通信制高校から美大へ行った話 高校編
通信制高校のことをもっと知ってほしい
美術の授業を受けたことがない
私は美大に入るまで、美術の授業を受けたことがなかった。
小学生のとき不登校になって授業を受けられなかったからだ。
美大の学生は、美術科出身の人が多い。
美術科の高校でもなく、美術部でもない。
美術を勉強したことがないという経歴は、美大ではめずらしかった。
通信制はユートピアだった
私は通信制高校出身。
学校に全く行かずオンラインで授業を受けるイメージがあるが、
私が通っていたのは登校日のある学校だった。
生徒のお子さんがいっしょに学校へ来て、ときどき託児室を抜け出し
授業中の廊下に現れたり。
50代60代のクラスメイトと修学旅行へ行ったり。
平日仕事をしている人や芸能活動をしている人、スポーツの選手などいろいろな人がいた。
同じ学年に13年生の人がいた。
同級生だった人がこの学校の先生になり、立場が変わっていっしょに二度目の修学旅行へ行ったらしい。
先生より年上の生徒
登校は全員私服。入学するとオリエンテーションでこう言われる。
「この学校は、誰が生徒で先生で侵入者なのかわかりませんので、貴重品には十分注意してください」
先生や生徒の見た目に差がないというのは、先生が生徒と対等に接してくれるということだった。
どんなヤンキーも陰キャも差別しない。10代後半という時期に一人の人間として接してもらえる実感がとても印象的だった。
ヤンキーが先生を介抱する
通信制にはさまざまな事情のある生徒が通っていて、それは先生も同じ。
病気の治療中のため全日制で働くことができない先生もいる。
ある先生が酸素ボンベを背負って授業をしている人だった。
チャイムが鳴っても先生が来ず、クラスは静かにざわめいていた。
敬意を込めて「ヤンキー」と呼ばせていただく。
クラス1のヤンキーが立ち上がって
「おれおじいちゃん見てくるわ!」と教室を出た。
かなり時間が経ったあとヤンキーは一人で戻ってきた。
「おじいちゃん階段でくたばってたわ!」
そう言って先生が持ち歩いている教材の入ったカゴを教卓に置いた。
ヤンキーはけっこうな勢いでもう一度廊下に戻った。
先生は苦しそうだったけど、ゆっくりゆっくりヤンキーといっしょに教室へ入ってきた。
ふつうを問う離任式
私は毎年、離任式が楽しみだった。
ある年の着任式で新人の先生が紹介され、一年間で異動されたことがあった。
新しい学校に出勤する度、毎朝胃が痛い。吐きそうになる。電車に揺られて、車窓からこの学校を眺めている。
そんなふうに大人が、先生という立場の人が弱音を吐き、自分の意見を持ち、対等に話す姿を私は高校生のときに見ることができた。
大人になっても弱音を言っていいんだ、みんなの前で正直になっていいんだと思った。
一人を深める
通信制は自学自習がモットーで、単位を計算しながら自分のペースを見つけていく。
登校日が少ないことで、今の生活に比べて膨大な時間があった。
何より制服や周りの目がなくなり、自分の趣味をじっくり深めることができた。
私は昔から過集中なので、一日10時間ずつくらいは絵を描いていた。
当時は絵を描くことが息をすることだと本気で思っていたし、美大に憧れるきっかけにもなった。
外出は今も苦手だが、好きな展覧会があると勇気を出して一人で遠出した。
書店や映画館にも一人で行くのが好きだった。
私は高校生の頃に一人きりでいる時間を過ごせてよかったと思う。
一人の時間をたくさん過ごすうちに、周りの人に興味を持つことができた。
当時のインプットが外の世界のことを考える引き出しや、自分の制作に対する価値観をつくっていると思う。
はじめて美大に行った生徒になる
同じ学年で進学するのは5人ほどで、私自身もギリギリまで大学へ行ける予定はなかった。学校からはじめて美大へ行った生徒になった。
ありがたいことに私は進学をした。
先生方に、周りの人たちに心から感謝している。
いろいろな人がいることが当たり前の環境で、私もその一人だったから美大に行く選択ができたのかもしれない。
高校を卒業する年に、急遽画塾へ行けることになった。画塾には一年間通った。
次回は画塾に通っていた頃の話を書いてみようと思う。
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