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【書評】コンラッド『闇の奥』①

ロッシーです。

コンラッドの『闇の奥』を読みました。


実は、数年前に一度読んだことがあったのですが、なぜかもう一度読みたくなり再読しました。


再読したら面白かった

前回読んだときには、「なんだかわけが分からない」真っ暗闇にいるような状態で、正直面白くなかったです。 

今回改めてじっくりと読むと、「なんだかよく分からないけれど面白い」というのが感想です。

前回よりも、少しは闇の奥に進んでいけたのかもしれません。

私的「本の序列」

私の中では、本の内容でざっくり4段階に序列をつけています。

 【1位】よく分からないけれど面白い

 【2位】よく分かるし面白い

 【3位】よく分からないしつまらない

 【4位】よく分かるけれどつまらない

その意味では、『闇の奥』は、前回は3位でしたが、今回は最上位に躍り出ました。

私が好きな村上春樹の小説は、まさに「よく分からないけれど面白い」です。いつ読んでも、色んな読み方ができますし、いつまでたってもよく分からないままです。

そういう「開かれた解釈ができる」本が私は好きなんだと思います。

分かってしまったら終わり

分かってしまったら、もうそこから先はありません。

小説は何やら分からない「闇の奥」に向かって進む過程が面白いのであって、本当に闇の奥までたどり着いてしまったら、もうそこでデッドエンドなのです。クルツのように死ぬしかありません。

かといって、分からなければどんな内容でもいいのかというとそうではありません。

「分からないんだけれども、なぜだかもっと分かりたい!」という気持ちを掻き立てられるものである必要があります。

分からないけど、別にあえて分かろうとも思わない本は沢山ありますからね。

闇の奥の偉大さ

『闇の奥』は、色々な読み取り方ができる小説です。

それだけでなく、他の小説にも色々と応用ができるような「汎用性」が非常に強い内容です。

どんな小説でも見ようと思えば、そこに『闇の奥』を欠片を見出すことが可能です。おそらくそれは、この小説の優れた構造におるものなのでしょう。

だからこそ、古今東西色々な人が、『闇の奥』について何かを考えずにはいられないのだと思います。

私自身も、モームの『月と六ペンス』のストリックランドは、『闇の奥』のクルツと何らかの類似性があるのではないか?なんてことを今考えています。

専門家からしたら全くの検討違いで噴飯ものかもしれませんが、そういうことを色々と考えるのは面白いです。

そういう風に、一つの小説だけで完結するのではなく、そこから他の小説にも考察が及んでいくような小説、参照されることの多い小説というのは偉大だなと思います。

最後に

結局、書評と言いながら、話が蛇行して本論に入っていませんね。失礼しました。

まあ、『闇の奥』でも、マーロウがクルツのところに到着するまでにはいろいろと「遅延」がありましたから、この記事もそれと同じということでご容赦ください。

また、闇の奥についてはきちんとした書評を書いてみたいと思います。

Thank you for reading !


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