長崎の原爆投下から感じる軽重


1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分に長崎に原爆が投下されました。

広島と同様に、9日の朝も快晴でした。

長崎の原爆は、広島の原爆よりも約1.5倍の威力がありました。最も被害が酷い地域は半径2キロメートルの地域です。しかし、死者数は広島の半分ほどだったそうです。それは、広島と違い、長崎は山などの自然的な条件が重なったことで広島よりも被害が軽かったと言われています。

広島市周辺の広範囲で降った、黒い雨も比較的範囲が狭いものであったらしいのです。


近年、原爆が投下された日は「忘れられる」傾向があると感じる。
終戦記念日は覚えていても、広島は8月の上旬?

長崎は、え・・・と・・・。

というようなこともよく聞く。
(自分もあれ???8日だっけ?と迷った時もある。)


長崎の原爆は約7万人もの犠牲があり、そして未だに見つからない人もいる。にもかかわらず、長崎は影が薄くなってしまう。メディアで取り上げられる回数も少ない。(今年は広島にフォーカスが多かった気が)

そのようなメディアや人々の軽い重いの差を見ていると、常に物事はどちらかに比重が置かれて語られるという状況に悲しさを覚える。

しかし、何事においても「軽く・重い」語られることある。

誰々よりもいい方なんだから、あの国に暮らしているよりもマシだからと、何かと何かを比べながら話をしてしまうことはだろうか。それは、うまくいっている人ほど、恵まれている人ほど、決まり文句のように伝えてしまうように思う。

確かに、最初の出来事のインパクトが大きければ大きいほど、その後に起きた出来事が同じぐらいのものであったしても比べられてしまう。

比べてしまい、片方の事実を有耶無耶にしてしまうことも多い。そのようにしてしまえば、自分自身の「真実を見極める力」「他者に寄り添う力」の弱さの証明に繋がる。

確かに実際、自分自身も長崎の原爆に対する問題を深く掘り下げようということがなかった。長崎にも広島と同様に資料館はあるものの、アクセスの利便性や話題性の問題から広島のことについて学ぶことが増えてしまう。

長崎でおこった原爆の事実を、広島での原爆とは切り離して語らなくてはならないものの、広島を基準にして話をしていることも問題なのだろう。これからは、もっと長崎での原爆についても深く知れるようにならないといけないと感じる。

少しづつ我々の記憶から消えていっている戦争を、身近な存在にするためには大変なことなのかもしれない。

その役割は、やはり既存のメディアだけでなく、新しいメディアが役割を担っていかなければならないと思う。


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