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揺れるこころを、止めてはいけない。

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“終わってしまう前に、終われ”
トランペット奏者のマイルス・デイヴィスが放ったこの言葉が大好きだ。自分で引き際を作らないかぎり、新しい未来は訪れない。

この国には「粋(いき)」という言葉が存在している。粋だね、の粋である。“媚態、意気地、諦念”。近代日本の哲学者、九鬼周造はこの3つが粋を構成している要素だと説明している。(『いきの構造』九鬼周造/岩波文庫)

媚びたり、意地になるのはみんな得意だ。けど、あきらめの美学を魅せるのが日本人は下手なような気がする。

神様に好まれる条件。それはこころと体が柔らかいことだとわたしは思っている。これは、神様だけにかぎらない。赤子のような柔らかく壊れてしまいそうなモノほど、人は優しく愛おしく扱おうとする。当たり前のことだ。

いろんな人を見てきたけど、自己肯定感の低い人ほどなぜか気が強い。そして頑固である。たとえ、それが育った環境で身に付けた防衛機能だとしても、すぐに捨てたほうがいい。気の強さと頑固さは、常に嫌われベストテンの一位、二位を行ったり来たりしている。圏外になることは永久にないはず。

大の長嶋茂雄ファンである徳光和夫さんは、誰であろうとミスター長嶋のことを悪く言う人とは例外なく縁を切るらしい。わたしにも似たところがある。醜い本性を少しでも自分に向けてきた人には、わたしの世界から一発退場をしていただくようにしている。これは頑固なのではなく、限られた生命時間を無駄にしないための、あきらめの美学だとわたしは思っている。

人は子どもから大人になるにつれ、心の回転数が落ちてくる。なにも疑わずに社会に組み込まれていけば、やがて心の回転数は限りなくゼロに近付いていく。

心が揺れ動いていた十代。その頃、あなたとわたしが感じていた社会に対する違和感ってだいたいが当たっていると思う。だから、もっと揺れるこころを信じたみたほうがいいと思う。

眠っている間、眼球運動が起きるのは記憶の整理をしているからだと言われている。EMDRという心理療法では、目を意図的に動かしてもらうことで記憶に介入し、トラウマやPTSDといった症状をやわらげていく。

心も、揺れないかぎり開かない。だから、不意に揺れたときほど自分の正直な感情に接することができるし、未来に対する人間関係や行動の断捨離を行ういいチャンスだなと思うときがわたしにはよくあるのだ。

神様は心に実体を授けることはしなかった。けれども、心は確実に存在する。それは、注意を向けた先に自分の心が映し出されるというマジックを我々に与えたかったからではないだろうか。わたしはそう信じている。あなたはどうだろうか。

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