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”わたしたち”であるために~自己と他者をめぐる哲学エッセイ~

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自己、他者を考えるためのエッセイ集です。僕の中心にある仏教の倫理や哲学その他さまざまに影響を受けたものが自然に混ざっていると思います。 僕の体験を極めて“具体的に”書いています。… もっと読む
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試論:職場

試論:職場

ここに書くことは不都合なことである。勤めたくない若い人が徐々に増えはじめている。でも世の中では多くの人が勤めなければならない社会に生きている。そしてその感覚はある意味で正しいと言わざるを得ないのではないか、というくらいにこのシステムは深刻に問題を帯びている。

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あらゆる人間が心に深い傷を抱えている。心にある深い傷は人との関係性において出現し、疼く。コ

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呪詛と慈悲

呪詛と慈悲

私の関心の中心には常に暴力があった。信念対立があった。それはつまるところ、「なぜ人は仲が悪くなるのか?」という問いを探求することであったように思う。一年ほど前から始めた自己と他者をめぐる問いのさらに根源的な問いはそれだった。そしてそれは逆を言えば、「仲良きことは美しきかな」という言葉に惹かれるということである。

人は仲良くしていたい。けれども往々にしてそれが叶わない現状を我々は人生において何度も

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否定のロジック

否定のロジック

人は否定されることを嫌う。しかし、人は、人を否定すること自体を嫌うわけではない。むしろ否定することがある種の悦びとして出現することすらあるという、歪んだ存在である。

否定は、「自分がされて嫌なことは人にもするな」という子どもの頃から聞かされた教訓をいつのまにかすり抜けてしまうほど厄介な存在である。人に否定されることに嫌悪感を覚えつつ、人を否定すること自体を心の奥で無意識に他者に対してやってしまう

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偶有性とコトバ

偶有性とコトバ

今この状況があるのは条件が揃ったから。そうかもしれない。あらゆる人生の選択において、あり得たかもしれない未来はいくつもいくつも可能性として考えられる。あり得たかもしれないこと、つまり偶有性は担保されたまま、それでも人生は何かしらの選択によって進んでいく。自分の意志のようでいて、そうでないようでいて、でもやはり自分で選択しているような気がする。しかし、その選択に至るためには条件が必要だ。だから、条件

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日常と皮膚感覚

日常と皮膚感覚

このままだらだらと生きていていいのだろうかということをあらゆる人間が考えるだろう。日常というものはすぐに二度と思い出されないものとして忘却される。それが何か月も何年も続いていく。日常という凝固した生活の中で、何も見出さず、食事と排泄と同じことを繰り返すことで、時間というものだけが確実に"何か"を刻んでいく。人はそのことに安住すると同時に決して安住したくないと思っている。だから例えば「ハレ」と「ケ」

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遊ぶために

遊ぶために

自由がない。この世の中には本当に自由がない。昔はこんなにがんじがらめに縛られた生き方だったのだろうか。そういうことに思いを馳せ、昨今は自由を求めて、勤めてお金を稼いで生きていくという一般的な生き方から降りる人が増えている。もし仮にそのような生き方が流行っていることを知っていたとしてもなお、それはとても勇気のある決断である。住む場所を変え、人間関係を変え、生き方自体を変えるということ。

人間関係に

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身体の一回性

身体の一回性

たとえ魂が存在して、輪廻転生するとしても、死後の世界があって、そちらに意識が向かうとしても、この身体は一回性である。この身体は、この人生だけのものだ。この人生では、この身体という認識でもって、この宇宙を世界を体験するのだ。だから、どれだけ霊的なことやスピリチュアルなことが背景にあったとしても、身体だけは、生まれてから死ぬまでつまり、一つの人生で一回きり。輪廻転生により生まれ変わろうとも、この身体は

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問題共有体~対立・融和・誕生~

問題共有体~対立・融和・誕生~

この世界で人が出会い、集うとき、幸福を感じるとき、この出会いがずっと良好な関係で続けばいいと、僕らは願う。切に願う。しかしそうならずに対立して、嫌ったり、離れたり、合わないことで、出会うことをやめることになる。対立というこの悲しく切ない人間の弱さ。人が集まれば必ず問題が起こる。会社などで起こる人間関係上の問題、上の人が決めることに対しての不満、問題行動、枚挙にいとまがない。人を集めることは問題が起

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いてくれること

いてくれること

おそらくここに書いた文章は誤解を生む。むしろ誤解しか生まないだろう。書いた自分自身が誤解しているかもしれない。だからあらかじめ誤解しないようにという前置きを付け加える必要がある。それは、私が寂しすぎて苦しんでいるということである。そのような心理的な分析はこの文章を読む際に何の意味も持たない。ここに書いたことは単に私の苦しみの吐露として受け取ってはならない。

空間を共有するとは、手を伸ばせばふれら

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不食

不食

※外に出さないと管理が難しいので公開しました。あまり読まれたくないので値段付けています。

食べないと決めること、しないことを決定すること。人の身体は様々な機能を備えている。たとえ○○は食べないという選択をしても、我々の身体は生まれつき異常がなければ、消化酵素を持って、外界から食糧が取り込まれることをあらかじめ前提として、プログラムされている。外界から何かを取り込んで、つまりは食べるという行為を通

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親和欲求と生きること

親和欲求と生きること

欲がなくなってしまったら、人と会うことで得られる安心感や気持ちよさすらも求める必要などないという結論になるのだろうか。もしそうだとしてもそうじゃないとしても、人と会いたいと思うこと、人と暮らしたいと思うこと、人と居合わせたいと思うこと、話をしていたい、そばにいてほしい、手を握っていてほしい、ときどきは寝ているそばに一緒にいてほしい、このような気持ちを総じて親和欲求という言葉をつくっておこう。この親

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充溢

充溢

コップから水が溢れて、下へこぼれるように何かに感情が満たされる経験は、涙として出現する。これはある種不思議な体験である。感情は具体的な物体として存在するわけではない気がする。感情は何か非物質的なもののような気がする。それにも関わらず、心の器が充溢するとき、それは涙としてこぼれていくのだから。なぜか?これは感情が物質でしかないということか?それとも涙は実は単なる物質ではないということか?前者に向かえ

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眠る準備

眠る準備

眠る少し前に、風呂に入って、歯を磨いて、服を着替えて、さまざまな生活上の行いがある。眠りという行為を死として捉える場合、それは、死を自覚しはじめた、もうすぐ寿命を迎える人間が、亡くなる前に身支度をすることと似ているかもしれない。

眠るとは一つの死であると考えたことがある。もちろん、眠るだけでは死ぬことにはならない。次の日の記憶もあるし、身体も、基本的に何もなければ目に見えて劇的に変化するというこ

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暴力と関係

暴力と関係

今回の文章はある種挑発的な文章になるかもしれない。けれども、危険な隘路を通らなければ先には進めない。だから覚悟して進もう。

この世界から暴力がなくなることはない。それは暴力を振るい続ける人がいるから。それはその通りだろう。しかし、暴力を振われることを望む人がこの世界にはいる。無意識に、自分を大切に扱われることよりも、ぞんざいに扱われ、下に見られることを望むような人がいる。こんなことを言うとふざけ

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