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チェーホフを読む楽しみ

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(13)チェーホフからのメッセージ

(13)チェーホフからのメッセージ

チェーホフは神の存在を信じていなかった。
この事実は、チェーホフがモスクワ大学で医学課程を修了した医師であり、合理的・近代的な知性と科学的な精神の持ち主であったことと、当然関連があるだろう。
それと同時に、チェーホフの無神論には自身の生い立ちも深く関わっていた。彼は、子ども時代に父親から相当に厳格な宗教教育を押し付けられたようだ。伝記作者は、チェーホフが三十二歳の時に書いた友人あての手紙から次のよ

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(12)『いいなずけ』―「希望」という名の到達点―

(12)『いいなずけ』―「希望」という名の到達点―

『いいなずけ』(1903)は、チェーホフが書き上げた最後の小説である。
もっとも、晩年のチェーホフは執筆活動の重点を大きく戯曲に移しており、文字通り最後の作品は『桜の園』(同じく1903)だ。
いずれにせよ、『いいなずけ』はチェーホフの小説世界での「到達点」となった。読者は、チェーホフとともにその先に進むことがもはやできない。

『いいなずけ』の主人公は、地主屋敷で祖母や母と何不自由なく暮らす、若

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(11)『谷間』―貧しく虐げられた者への賛歌―

(11)『谷間』―貧しく虐げられた者への賛歌―

チェーホフの中期以降の小説作品をひとつひとつ読み込んできた。
残った作品は、もうほんのわずかである。
今回は、最晩年の名作『谷間』(1990)をとりあげる。

貧しい寒村で食料雑貨店を営むツィブーキン一家をめぐる出来事を描く物語である。
主要な登場人物は、まず、あこぎな商売で抜け目なくもうける商店主のグリゴーリー老人。
その長男のアニーシムは、警察の捜査課に勤務し、ふだんは町で暮らしている。
次男

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(10)『犬を連れた奥さん』―美しい不倫の物語―

(10)『犬を連れた奥さん』―美しい不倫の物語―

この短編小説を何度読み返したことだろう? この前読んだのはいつだっただろう?
あらためて読んでみると、その一場面一場面が、まるで映画のシーンのようによみがえってくる。
その作品とは「犬を連れた奥さん」(1899)のことである。
この不倫の物語は、チェーホフが書いた最も美しい恋愛小説であろう。

主人公のグーロフは、四十歳前の銀行員で、子供は三人いるが夫婦関係は冷え切っている。なぜか女性にモテ、もう

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(9)『可愛い女』―作者から愛された主人公―

(9)『可愛い女』―作者から愛された主人公―

『可愛い女』(1899)は、チェーホフの短編小説の中では、三本の指に入るくらいに非常によく知られた作品である。

久しぶりに読んだ『可愛い女』は、なぜか、以前ほどの感銘をもたらさなかった。
主人公の人物像や物語のあらすじが、私も含めたチェーホフのファンにとってあまりに有名なものであるので、それらをもはや虚心に味わうことができなくなってしまったようだ。

逆に言えば、この作品に初めて接する読者は、主

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(8)『イオーヌィチ』―すれ違う想い―

(8)『イオーヌィチ』―すれ違う想い―

『イオーヌィチ』(1898)は、完成度の高い、まさに珠玉の短編である。
以下、少し長くなるが、本文からの引用もはさみながら、あらすじを紹介する。

舞台は地方の県庁所在地であるS市、主人公は同市の近郊の病院に郡会医として赴任してきたドミートリー・イオーヌィチ・スタールツェフである。
スタールツェフは、S市で「もっとも教養あり才能ある家庭」として評判の高いトゥールキン一家と交際するようになり、その家

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(7)『すぐり』―「負の典型」としての人物像②―

(7)『すぐり』―「負の典型」としての人物像②―

前回の『箱に入った男』に引き続き、連作短編2作目の『すぐり』(1898)について書く。

『すぐり』の語り手は獣医のイワン・イワーヌィチ(彼の姓は長たらしく珍妙なので、もっぱら名前と父称で呼ばれている)、聞き手は中学校教師で狩猟仲間のブールキンと彼らをもてなす地主のアリョーヒンである。
獣医は実の弟ニコライ・イワーヌィチについて物語る。

イワンとニコライの兄弟は世襲貴族の身分であり、少年時代は領

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(6)『箱に入った男』―「負の典型」としての人物像①―

(6)『箱に入った男』―「負の典型」としての人物像①―

チェーホフは1898年に重要な作品を数多く発表している。
このうち、『箱に入った男』、『すぐり』そして『恋について』の3作品は連作短編を構成している。
3人の語り手(狩猟仲間の2人連れとその友人)がそれぞれの見聞や経験を順番に語るというものだ。

これらの作品をチェーホフは38歳で書いた。前年の1897年に激しい喀血の発作に見舞われており、漠然とであれ自らの死を予感し始めた頃ではないだろうか。

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(5)『百姓たち』とトルストイ主義

(5)『百姓たち』とトルストイ主義

『百姓たち』(1897)を読んだ。
寒村の貧しい農民たちの過酷な生活を描いた作品である。
そこで描かれる「百姓たち」は、作品中で端的に要約されているように「粗野で、不正直で、不潔で、飲んだくれで、睦まじく暮らすことを知らず、常に争っている」。一言でいえば、「家畜よりひどい生活をしている」人々だ。

チェーホフは、なぜ、このような作品を書いたのだろうか?

アンリ・トロワイヤの『チェーホフ伝』によれ

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(4)チェーホフと自我

(4)チェーホフと自我

 チェーホフは、作品中で、作家自身の「自我」をほとんど表現しようとしなかった。読者が、チェーホフの作品中に作家の自画像(self-image)を見出すことは困難である。
 ロシア文学者の沼野充義氏は、「チェーホフは数多い作品の中に、自分の「分身」とはっきり呼べるような人物をほとんど一人も書き込まなかったのではないか」と述べている。
 沼野氏は、「チェーホフにはそもそも自分の内面を人目にさらすことを

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(3)チェーホフの女性観、結婚観

(3)チェーホフの女性観、結婚観

 前にも書いたが、コロナ禍の日常(非日常?)のなか、チェーホフの中期以降の小説作品を少しずつ読んでいる。一話読んでは、その作品に込められたチェーホフの思いを考えている。

 今回は、あまり注目されることのない短編『アリアドナ』(1895)をとりあげたい。チェーホフの女性観、結婚観がうかがえる作品であり、そのような意味で、例えば『三年』(1895)や『文学教師』(1889)などに通じるものだ。

 

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(2)『六号室』について

(2)『六号室』について

 『六号室』(1892)はチェーホフの代表作の一つとしてよく知られた作品だ。その内容は、田舎町の病院長である主人公のラーギンが、精神病の疑いをかけられ、自分の病院内に設置された精神病棟である「六号室」に収容され、虐待を受けたあげく失意のうちに死んでしまうという陰惨なものである。

 ラーギン医師は決して悪人というわけではない。むしろ、周囲の登場人物、例えば、自己中心的な俗物である郵便局長や、狡猾で

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(1)チェーホフとドストエフスキー

(1)チェーホフとドストエフスキー

 退職して自由な時間ができたので、30年以上も前に買った古い『チェーホフ全集』を少しずつ読んでいる。
 昭和30年代の半ばに発行された中央公論社の16巻全集で、たしか神保町の古本屋で安く手に入れたものだったと思う。
 退職したら、あちらこちらへ気ままに旅行しようなどと漠然と考えていたのだが、折からのコロナ禍で、4月に緊急事態宣言が発令された。ステイホームが唱えられ、「巣籠もり」が日常となり、遠出が

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