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読み方で「万葉集」の価値が変わる件(その2)

▼前号では、『万葉集』に収録されているアンソロジー「梅花歌三十二首」は、その歌を具体的にみていけば、「梅の花の鑑賞法」や、「梅の園芸技術」が〈学習=再生産(あるいは再消費と言うべきか)されている〉という指摘をみた。

▼元号の出典になった「序」は、すでによく知られるようになったので、『万葉集』の本体部分である梅の「歌」をみておこう。斎藤正二氏は以下の歌を抜き書きし、その特徴を論じる。

正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ 梅を招(を)きつつ 楽しき竟(を)へめ(巻第五、815)(大貮紀の卿)

梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず わが家(へ)の苑(その)に ありこせぬかも(同、816)(少貮小野の大夫)

梅の花 咲きたる苑の 青柳(あをやぎ)は かづらにすべく 成りにけらずや(同、817)(少貮粟田大夫)

青柳(あをやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後は 散りぬともよし(同、821)(笠 沙弥)

わが苑に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも(同、822)(主人=※大伴旅人)

梅の花 散らまく惜しみ わが苑の 竹の林に 鶯(うぐいす)鳴くも(同、824)(少監阿氏奥島(おきしま)

春されば 木末(こぬれ)隠(がく)れて 鶯そ 鳴きて去(い)ぬなる 梅の下枝(しづえ)に(同、827)(少典山氏若麿)

梅の花 咲きて散りなば 桜花(さくらばな) 継ぎて咲くべく なりにてあらずや(同、829)(薬師張氏福子)

梅の花 散り乱(まが)ひたる 岡傍(おかび)には 鶯鳴くも 春片設(かたま)けて(同、838)(大隅目榎氏鉢麿)

春柳 かづらに折りし 梅の花 誰(たれ)か浮(うか)べし 酒盃(さかづき)の上(へ)に(同、840)(壹岐目村氏彼方(をちかた))

梅の花 折り挿頭(かざ)しつつ 諸人(もろびと)の 遊ぶを見れば 都しぞ念(も)ふ(同、843)(土師(はに)氏御道(みみち))

 後に追ひて和ふる梅の歌四首(大伴旅人の作か)

残りたる 雪に交(まじ)れる 梅の花 早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも(同、849)

雪の色を 奪ひて咲ける 梅の花 今盛(さかり)なり 見む人もがも(同、850)

わが宿に 盛に咲ける 梅の花 散るべくなりぬ 見む人もがも(同、851)

梅の花 夢(いめ)に語らく 風流(みやび)たる 花と吾(あれ)念(も)ふ 酒に浮べこそ(一は云ふ、いたづらにあれをちらすな酒にうかべこそ)(同、852)

(『斎藤正二著作選集3 日本的自然観の研究Ⅲ 変化の過程』84-85頁、八坂書房)

▼歌の引用だけで1000字を超えてしまった。先を急ごう。これらの歌から以下の特徴が読み取れる。適宜改行。本文傍点は【】。

これら梅花歌には、一時代前の氏族的(うじぞくてき)伝統社会を否定して取って代わった律令制官僚社会の《文化記号》である“唐風趣味”が【思いっきり】ふんだんに使用されている。

ウメを素材にしているだけでも舶来の新思潮を謳歌したことになるのに、ヤナギおよびタケを併せ詠み込み、「梅に鶯」という一組の客観的相関物objective correlative を変換=代入しているのだから、このカクテル・パーティに居合わせた文人官僚たちは、己れらが時代の先端を切って全力疾走するに似た爽快感にひたったはずである。〉(同85頁)

▼斎藤氏は〈白鳳天平時代貴族文人たちが、ウメという文化記号を題材に据える操作をとおして、先進大国への憧憬(あこがれ)を歌い、それに【あやかろう】との願望を表白したこと〉を指摘する。

では、『万葉集』はただの中国への「憧れの表白」に過ぎないのだろうか。もちろん、そんなことはない。(つづく)

(2019年5月8日)

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