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【連載小説】息子君へ 162 (34 君はお母さんから自分らしさを守らなければいけない-2)

 君は素直で無防備な子供になれるんだろうかね。無防備なままでいるためには、防御しないといけないことをたくさんされないでいられることが必要になる。そういう意味では、君のお母さんは君が無防備でいることを邪魔してくるんだ。
 どうしたって君は君のお母さんに対して無防備ではいられないのだろう。自分の気持ちの動きを感じ取って、自分の気持ちの動きに合わせて、こっちが受け入れやすい距離感とタイミングで何かを伝えてくれないのなら、何をされるにしても、ちょっとびくっとさせられてしまうような不快な接され方に感じてしまう。それは赤ちゃんでも同じだろう。君は一方的な感じであれこれやってこられるのに付き合わされるのが苦痛すぎて心が死にそうになりながら、自分の気持ちも気にせず楽しそうにどんどんあれこれ押し付けてくる姿のグロテスクさをまともに受け取らないように、お母さんがやってくれていることを受け流すようになっていく。君の場合、無防備さは最初から必ずある程度損われることになる。
 もちろん、一方的なことをされているのだから、むしろちゃんとまともにそれを受け入れてしまわないようにするべきなんだよ。真正面から君のお母さんがやってくることを受け取っても何も思わないで同じトーンで楽しくしていられるようなひとになったなら、その方が問題なのだろう。だから、受け流すようになること自体はいいのだけれど、それはお母さんに対して適度にそうすればいいというだけで、誰にでもそんなふうにまともに受け取らずに受け流すようになるのはよくない。むしろ、君の人生に何かしらのミッションがあるとしたら、そんなふうに受け流さなくても大丈夫なひとや場所を探して、そこに自分の居場所を作ることになるのだろう。それなのに、君は一番最初に慣れ親しむ相手が一方的なことをしてくるひとになってしまって、そのひとへの態度が君の一番根深いところに身に付けられた他人への態度になってしまうんだ。
 一方的なことをしてくるひとたちは、君の人生に次々と現れるのだろう。そのたびに、君は一方的なことをされる不快さを感じたくなくて、気持ちではないもので時間を過ごすことになる。そのたびに、君の中にあるはずの、もっと人間を感じて、もっと人間にいい気持ちにさせてもらいたいという、人間との出会いへの期待感のようなものがしぼんでいく。受け流さずに思いっきり感じ合えるひとたちのところに行くべき君の邪魔をしてくるのが、一方的なことをしてくるひとたちなんだ。
 もちろん、君の邪魔をしてくるのは不快さだけではないのだろう。君のお母さんは君が好きで喜ぶからと、果物ジュースとお菓子も毎日君に与えてしまうんだろうけれど、君はそうやって中毒になって、欠乏を満たす心地よさを使って、日々を労力なく刺激の多いものにしたいと思うようになってしまう。タブレットで動画を見せてもらうのも、簡単に刺激の強いもので時間を過ごせるから好きになるし、そのうちにゲームもやらせてもらうようになるのだろう。君のお母さんがほめてくることにしたって、一方的に押し付けられることの鬱陶しさは受け流しつつも、ほめられていい気分になれるという刺激としてだけは、むしろ積極的に受け取るようになってしまうのだろう。
 君が親にとっての自分よりも、家の外の世界での自分の方が大事になるまで、君は楽しければいいと思っているひとの、楽しければいいとしか思っていない行動を延々と押し付けられ続けて育つ。のんびりとぼんやりしてばかりの子供時代というよりも、すぐに楽しいことや気持ちのいいことをしようとしてしまう子供時代を過ごすことになるのだろう。自分はそれについてどう思っているんだろうと不思議に思う暇もなく、自分は何が好きなんだとか、何をしているのは本当に楽しいと、何が自分を気持ちよくしてくれるのかということを探したり確かめたりしてばかりで時間を過ごすことになる。そんなことをしていたら、面白いものを見ていられたらそれだけでずっと退屈しないような子供になってしまうのだろうし、他人と接するうえでも、かわいがってくれるからって、かわいがりたがるひとが喜ぶようなことを進んでやってあげるようなひとになっていくし、いつもほめられているから、どうでもいいことでもほめてもらえないよりはいいかと、ほめてもらえそうな状態を維持しておこうと思いながら生活してしまうし、そうすると、その場での正解っぽいものをさっさと選んだあとは、これが正しいのだからと、それ以上は何も考えようとしないひとになっていってしまうのだろう。
 自分の経験を通して物事を受け取るという意味で、人間は生まれつき自分らしく生きていけるようになっているはずなのだ。自分の思ったことを行動するだけで、そんな感じ方のそんな肉体でそんなふうに生きてきた君らしい行動が取れるようになっている。けれど、自分がどう思うかではなく、快不快とか損得とか正解とかマナーを持ち出して、そういうときはどうするのがいいという基準ばかりで行動していると、自分がどういうひととして生きてきたかということと関係ないことばかりで生きるようになってしまって、そのひとらしさはそのひとの中にほとんど発生しなくなっていく。
 君のしたいことをしてほしいと思ってくれているひとが、君に何かを押し付けたりせずに、君がしたいことをするのを待ってくれるのなら、君はそのひととの時間の中で、だんだんと自分らしくなっていける。逆に、自分の思い通りに反応してほしいひとの誘導に従わされるたびに、君の自分らしさは奪われていく。ほめられることで奪われ、叱られることで奪われ、付き合わされることで奪われ、取り上げられることで奪われる。仲間に入れてもらうために奪われ、一緒に遊ばせてもらうために奪われ、話に混ぜてもらうために奪われ、気に入ってもらうために奪われ、嫌われないために奪われる。
 君はいつでも自分の好きにすればいいんだよ。君が好きにするときに君が排除されるのなら、君が嫌なやつなのか、相手が嫌なやつなんだ。君に対して、君が好きにすることではなく、自分の思い通りに行動することを求めてくるひとたちがほしいのは、他人のそのひとらしさに触れられる時間ではなく、自分が思った通りになって気分よく過ごせる時間なんだ。そんなひとたちと仲良くできなくたってかまわないだろう。
 もちろん、友達を自由に選べるような状況なんてそうそうないのだろう。けれど、まだ友達なら、そういうひとと一緒にいるしかなくても、なんだかなと思いながら、気に入らないことにはつまらなさそうな顔をしながらやりすごしていればいい。好きな場所に行って好きなひとに近付けるようになるまで、ずっとそうやってやりすごしていたっていい。けれど、親は選べないだけではなく、逆らうことすら難しくて、一方的なことをされて、それを受け入れるしかないまま何年も過ぎていく。そして、君はある程度の歳になるまで、君のお母さんが何かおかしいと気が付くことすらできないんだ。
 君の親は、君をかわいがりたいがために、君にかわいくすることしか求めてくれないのかもしれないし、君の友達も、君と一緒に楽しいことを楽しくやりたいだけで、君のことを知りたいわけでもないし、君の素直な気持ちに触れたいわけでもないかもしれない。
 それでも、君はできるかぎり自分で自分らしさを守っていかないといけないんだ。君のお母さんが受け取ってくれなくても、未来の君の友達や恋人が受け取ってくれるはずだから、君はそれまで、自分らしさを守り続けなくてはいけない。いつか誰かが君のことを好きになってくれたとき、君に素直さが残っていて、気持ちに気持ちで反応してあげることができなければ、君は喋っていてもあまり本当にそう思ってそう喋っている感じのしない、あまり本当じゃないひとだとがっかりされてしまうしかなくなってしまうんだ。

 もちろん、それは俺の人生観が、楽しければそれでいいという人生観からかけ離れているからそう思うというだけのことだったりはするのだろう。素直であることは俺にとっては大事なことだけれど、君にとって、素直なところが強く残ったひとになるのが幸せなことなのかはわからないというのはわかっているんだよ。
 俺は相手の気持ちを感じ取るのが常に素晴らしいというわけではないと思っている。俺は一緒にいる相手の感情に常に漠然と同調して、相手の気持ちに寄り添った気分で相手といるのが基本になっているけれど、それはひととの接し方として、とても騙されやすい接し方だったりもする。騙されるのはちゃんと用心すればいいとしても、何でも相手の気持ちをいちいち鵜呑みにして、いちいち相手の文脈ではそうなんだなということばかり思っている状態になるから、他人を前にしている間は、自分の中で思考が深まる余裕がなかったりもする。
 きっと俺だけではなく、同調感覚が途切れにくいひとは、あまり賢い感じのひとにはなりにくかったりするのだと思う。賢いというのは、現実をただ漠然と感じていることではなく、賢いひとたちが考えそうな観点でその状況についていろんなことをたくさん考えることなんだろうし、それはどうしたって身体的な感情として思い浮かべることではなく、頭の中で思考することなのだろう。実際、仕事が優秀で、みんなから賢いと思われているようなひとたちには、口は達者だし、面白いけれど、ひとの気持ちをまともに感じ取ってくれない感じのひとが珍しくなかったりする。ものを考えたいひとからすれば、同調は適度でいいし、適度にしておきたいものなのだろう。逆に、伝わってくるからといって、ずっと漫然と周囲のひとの感情を感じ取っていると、その場の状況や誰かの物言いについて何か考えてもよさそうなことを考える時間がどんどん減っていくことになる。単純に、ひとがいるとずっとそのひとに気持ちが引っ張られて、そのひとの感情の動きを漫然と感じてしまうわけで、そんなひとが、ずっと頭の中で自分の思いたいことを思っているタイプの賢いことを考えたいと思っているひとたちほど賢そうなことを考えられるわけがないのだろう。
 俺の知的能力がたいしたことがないままずっときたというのは、そういう要因もあるんだろうと思う。俺はひとの気持ちを漫然と感じているのが苦痛じゃなかったし、なんとなく誰かを見ている方が気が楽だったりもした。ひとりでいるときの自分を本当の自分だと思うような感覚もなかったし、ひとりで何か考えていたことが、他人を前にするといつも吹っ飛んでしまっていた。ひとりでいるときには、音楽を流していることが多かったけれど、それも何かしら感情として受け取れるものを供給してもらうことで、漫然と感じていられるものがあって落ち着いていられたからなのだろう。逆に、感情的なものを肉体的に受け取りにくい読書は心地よく感じたことがないし、読書が習慣になったことが人生で一度もなかった。受験勉強もだらだらとやっていたけれど、そのほとんどの時間は音楽を流していた。
 なんとなく身体が自動で反応することを中心に俺は生きてきたのだ。時間が止まった中に自分の思考だけがあるような、自分の頭の中の世界を生きている度合いが高くない人間だったのだろうし、その時点で、よく見るタイプの賢そうなひとたちとは別の人種だったのだ。
 ひとが頭の中に思い浮かべられるものには大きな個人差があるのだと思う。俺は本を読んで、内容は理解できても、読み終わったあとには、一つの文章やセリフも書いてあった通りには思い出せなかった。どんな感じのことが書いてあったかという印象としてしか記憶に残らないのだ。視覚的なイメージも同じで映画を見ても、漫画を読んでも、そのシーンで登場人物がどういう表情だったのかということはある程度覚えていても、そのシーンでどんなその絵がフレームで切り取られていたのかは、大雑把にしか思い出せなかった。見たものを視覚的情報として記憶できなくて、映像や画像のようにして再生可能な形では記憶が残らないのだ。ほとんど何もかも忘れてしまうし、思い出せるとしても、どんな感触だったとか、どんな印象だったのかという自分の感情的な反応としてしか思い出せなかった。昔あったことを思い浮かべようとするときも、映像として思い浮かんだりはしないから、感触とか印象が主成分になっている記憶を引っ張り出して、印象からして全体としてはそのときどんなだったのだろうとぼんやり思い浮かべていた。思考も文章化されなくて、考えようとしても自分の頭の中には文章が浮かばないし、込み入った話をしていても、仕事の話をしていても、文章のない空っぽな頭のままで、口からでまかせのように喋りながら、自分の喋った内容が本当にそうだろうかと確かめながら話していた。
 頭の中での活動も含め、俺の生活全体が、他人から何か感じ取って、それに反応するということをベースにできているのだろう。だから反応するものがない状態だと俺は居心地が悪かったのだろう。そして、俺にとっては居心地がよくない、頭の中で過ごす時間の中で、ひとは学んだものを発展させて研ぎ澄ませていくものなのだから、俺が勉強があまりできなかったのは当然だったのだろう。
 俺は想像力や知的好奇心のようなものも希薄だったけれど、それにしたって、目の前に何かしらの現実があれば、それを感じて何かしらを思っているだけで満足だから、目に見えるものに、目に見えている以上のことを思ったりして自分を楽しませる必要がなかったからなのだろうなと思う。
 俺にとっては自分に知的好奇心がほとんどないのは、自分のまわりにいるひとたちを見渡してみたときには、あまりにもその方が普通だと思えることだった。俺の両親だって、知的好奇心みたいなものはほとんどなかったのだろう。俺の両親は完全にそうだったし、常になんとなく目の前のひとに同調してあげていて、ひとが何かすればとりあえずちゃんと感じようとしてしまっているようなひとが俺のまわりには多かった。
 俺も含め、そういうひとたちというのは、目の前に誰かがいると、自動的にそのひとの気持ちの動きを感じていようとしてしまうという肉体的な性質によって、何か感じたらすぐに自分で考えようとするのではなく、漫然と相手の気持ちの動きをたどり続けてしまうのだと思う。そんなふうに目の前のことを見ていると、たいていそのうちに、そうなるにはそうなるなりの原因のようなものを感じ取って、そのひとがそうしていることに納得してしまうことになる。それは何を見ていても総じて現実を追認して考えるのが終わりになってばかりになってしまうということで、そんなふうになるせいで、俺のようなタイプのひとは、好奇心も想像力も発達しにくい人生になってしまいがちなのだろうと思う。
 君もその俺の身体を引き継いでいるのだ。俺の書いていることがよくわかってしまうのなら、君も自分を賢いひとたちと似たような存在だと思わず、目の前のことを感じてぼんやりしてばかりになる身体で自分は生きているのかもしれないことをわかっていた方がいいのだろう。
 別にそうだからといって、何を失うわけでもないんだ。そういう動き方をする身体で生まれて、それが自分そのものなんだから、そういう身体なりの感じ方で世界を感じていればいいだけで、この手紙のようなものは、そういう身体を持つ君が、その身体についてどんなことを思ったりすることもできるというサンプルを示すためのものでもあるんだ。
 もう俺の子供として生まれてきてしまっているのだから、その身体なりの自然な生き方をするべきだろう。賢くなれる可能性は低いけれど、その代わりに、それなりに高い確率で君は素直なひとになれる。だから、素直なままでいられるように、素直じゃない君のお母さんをどう相対化するべきなのかという話を、こんなにいろいろ長々と書いているんだ。

 俺にとっての自分らしさというのは、親との関わりと、のんびりした友達たちと、最初の彼女との膨大な量の異文化コミュニケーションのようなお喋りとで中核ができたような感じだったのだろう。けれど、彼女は他者を他者として扱うことを教えてもらったという感じだし、友達はのんびりした関わりしかなかったことで俺に強い影響を与えなかったのが俺にはよかったという感じだし、そうすると、やっぱり俺のものの感じ方というのは、親との時間で身に付いたものがずっと残っている部分がかなり多いのかもしれない。
 俺の親はまるっきり君のお母さんとは違っていた。そもそもからして、君のお母さんにとって自分というのは、もっとかわいいはずのひとだったのだろうけれど、俺の母親にとって自分は、他人に冗談めかして語るときには、ブスの東大があれば入れるひとだった。つまり、君のお母さんはかわいいと言われたいと思って、かわいいと言われるのを待ちながら生きてきたようなひとで、俺の母親はブサイクだと言われることもあるつもりで、そう言われても平気でいられるようにと思って生きてきたひとだったのだ。
 本人たちの中ではそういう感じだったとして、けれど、俺からしたときには、君のお母さんはセックスするまでかわいいと思っていなかったし、自分の母親をブスだとは思っていなかった。
 君のお母さんのことは、ひたすらよくわからないひとだなと思っていたのだから、かわいいと感じていなかったのは当然だったのだろう。俺の母親に対してブスだと思っていなかったのは、俺の母親が嫌な感触のする顔の動かし方をしなかったからなのだろう。そして、俺は母親を見ていて、何を考えているのかわからないと感じたことがほとんどなかったんじゃないかと思う。
 俺の母親は、よく喋る方だったし、それなりに冗談を言う方だったように思う。けれど、冗談っぽいことを言うとき以外は、わざとらしかったり、大げさだったりするような表情の動かし方や喋り方はしないひとだった。覚えていないけれど、それは俺が小さいときもそうだったんだろうなと思う。小さい子供向けの喋り方はせずに、自分にとっての子供と話す普通のトーンで話すようにしていたのだろうと思う。だから、小さいときの俺は、テレビの中のママを自分のお母さんとは別の役割のひとだと思ったのかもしれない。
 俺の親は頭ごなしなことをしてこなかった。俺がよく喋る子供だったというのもあるのだろうけれど、しないといけないことでもないと、親の側からああだこうだと言ってくることはなかったように思う。そうするものだからそうしなさいというような、無思考を強制するような語りかけ方をされた記憶もない。かわいいかわいいとおだてられることもなかったし、いいことをすればいいことをしたとは言われていたとは思うけれど、俺の気分をよくするためにほめてくることはなかった。日常的にはあまり何も買い与えられることがなかった気がするけれど、買ってくれると言っていたものは買ってくれたし、俺がやりたいと言ったことをいろいろやらせてもらったし、いろんなところに連れて行ってもらった。
 俺は君のお母さんとは全く違う育てられ方をしたんだ。俺は好きにさせてもらって、見守っていてもらって、話しかけたらいつでもちゃんと答えてもらって、子供時代を過ごした。次々やるべきことを押し付けられることもなかったし、面倒くさそうに扱われた覚えもないし、機嫌が悪いときに、機嫌が悪そうに扱われた覚えもない。俺がどういう気持ちでいるのかをまずは感じようとしてくれていたし、それを踏まえて、俺にとっていいようになるように、俺が好きにできる手助けをするようなつもりで接してくれていたのだろう。
 そんなふうに接してもらっていたから、俺は親に対してずっと無防備なままでいられたのだろう。何を伝えても、親からの自分への反応は、絶対に自分の気持ちを受け取って、それを踏まえたうえでのものだったから、全く警戒心なく伝えたいことを伝えられたし、いつもちゃんと反応が返ってくるから、もっと反応してもらえるようにと楽しい気持ちで顔を向けられていたのだろう。
 俺はずっと自分がそうやって他人から扱われる前提で生きてきたようにも思う。俺はひとに顔を向けるときに、相手からしたときに、疑っている感じとか、話半分で聞こうとしている感じがしない方ではあったのだと思う。それは、俺が生まれてから、一番そばにいてくれたひとたちと接しているかぎりでは、どれだけちゃんと相手の言うことを聞いて、ちゃんと相手を見て、相手の気持ちを感じていても傷付くことがなかったからなのだろう。親との日々の中で、ひとの話はとりあえずそのまま聞いていればいいんだという感覚が深いところで自分の当たり前の感覚になっていったということなのだと思う。
 大学なんかでもそう思っていたし、大人になって仕事を始めても思っていたけれど、まわりのひとたちの平均からすれば、俺が話すことはかなりみんなに受け入れられがちだったり、まともに受け止めてもらえがちだった。この手紙の中で、それは俺の容姿の問題もあったのだろうということを書いたけれど、それもあるにしろ、それは下駄を履かせてもらった程度のことでしかなかったのだと思う。俺の話が受け入れてもらいやすかったのは、みんな当然俺の話をちゃんと聞いてくれるはずだと思って話しかけていて、わかってくれるはずだと思っている言い方で話して、受け入れてもらえるはずだという気持ちの乗った表情と声で話していたからというのが大きかったのだと思う。俺としては、むしろ、思ったことを素朴に話そうとしていただけだったけれど、だからこそ、相手からしたときには、本当にそう思っていっている感じがしていたということなのだろう。
 もちろん、そういう話し方をしていてもうざがられないような内容を話してきたから、相手から拒否されずに、そういうトーンのままで話していられたというのはあるんだろう。自分勝手なことを言うことは少なかっただろうし、建設的な方向だったり、議論を結論に近付けようとするような、ちゃんと聞いた方がいいような感じのする発言が多くはあったのだと思う。けれど、話している本人からすると、話している内容以上に重く受け取ってもらっている感じはいつもしていた。
 それは俺が親から一方的なことをされずに、俺の好きにすればいいと見守ってもらっていたからなんだ。一方的なことをされなかったことで、自分は好きにしてよくて、相手も好きにするべきで、だから一方的なことはしてはいけなくて、相手が楽にできるように自分が働きかけないといけないという感覚が身に付いていたのだろう。相手が何か言うなら、相手が誰であれ、そのひとが好きじゃなくても、とりあえずちゃんと聞こうという感覚は小さいときからあった気がする。
 話がうまく通じなかった最初の彼女にも、わかってくれないからと嫌にならずに、一緒にいて話しているんだからわかってほしいし、相手が話してくれているんだから、それをちゃんと受け止めて、何か思うことを返してあげたいとシンプルに思っていたから、そうできるはずだと思って、むきになるみたいな感じもありつつ、伝わるはずだと思って一生懸命喋っていられたのだろう。そして、わかってほしくて自分が話しすぎてしまうことも多かったけれど、相手が言いたいことを言えた気がするまで話してもらえるように聞こうとしていたから、そんなふうに話せるようになっていけたのだろうし、そういう聞き方ができたのは、俺の親がそんなふうに俺の話を聞いてくれていたからなのだろう。俺の親は俺の話を遮ることがなくて、話したいだけ話させてくれたし、思春期が過ぎて以降はともかく、それまでは俺があれこれ話すことを曲解したり、理解してくれなかったこともなかった。
 もちろん、その彼女と付き合って一生懸命いろんなことを喋って過ごしたから、俺は今の自分になっていくような方向性に人生の進む先が変わったわけで、親にちゃんと育ててもらったからって、一九歳の俺は多少素直なひとではあっただろうけれど、別に多少素直という程度で、総じてひどく鈍感な男だった。自分の思っていることを他人に向けて垂れ流すことができるような無防備さはあったし、他人に興味がないわけではなかったけれど、感じ方もものの思い方も自分本位なものでしかなかった。他人に寄り添うということがどういうことなのかわかっていなかったし、自分なりに受け取って、自分なりにわかった気になったものを相手に押し付けて自分で満足しているような人間だった。さほど本を読むひとでも映画を見るひとでもなかったし、その彼女で方向転換していなければ、ずっとそのままでもおかしくなかったんだろうなと思う。




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