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高菜チャーハン事件

「いただきます」と言ったら対面で「いただきます」と言ってくれる人がいることの尊さを嚙み締めていた今年初旬の話。妻が夕飯に高菜チャーハンを作ってくれた。「ちょっと味薄いかも。もしあれだったらコレかけて」と、高菜チャーハンと共に食卓に並んだのは醤油。あと、わかめスープもあったかな。

うん、確かに薄かった。妻は一口食べてすぐに醤油に手を伸ばした。品数の少なさを気にした妻は「納豆もあるから足りなかったら食べて」と言ってくれた。醤油をかけるのもいいけど折角だし納豆と合わせてみようかなと思った。いつも米と一緒に納豆を食べる習慣があるので、高菜チャーハンとは言え米だしと思って納豆と合わせて食べた。すると正面の妻が何か言いたそうにこちらを見ているのを視界の隅で認識した。何かまずいことしたかなと目を合わせると、妻は笑って「邪道じゃない?」と言った。僕は「意外と合うけどな」と返した。わずかな沈黙の後、妻は目を伏せた。悲し気に呆れているようにも見えた。会話は途切れ、部屋には最寄駅を通過する電車の音だけが残った。

僕はこの「邪道じゃない?」の意味を誤まって受け取っていたことをその後の指摘で気付いた。「組み合わせの不相応を疑問視した」発言だと受け取っていたが本意は違った。「高菜チャーハンを作ったのに納豆と合わせて食べられるとそれはもう別の料理になる。結果的に味は薄かったかもしれないが、それならばと醤油を置いている。別に好き勝手に食べてくれてもいいが、作った人間を目の前にして敬意を欠いているんじゃないか」というもの。逆の立場で考えるとすぐに合点がいった。自分の書いたオリジナル脚本を勝手にジャンル変更されたら怒るに決まってる。妻に申し訳ないことをしたと思った。妻はおどけて「女心は難しいの」と言ったが、俺がされても同じように思うだろう。交際三年、度々僕の無神経な言動で妻を傷付けてきたが、その度に「なんて俺は想像力がないのか」と絶望する。虫の居所が悪かったり、当たり前の存在に甘えたりして敬意を欠いては、またやってしまったと嘆く。

食に関して更に申し訳ないのは、僕が魚介類嫌いであること。元々味自体を受け付けなかったのもあるが、学校や実家で無理矢理食べさせられたトラウマみたいなのをこの年までズルズル引きずってしまった。妻は竹輪入りの炊き込みご飯やちりめんじゃこ入りのサラダなど少しずつ取り入れてくれていて感謝しかない。献立作りも魚を排除すると制限されるし、早く克服したいと思っている。

妻の作る料理は本当に美味しくて、度々その天才っぷりに驚かされる。作った妻も自身の天才っぷりに驚いていて、とても愛おしい。今年でいうと、トンテキ、ガパオライス、肉じゃが、かぼちゃの甘辛煮、パプリカとエリンギのサラダ、青椒肉絲、すだちうどん、大葉とチーズの太巻き、レモン鍋、おでん、、、、、いま思い出すだけでも傑作がこれだけある。高菜は妻のおばあちゃんからの貰い物だっただろうか。これも絶品だったし、それに納豆をかけてしまった僕は無礼にも程がある。高菜と言えば福岡に住むおばあちゃんの味を思い出す。おばあちゃん家の冷蔵庫の匂いは高菜だった。人それぞれあるだろうね。遊びに行く度にタッパー(Lサイズ)×3くらいの大量の高菜漬けをもらった。おかげで毎食のように食卓に並ぶ高菜をノルマのように消費した。話が脱線した。この高菜チャーハン事件で一番近くにいる人間の気持ちも分かってやれないのだなと思った。ちょっと考えりゃ分かるのに。蔑ろにしちゃいかんのは敬意とコミュニケーションだった。「ごちそうさま。美味しかった」

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