小説を書くモチベーションが上がらない問題を深掘りして考えてみた
今日の午後にコーチングを受けてみることになった。きっかけは、小説書く仲間の井口可奈がうけていたからだ。
そして、コーチングを受ける前にちょっと考えを整理しておこうと思う。
■小説を書く理由、賞に応募する理由
昨日も書いた通り、小説を書く理由は
・自分の幸せ、納得、自己探求、人生の棚卸し作業
賞に応募する理由は
・箔をつける
・適切な読み手、仲間を見つける
だ。
で、
「なんとなく、私の人生で今三月末締切の文藝賞の締め切りに向けてガリガリ書くことに必然性を感じてないんじゃないか。だから踏ん張れないんじゃないか」
ていう仮説が浮かんできたとこまで、昨日は考えた。
でも、これは単に目の前のしんどいことに対して言い訳して怠けたいだけの口実かもしれない。
というわけで、今日はもうちょっと先まで考えてみる。
すなわち私の人生についてだ。
■渋澤怜は自分の人生をどうしたいか
このページにもバッチリ書いた通り、私は人生でどうなりたいかというと
・正直に言いたいことを言いまくり、好きな人を近づけ、嫌いな人を遠ざける
・自分の周りを好きな人ばっかりにして快適な生活を送る
・自己の探究をやめない すなわち芸術をやめない 芸術をやってる時の没頭感、トランス感を沢山味わう
こんな感じです。これが満ちたら私は超幸せだと思います。
小説を書いて賞をとることは、上記の幸せ条件をそこそこ満たすと思う。
小説を書くことはまさしく自己の探究にどっぷりはまって言いたいことを言いまくることだし、それを受け止めてくれる人は私のコアを受け止めてくれることになるから、重くて濃い関係を築ける。そういう人が増えたら(人数の多寡に関係なく)絶対に幸せが近づく。
でもなー、賞を獲らない限り(=2000人のトップにならない限り)、ほぼムダ撃ちなんだよなー。
今までも落選小説をネットにアップしたり本を手売りしたりして、そこそこの数を読者を獲得してきたし、そこにはちゃんと濃い関係になれた相手もいるけれど、しかし、このやり方って限界があるし、私の中では打ち止め感があるので、もう同じことはやりたくない。
つまり、書いたら賞とらないと意味ないけど、賞とる見込みがないから書きあぐねてるのか。(賞を獲ることへの遠さはnoveljamでクッキリと実感した)↓↓
あれでも、やる気失ったのは1月からで、noveljamは2月だぞ。1月はどんな気持ちだったかを思い出してみよう……
……1月の日記を見たら、
・noteのPVがちゃくちゃくと増え始めて見事に気が逸れてた笑
・「浅くて早い文章(note)」と、深くて重い文章(小説)を両立するのがすごく難しい」って書いてあった
・「とにかく生活を変えたい」って書きまくってあった
確かに、毎日note書いた方がはるかに伝達効率は良いし手ごたえもあるわけで、私は小説の遅効性や効率の悪さに不満があるのかもしれない。(もちろん昨日書いたように、小説じゃないとできない人生の棚卸作業があるし、長期的には絶対にそこに向き合いたいんだけどね)
私は「小説は、私の人生目標達成のためには『コスパ悪い』」と思ってるのかもしれない。
もう一個、逆の方面から考えてみる。
■どうなりたくないか? どうなったら不幸か?
逆に、絶対なりたくない状況、「こうなったら間違いなく不幸せ」という条件を考えてみる。
パッと思い浮かんだのは「孤独」と「退屈」だった。
・孤独……「周りに人がいない」という意味ではない。たくさん人がいても、私のコアを分かってくれない人ばっかりだったら私は孤独。
・退屈……いつも同じことをしていると退屈する、というわけではない(別に毎日読むか書くかばかりの毎日でも大丈夫)。書いても書いても状況が変わらないこと、いつも周りにいる人間が同じことは、きっと退屈。
・しかし「書くことが無い」「書けない」という状況が何よりすさまじく退屈だし孤独だと思う。自己と対話できてない状況だから。
私にとっては、「書く→周囲の反応がある→私のコアを分かってくれる人が増える、変わる」ことが大事なんだと思う。
長編小説は、コア丸出し作業だから、多分note100本読んでもらうより私を分かってもらえると思う。でも、「書いても全然、自分の人生、変わんねえよ!」というリスクもある。
それが怖いのかなあ? 私。
でも、一生何も書けない人生もそれと同じくらい嫌だ。それは亡霊として生きるようなものだ。
■
前田裕二さんの「人生の勝算」を読んで、ものすごく大事だと思ってnoteに書き留めたことを何度でも引用する。
・仕事の成果はモチベーションで決まる。ちゃんとモチベートできてる仕事は、できる。
・でもがむしゃらに頑張るのではなく、「まず見極めて、それからやり切れ」。何をがんばるべきかリサーチして、「ここを頑張ればよい」と「見極め」たら、あとはそれを全力でやりきれる。(リサーチをしないでやみくもに頑張る人が割と多いが、途中で「これでいいのかな」と迷ってモチベが下がる)
つまり、今の私が「よし!3月末の文藝賞までに頑張って書こう!」と踏ん張れない理由は、ちゃんとモチベートできないからなんだろうな。心のどこかに不安の石があって、エネルギーの流れが堰止まってる。
その不安の石と言うのは、
・賞に受かる確信がない
・人生を変えたい、が、小説書いても人生が変わる見込みが薄い
の二つだ、多分、今のところ。
■
うーん、でも、「よし!月末の文藝賞諦めよう!」と今この瞬間に決めたとしたらすっごい切ない気持ちになってしまう。
今書いてる小説は多分今しか書けなくて、それを逃すのはまるで流産みたいな悲しさがある。しかし思えばこの4年間、数えきれないほどの流産をしてきたんだろうな。
あと、人生のうち長編小説を書く時間や環境がどっぷり確保できるのって今だけかもしれないし、これからの人生が分からな過ぎるから今のうちに書くしかないんじゃないの?! 今書けなくてどうするの!? っていう思いはすごくある。
てかさーーーー、
書きたいときって、こんなにウダウダ言わずに「書かないと死ぬ!」って言いながらギャーーって書くよね笑 そんなもんじゃないと人を感動させられないし、まず自分が感動しないよね。コスパがどーこー言ってる時点でおかしいのかもしれない。
小説書くことは楽しいことだったはずなのに、なんでこんなことになってるんだろう???
ここまで考えた。午後のコーチングを待とう。
受けたあとにまたレポりますね!
※追記 レポりました!!↓↓
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