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【短編】『後回し症候群』

後回し症候群


 やらなければいけない作業をほったらかして、あるいは手つかずの状態になってしまい、それを後回しにする。その時の自分は現実からの逃れられるものの、未来の自分にツケが回り責任を負う羽目になるのだ。そして、その時の自分が責任を負えなくなった矢先には、さらに未来の自分に責任を投下することで、最終的に期限直前の自分が全ての責任を負わされるのだ。これが後回しの表面的なからくりである。誰しも生きていれば後回ししてしまう事態を経験し、それに罪悪感を覚えるだろう。つまり、後々自分が苦しむことを知っているからこそ、今の自分に対して一時的に怠慢を許容することに悪気を覚えるのである。

 しかし、後回しをする際に本当に罪悪感を感じる必要はあるのだろうか。我々は、夏休みの宿題や、大学のレポート、役所に提出する書類など期限があるものを相手にする場合、しばしばなおざりな思考回路に陥る。なおざりな思考回路とかこつけて言語化しているが、要はやらなければならないことをまだできていない、このままではやらずに何かしらのペナルティーを受けるのではないか。とペナルティーを逃れるか受け入れるかの二択に苛まれているに等しいのだ。しかし思い悩むとは言うものの、かといってそのペナルティーを実際に受けた際の精神的苦痛までは想像したくないのである。実はその後回し症候群を患った者が考える最悪の事態というのは、期限に間に合わない事実の方であり、ペナルティーそのものではないのだ。

 ここで一つの疑問が生じる。実質、後回しという行動は蓋を開けてみれば暖簾に腕押しの状態で、起こらない未来に意味もなく不安を抱いているに等しいのではないのか。それでは言動が中途半端ではないか。確かに中途半端な状態であることには変わりないのだが、我々は常に嫌なことがあると、その現実から目を背けてきたように、今回に関しても同様に自分に嘘をついているのである。後回しの本質は実はここにあるのである。期限を守らないことに対してのペナルティーに恐れるのでなければ、かと言って期限を守れないことに対して不安を抱く必要がないということでもないのだ。できれば期限を守りたい。この、善良な心こそが後回しという悪行をするにあたって我々を苦しめる根本的要因なのである。我々はどこかで自分を肯定しなければ生きられない生き物であり、自分を愛することで生きづらさを克服してきた。そして後回しという行動は、自己肯定感やアイデンティティ―を汚す行為であるからこそ、善良な心を持った我々人間は後ろめたさを感じるのである。そのため、後回しに対する罪悪感というのは、ペナルティーに対して恐れているのではなく、一方で恐れを抱かないわけでもなく、自分が自分でなくなることに恐れを抱いているのである。私もこの文章を書き終えるまではそうであったに違いない。


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