないのである。

初出:2021年3月15日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年 3月27日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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