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仮)1_メンタルヘルスにおける支援者側の視点

PSWを学ぶ中での気付き

精神保健福祉士の勉強を始める前までは、
過去にクリニックやカウンセリング等を利用者側の立場で活用していたことがあるため、
その時に抱いた疑問や消化不良の感覚から、支援者や病院や機関に対して、専門性の高さを求めていた。
それはつまり、"精神疾患の症状に対して"、支援者には、ある種の完璧性を求めていた。(医師とは違う対処で、対応やアプローチなど、どれくらいの経験があり何ができるのかを判断基準にしていたのだ)

たしかにPSWも支援者としてプロである。

しかし、そのプロ(専門職)という意味は、
目の前にいる精神疾患の症状に対しての対応やアプローチの専門性を高めることよりも、
目の前にいる何かしらの課題を抱えた人の生活が、より良くなることを一緒に考えるプロであると気付いた。
支援者自身の存在が、いかに自分の経験や知識からくる判断材料の色眼鏡を外して、クライアントやその状況のありのままをキャッチアップしてできるかどうか、そしてチーム体制であればクライアントにとって良好なものになるようコーディネートする、そういった支援者としての"あり方"のプロなのかもしれないと考えるようになった。


もちろん技術や過去の経験や知識を活かせるシーンもあるだろうし、専門性のあるアプローチを学んでいてプラスアルファの武器として持つことや学びの姿勢を忘れずにいたいとは思うが、
完璧な支援者でなくてもいい、知識や技術が常にトップクラスでなくてもいい、支援者自身も苦手な部分があり、誰かにサポートしてもらいながら生きている。苦手な部分を誰かにサポートしてもらいながら、誰かをサポートしている。

支援者であってもなくても、どんな立場の人も、そうやって生活していることを再認識した。

そんな感覚をクライアント自身も感じとることがあれば、もしかしたら、人より少し苦手な部分は誰かの手を借りればいい、そうやって生活していけばいいと思えるきっかけに繋がるのかもしれない。

pswであってもなくても、支援者である限り誰かをサポートする仕事ではあるが、必ずしも自分の専門性が目の前のクライアントにとって、プラスであり、正解であり、有効であるとは限らない。
信じてやってきた長年の対応や、知識、常識、技術に対して、そう考えることは苦しいことだし、自分軸が消えてしまいそうになるかもしれない。

しかし、そのジレンマこそがチャンスだと知った。
自分軸を調整し直すきっかけになる。
もっと完璧を目指すのではなく、完璧ではないことを自覚する。その上で他の専門職の力やサポートを借りることが出来れば補えると考える。
常に、誰かのサポートになりつつも、誰かにサポートされて生きていることを再認識することがとても大切だと感じた。

そして支援者はあくまで、クライアントの社会資源であり材料である。最終的にクライアントの生活をよりよくするのは、クライアント自身であるからだ。「自分の人生は自分でコントロールする」ことの重要性は過去の記事でも書いたが、子どもの自発性や自律神経の安定化にも繋がる。

子育ての環境であっても、対人支援の環境であっても、本人の神経系や精神面の観点から見て、"自己決定"の重要性は同じであった。

仮)2_  へ続く。





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