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いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ① part.8


みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今日はオンライン上でライブに参加してくるので、早い時間での更新となります。

オンラインライブでは、HSP特有の「疲れやすさ」が緩和されつつ楽しめるので、こうした形態のエンターテインメントが普及してくれることは、とてもありがたいことです。

生で見に行くのも楽しいけれど、選択の幅を広げてくれるには、オンラインコンサートはもっと広がって欲しいと思っております。


なんだかんだで、もう少しで読み終えちゃう

「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」

の日です。(今回、1日ずれてお送りしています。)

理想は、みなさんそれぞれが、ある章で感じたことを、それぞれに記事にしていけるのがいいのかなと思っていますが、生活をしている以上、そこまで時間を割けない人もいるだろうと思います。

いろいろな方法で、私のnoteにたどり着いてくださる人がいますが、願わくば、この気質について一緒に考えてくださる仲間になってもらえると嬉しいです。


それでは、本日も参ります。


読み進めていく書籍は、

エレイン・N・アーロン
「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」

です。



💟

はじめに


最初にお断りしておきます。


この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、

レビューではありません。


この連載の構成は、

・読んだ部分の「感想」
・読んで「学んだこと」
・学んだことを「自分にどのようにいかすか」

という、

個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに

「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」

という「表現」を、共有させていただく記事です。


ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、

何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」

と感じられた時は、

ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。


ですので、

「HSP本の、それぞれの評価が知りたい」
「HSP本で、どれが読みやすいか、わかりやすいかを知りたい」
「HSP本の、本の中身を教えて欲しい」

という方は、申し訳ないですが、

・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト

・出版社のホームページ

で、お探しください。


以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、

よろしくお願いいたします。


標記説明ついて:
【】の中にある題名部分が、当記事のメインとなります。



💟

【感想:第七章 HSPの恋愛と友情 ―敏感な愛の難しさ―】「ささいなことにも すぐに『動揺』してしまうあなたへ。」


「恋愛どころか、友情さえ上手くいかない私は、一体なんのために、人として生まれてきたのだろう…」

そう思わずにはいられないほど、今回の章は、私にとって、かなり痛い所を突かれていた。

特にこの章を、初めて本を開いて読んだ時は、いっそのこと、自分は「人間のなり損ない」であると、素直に真面目に認めた方が生きやすいのではないかと、真剣に考えたくらいだ。

そうして本気で考えてしまうくらいに、周囲に理解者・あるいは理解しようとしてくれる人がいない状態は、簡単に、その人から生きる力を奪えてしまうものだと思う。

それでも私は、「繊細」という感覚を共感してくれる・活かしてくれる仲間に囲まれたいと思ったし、尊敬できるメンターが欲しかったから、そちらを強く求めた。

今はそうした人たちの中に、少しずつ馴染んで行けているのが、とても嬉しい。

私の場合は「自分の繊細さ」を愛し始めたからこそ、こうしたつながりが出来てきているのではないかと、勝手に分析している。

苦手だった章を、また改めて、ここで記事にできるということは、今の段階でここから拾えるものがあるのだろうと思っている。


HSPの恋愛は、自分自身の「神経の高ぶり」を避けては通れない。

誰かと「親密」になるには、ある程度、相手と何かに取り組んでいくことをするか、より刺激的な体験をすることだ。

……と、アーロン博士は言われるけれども、

「それが出来たら、こんなに悩んでないよ!」と言う自分と、

「あー……やっぱり?そうですよね。」と諦めつつも事態を受け止める自分

とに別れる。


自分の感覚を大切にするのか、相手との妥協点を見出して人と一緒にいることを楽しむのか、その両方を取ることができるのだろうし、取っても良いはずだ。

ただ、その塩梅は非HSPの人よりも、時間がかかるか、条件がきついか、といったところで、

「ただ、自分を大切にしたい」

「相手を大切にしたいし、自分も大切にされたい」

という望みの間で、HSP気質の人は、揺れ動くことになるのだろうなと、思った。


自分のHSP気質と上手く折り合いをつけいる人の「”なにか”の愛し方」って、今の時代に合っているとは思う。

「特定の誰かを深く愛する」ことと同様に、もっと大きな視野で、「自分の身の周りの関わりを丁寧に愛する」ことも、HSP気質が強い人ができる「愛し方の強み」なのではないかと、思うのだ。

恋人や夫婦間で育まれる愛情だけではなく、それは友人との間、仲間との間、隣人との間、ペットとの間、仕事との間、果ては得体の知れない”何か”との間だって、「無い」とは言い切れない。


そうして「外の世界」をたくさん経験することで、自分の「愛の向き合い方」がわかってくるらしい。

何も、「人」だけが愛の対象ではない。

「人以外のものを、愛するなんておかしい」と蓋をしたのは、自分自身。

「私の場合、…まず、閉じてた蓋を開けろってことかな?」


そうして蓋を開いた先は、「敏感さ」を理由にして外に出ようとしなかった時の自分では、絶対に出逢うことがないだろう、新たな出会いが待っていた。



💟

【学んだこと】


この章ではさらに強調して、出てきていたと思います。

その名も「神経の高ぶり過ぎ」です。

自分の「神経の高ぶり過ぎ」さえコントロールできれば、人との距離感の保ち方や、関わり方に余裕が出来て、楽になれるのかもしれないですが、実際の状況はそれだけで上手くいくような、単純な状態ではありません。

ITやAIの発展も相まってなのか、遥かに細かくて複雑に、そして、即効性みたいなものも、求められているような気がしています。


友情においても、恋愛においても、個人的にキーワードだと思ったところを挙げると、

「外の世界に出てみる」

激しい経験を分かち合ってみよう。

HSPの社会的な満足は、親密な人間関係の中で得られる。

と、いう箇所です。

HSP気質を持つ人は、内面的世界が充実しているといいますが、その部分を「個性」として極める方向も大切”だけど”、

誰かと親密になることで、「妥協点」を見出し、人生の深い学びを得ることも、同じくらい大切ですよ!

と、アーロン博士に、笑顔で言われているような気分です。


確かに、人と仲良くなる、あるいは話せるようになる、ということは、自分が言葉として発する内容を100%、自分の言いたいことを語ったところで、誰も興味を持ってくれないからです。

自分一人のうちは、それでいいのかもしれなせん。

自分が何に興味があるとか、どんなことを考えているかとかは、少なくとも認知できる自分のことを語る必要が出てきます。

ですが、ここで誰かが何らかの反応したとすると、その発言は、もう自分一人のものではなくなってしまいます。

「誰かと親密になること」は同時に、「自分の刺激に対する神経の高ぶりを調整すること」に直面することだと、思うのです。


そう考えていて、ふと目に入った文章はこちらです。

もちろん、あなたが自分のニーズを声高に主張しすぎれば、軋轢が起こるだろう。
P308

おそらく、HSPの人に向けて語られる恋愛や友情だけの話ではないのでしょう。

当たり前なのかもしれないですが、当たり前だからこそ、

普段、誰かとコミュニケーションを取れることを前提に関わっているから、忘れていることもあります。


自分自身でさえ、取り扱うことに苦しむ「敏感さ」を分かってくれる友人や恋人がいることは、とてもありがたいことです。

ですが、それを受け止めてくれる相手も、何かしらの気質を持っている人間であることを、忘れずに関わってきたいです。


相手を知るために、自分の身をもって、相手が普段感じる刺激や、相手が経験している世界観を経験してみることも、誰かとの「親密さ」を分かち合ういい機会になりそうです。

相手がいるのが怖ければ、一人自分のペースで体験するのもアリだと思うのです。

そうして経験して拓けた世界は、自分と思わぬ誰か、思わぬものを、つなげてくれるかもしれないですね。



💟

【自分でどのようにいかすか】


私は極度に、自分の知らない世界に踏みいることが、怖い人間です。

怖いですけれど、最近は

「怖い」よりも、「行ってみたい」の気持ちの方が、より大きかったら「行ってみよう」

と、変化してきていると自覚があります。


私にも、自分の気質を「相手に理解されたい」「理解されなくても共感されたい」気持ちがあります。

ですがそれは、相手にも同じことが言えるのではないかと思うのです。

だからこそ、自分の価値観や世界観に合う人、性格が似ている人、自分を解ろうとしてくれる人を、様々な経験や段階を経て関係を深めていき、手元に残ったものを大切にして、自分の手に負えないものは手放すことを、言われているのかもしれません。

一人の人間が関われる関係の数には、限界があるからです。


「ひとりになるのが怖い」という理由だけで、誰でもいいからとりあえずつきあう、というのは考えものだ。やがて相手も気づき、傷つくだろうし、逆にあなたを利用することもあるだろう。
P.295

このことは恋愛や友情だけでなく、もっと言えば、HSPで考えることを越えて、考えてもいいことだと思います。


極端な場合を考えると、関わってくれる相手が、自分のことを

「暇つぶし相手」

「なんかふらっと関わって美味しい部分だけとれたらいっかー。」

と考えていることがあるかもしれません。

もちろん、これも「人間関係の一つの形」なので「この関わり方は悪だ!」とは言えません。

ただ、個人的なレベルで、本気で人間関係を考えるならば、私が相手に、こうした立場の一人に位置づけられるのは、我慢なりませんし、こちらから願い下げです。

そうみられるのであれば、私は一人でも十分です。


アーロン博士は、この章の最後を、

HSPは親密な人間関係において光り輝くことができる。あなたの「敏感さ」を使って親密な人間関係を築くことで、他人も助かるだろうし、自分も助けられるのだ。
P.322

と、締めくくってくださっています。

私たち一人ひとりが、自分の「神経の高ぶり」に対して、

「心地良い」「大丈夫!」「むしろ、もう少し強くても平気!」と思える「親密さ」を築ける関係を育むこと

が重要なのかもしれません。

そのためには、外の世界を知り、自分が出来る範囲でいろいろな刺激を受けて、

自分に優しいか少し頑張れるくらいの、自分に最適な「親密さ」を探る

ことが、必要になってくるのだろうと思います。


あなたの最適な「親密さ」は、誰かにとっても「最適」なのかもしれないですから。



💟

みなさんからのスキに、日々元気をいただけるので、感謝でいっぱいです。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさんが、それぞれに素敵な夜を過ごされますように。



クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。