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【映画の記録簿】MINAMATA ―ミナマタ―

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


本日は、久しぶりに映画鑑賞してきました。

ここ最近、見たかった映画が観られる機会が増えて、とても嬉しく思っています。

映画の記録もnoteにつけていくと楽しいでしょうね。

2022年2月22日なので、猫の記事にすればいいのかもですが、我が道を参ります。


映画の記録第1回としましょう。

ジョニー・デップ主演/制作最新作
アンドリュー・レヴィタス監督
 
MINAMATA ―ミナマタ―

です。



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とても簡単にあらすじ

アメリカの写真家ユージン・スミスは、過去に国を代表する写真家と言われたの影もなく、酒に溺れる日々を送っていた。
そんな中、アイリーンという女性が訪ねてきて「日本の熊本県水俣市で、チッソという会社が有害物質を垂れ流している。街で生活する人たちの様子を撮影して欲しい」という依頼を受けるが……。


この映画を見たかったのは、2つの動機があります。

まず、ジョニー・デップが好きだからです。

ですが、この部分は、そんなに重要な部分ではありません。

むしろ、この映画を見たいと思って調べたら、たまたま主演がジョニー・デップだった、という方が正しい表現です。

もう一つの動機、私自身が小学校の社会科で学んだ時から、日本の「四大公害病」に興味があり、その興味を探る原動力が、今でも胸をくすぶっているのです。

学校での学習としては、少し説明されて流れていく、あるいはテストの一問として出題される部分なのですが、それ以上に、

「どうしてこんなに怖いことが起こっているのに、授業でちゃんと説明してもらえないのだろう?何があったのか、詳しく知ってみたい。」

と思いました。

ここで深く調べて行けば、自分の状況が違ったのですが、その当時は「興味関心を周囲に合わせていないと、仲間外れにされる」と、怯えていたので、ここで一端、興味の方向を「公害」に向かないようにします。

それでも教科書の中にある、短い記述を見ては思いを馳せたり、家でドキュメント映像が見られる時は録画して見ていました。

私たちと同じように生活しているだけなのに、どうしてずっと苦しんだり、泣き続けなければならないのだろうかと、考えていたのです。


時を経て、自分の気質である「HSP」を日々研究する生活を送っているのですが、学習を深めていくうちに「科学物質」や「有害物質」という単語を、よく見かけるようになります。

HSP気質の人の中には、科学物質に敏感に反応する方がいると聞きます。

私自身は、これに該当する傾向があります。

前の職場の斜め前辺りに、パルプ工場があり、定期的に流れてくる科学物質のにおいが、業務をこなす上で耐えられず、何度か有給を取得したことがあります。

お休みをいただく前に、マスクをしたり、香り付きマスクで対策しましたが、それでも自分の嗅覚はそのにおいを拾ってしまうのです。

何も感じない人には何も感じないですが、私の場合は、立っていられないほどの偏頭痛と次第に頭の芯が重くなって、嘔吐しそうな感覚になります。

ただ、相手の目で見ても、そう見えない時があり、そうしたところから「仮病なのではないか?」と疑われることがあります。

口にされると、今つらい本人はとても辛いし、しんどくなったことに申し訳なくなるのです。


上に書いたような状況で「HSP」の人が持っている困り感の現状を照らし合わせて見てみると、非常に多くの学びや、気付き、公害に向き合う姿勢はHSPにも活かせるのではないかと、思いました。



🎥


映画の中で、印象的なシーンを書き置いておきます。

水俣病にかかった男の子が、ユージンに対して「僕に触るのが怖くない?」と、静かに聞きます。
それに対してユージン「触るのが怖い?……怖いもんか」と返して、2人が抱きしめ合います。

このシーンを観ていて「怖い?」と聞いた方も「怖くない」と応えた方も、覚悟の上で発する言葉のやりとりをしていると感じました。

私たちも、普段言葉を使って、相手との意思疎通を図りますが、肝心なことほど、言葉で伝えることができないという時がありますね。

「言葉にしなくても通じることはある」と聞くこともありますが、言葉にしなかったが故に起こる、悲しい出来事があるのも、また事実です。

それが元で、相手に二度と会えなくなったり、どちらかが死んでからでは、後悔してももう遅いです。

それには、自分だけが覚悟を持つのではなく、相手も相応に覚悟を持つことが重要になってくると思われます。


実際のユージン・スミスさんもお亡くなりになるまで、水俣市に住まわれ、水俣病の啓発にご尽力されたと聞きます。

ユージンさんを知る患者様方もいて、その時のふれ合いを楽しそうに語っておられた姿を、テレビのドキュメンタリーで見たことがあります。

親しき仲でも、双方はお互いに対する覚悟と信念を持っていて、それぞれの立場から、一つの課題に向き合っていく姿に、胸がいっぱいになりました。

本来向き合うべきものと向き合った時、そこで私が発した言葉は、相手にはそれが「私」と認識されます。

そう感じたことからも、言葉は手段ではあるものの、同時に重いものであることも、改めて実感しました。


公害問題は、今でも訴訟が続いています。

日本だけではなく、世界的に見ても、多くの地域で公害に苦しんでいる人がたくさんいます。

実際的な物質で身体が侵されつつも、その償いや癒しとなるのは、主に患者認定されることや賠償金、言葉やふれ合いであることを、映画の中で学びました。

もちろん、治療も償いにはなるのだろうと思われますが、完治をめざせるものではなく、病気の進行を遅らせたり、痛みを和らげる程度だとも言われています。

元には戻れないし、戻せません。


そんな歴史がある「公害問題」からも、今を生きている私たちに、何かしらの生きるヒントを与えてくれる作品でした。

元に戻せないし戻れない、でも避けては通れない選択を迫られた時、何に従い、判断されますか。




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みなさんからのスキやコメントに、いつも励まされています。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

みなさんの日々が、よきものとなりますように。



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