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「平成31年」雑感19 須賀敦子「古いハスのタネ」を読む

▼オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたのは1995年。作家の須賀敦子が「新潮」1996年1月号に書いた「古いハスのタネ」という短いエッセイがある。

いまは河出文庫の『須賀敦子全集 第3巻』で読める。いい全集である。

〈1995年は、宗教という言葉がどっと街にあふれ、人びとの目に触れ、口にのぼるという、忘れられない年であった。なにもこれに限ったことではないけれど、正確な意味がただされないまま、言葉だけが不吉な疫病のように街を駆けぬけている。

 そのなかで宗教と文学について考えようとすると、いきなり宗教心とか信仰、既成宗教などという、宗教にまつわる騒がしい言葉の群れがどっと押し寄せてきて、私は混乱してしまう。宗教にくらべて、文学のほうは、ひっそりとしている。文学は、ひとり、だからだろう。〉

▼エッセイのおもなテーマは、宗教と文学(詩)の関係であり、宗教と文学をつなぐ「詩」からエッセイが始まる。

共同体を離れた〈祈り〉が、個の表現ともいえる〈文学〉になろうとする時点〉はどこなのか、〈個による作品の時代〉はいつからなのか、イタリアの作家を通して、思索はめぐる。

▼その面白さは本文を読んでいただくとして、「古いハスのタネ」のなかには宗教と文学との関係について、俯瞰(ふかん)して書いてある箇所がある。それは必然的に、宗教というものがどう変容してきたのかを描くデッサンになっている。

マーティン・ルターのプロテスタンティズムは、それまで共同体のものであった祈りを個のものにしようとした人たちの、劇的で苦悩に満ちた選択だった。こうして宗教そのものもまた、共同体の宗教から個の宗教への道をたどることになる。16世紀のドイツの話だ。

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 祈りには、共同体の祈りと、個人がひそやかに神と対話する祈りとがある。

 共同体の祈りが文学と分かちあったのは、どちらもが、言葉による表現であるという点だ。だが、共同体にとどまるかぎり、祈りは、魂を暗闇にとじこめようとはしない。

 個人の祈りは、神秘体験に至ろうとして恍惚(こうこつ)の文法を探り、その点では詩に似ているが、究極には光があることを信じている。共同体の祈りも散文も、飛翔したい気持を抑えて、人間といっしょに地上にとどまろうとする。個の祈りの闇の深淵を、たぶん、古代人は知っていたのだろう。

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 共同体によって唱和されることがなくなったとき、祈りは、特定のリズムも韻も、その他の形式も必要としなくなるから、韻文を捨て、散文が主流を占めるようになる。散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れはて、祈りの代用品として呪文を捜すことがあるかもしれない。

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 信仰が個人的であり、宗教は共同体的であるといいきって、私たちはほんとうになにも失わないのか。〉(584-586頁)

▼須賀敦子の文章には、つねに「死」の気配が静かに漂っているが、この短いエッセイでも、たとえば〈散文は論理を離れるわけにはいかないから、人々はそのことに疲れはて、祈りの代用品として呪文を捜すことがあるかもしれない。〉という一文に死の気配を感じる。(つづく)

(2019年4月30日)

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