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松竹伸幸 『〈全条項分析〉 日米地位協定の真実』 : 観念に生きる〈ネトウヨ〉、 信念に生きる〈左翼〉

書評:松竹伸幸『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』(集英社新書)

「日米地位協定」における、日本のおかれた「屈辱的な立場」については、だいぶ前に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛、明田川融、石山永一郎、矢部宏治)で知っていたが、この機会に、地位協定の全条項を俯瞰しておくのも大切だろうと思い、購読した。「敵」を知らないことには、戦いようもないからである。

だが、今回も、読みながら腹が立ってしかたがなかった。

私は、ナショナリスト(国家主義者)ではないし、特に愛国者だなどとも思わない。むしろ、そんなことを自己喧伝して恥じないような軽薄な輩を見下している人間なのだが、それでも「強者による専横」を目にすれば、腹のひとつも立つのが「普通の人間」で、それに腹も立たないようなのは「頭のおかしい負け犬」だとしか思えない。きっと、自身の「負け犬」の境遇を、あれこれと「観念的に自己正当化」して、自分を慰めているのであろう。「俺は負け犬なんかじゃない。むしろ、あいつらが負け犬なんだ」と。

先行のレビュアーである「海」氏(AELZXQDT2XEZXNEVSK4OG7SS2OEA)は、「日米地位協定」の現状について、

『勝者は敗者に手枷足枷を嵌める。
 それだけの事でしょう。
 大東亜戦争がGHQにより太平洋戦争となった。
 観念に生きる左翼陣営は、この意味をスルーする。』

と、「日米地位協定」そのものについては、いたって恬淡としておられ、「日本」の屈辱的な立場よりも、「左翼」を貶すことの方に一層懸命のご様子だ。
もちろん「海」氏が、外国人であるとか、日本に住んでおられないというのであれば、こういう呑気な立場もあり得るだろうが、もしも現に日本に住んでおられるのだとしたら、ご自分の立場が見えていないと言おうか、見たくないから「目を逸らして、よそで気晴らしをしている」ということにしかならないのではないだろうか。

先日、元保守評論家の古谷経衡が「「ウイグル話法」とは何か? リベラルは中国に甘い、という誤解」(2021年3月2日「REUTERS」掲載)という文章を書いていた。(https://www.newsweekjapan.jp/furuya/2021/03/post-7.php)
古谷はそこで「例えば『パラリンピック大会組織委員会前会長の森喜朗』などの保守思想の持ち主が、人権を蔑ろにする発言をしてバッシングされるたびに、ネトウヨが、馬鹿の一つ覚えで〈~ではなぜ、左翼は、中国のウイグルでの人権問題を批判しないのか〉と言って、保守のお仲間を擁護する」のを「ウイグル話法」と呼び、しかし「日本で最も、中国を厳しく批判している政党は、日本共産党に他ならない」という事実を示した上で、ネトウヨの「ウイグル話法」は、彼らの「事実に基づかない、不勉強で無思考の模倣癖」の産物でしかないという事実を指摘している。

ま、幼稚な「ウイグル話法」の問題は措くとして、「海」氏の『勝者は敗者に手枷足枷を嵌める。それだけの事でしょう。』という、したり顔のご高説は、ネトウヨお得意の「ウイグル問題」や、チベット、内モンゴル、香港や台湾などに対する「中国の横暴」についても『勝者は敗者に手枷足枷を嵌める。それだけの事でしょう。』と言って、澄ましていることも出来る、ということになってしまう。なぜなら、中国がそれらに対し強気に出られるのは「力で勝っている」からに他ならないからだ。だが、「勝てば官軍」を許していいのか?

自国に対する他国の横暴にさえ、本気で怒ることのできないような「負け犬」が、他国の被害について、本気で腹をたてることなど、できる道理がない。
結局「ネトウヨ」というのは、その精神における「負け犬」でしかない自身を自己正当化するために、他国(他者)の悲劇を観念的に利用しているに過ぎない、というのが、こうした事例からも明らかなのではないだろうか。

そして、こういう「負け犬」の存在こそが、屈辱的な「日米地位協定」を延命させる遠因にもなっている。
まさに「ネトウヨ」こそ「売国奴」なのだ。

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 【補記】(2021.03.08)

「ネトウヨ 」が「観念」に生きている(「現実」逃避に生きている)という問題について、もう一点付け加えておこう。

レビュアー「海」氏は、そのレビューを、次のような言葉で締めくくっている。

『世界は左翼アジテーターのような観念で動いてはいない。
日本が生き残ったのは、長い「歴史・文化」によるものであり「思想」によってではないのである。』

一見、なかなかカッコいい言葉で、「ネトウヨ 」ように教養のない人には、いかにも喜ばれそうだ。
しかし、ここで注目すべき点は、日本の『長い「歴史・文化」』だなどと、知ったかぶりで書いている人が、本当にそれを知っているのか、という問題である。

例えば、安倍晋三前首相なども、よくこの言葉を使っていたが、実際のところ彼は「云々」を「でんでん」と読んだような、無知・無教養の人であり、当然、日本の「歴史・伝統」にも無知であった。
そして、そんな彼が一人前にも、日本の「歴史・伝統」を云々するのであれば、当然『日本書紀』や『古事記』は読んでいなければならないはずだが、彼は読んでいない。読んでいないから、「天皇家」が二千年前から続いていたなどと戯言を、平気で口にする。
まあ、愛読書が百田尚樹の『永遠の0』だなんて言ってる人が、『日本書紀』や『古事記』なんて読んでるわけもないのだが、いずれにしろ、彼の言う「日本の歴史と伝統」なんてものは、原発についての「アンダー・コントロール」と同様、まったく事実の裏付けがない、口から出まかせの戯言だということである。

そして、この、知らないくせに「日本の歴史と伝統」なんてことを、知ったかぶりで語りたがるのが「ネトウヨ 」の「ネトウヨ 」たるところである。
以前、私がmixiでネトウヨ とやり合ったとき、このネトウヨ 氏は、自身を「保守」だと名乗るので、では、どんな本を読んでいるのかと尋ねると、ケント・ギルバートだと答えたので、私は「バークやオークショットを読めとは言わないが、小林秀雄や福田恒存くらいは読んだ方がいい」と助言したことがある。
まともに保守思想の本を読んだこともないのに、臆面もなく保守だと名乗れるところが、ネトウヨ のネトウヨ たるところなのだが、さて、我らが「海」氏は、『日本書紀』や『古事記』くらいは読んだ上で、日本の長い「歴史・伝統」などとおっしゃっているのか?

その答は、「海」氏のamazonホームページを確認すれば、おのずと明らかになるだろう。
つまり、「こんな本を読んでいる人なら、きっと読んでいるだろう」あるいは「こんな本しか読んでない人なら、きっとまだ読んでないだろうな」のいずれだとわかる、ということである。

無論「思想」についても、事情は同じ。是非、それぞれにご確認いただきたい。

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(※ 上の画像は、2021年11月27日現在の最新部分。ずっと下までこの調子)

初出:2021年3月6日(補記追加・同月8日)「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年3月12日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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