子供のような大人と大人のような子供
「ほとんどの大人は子供のことをナメてるよ」
こう言ったのはキングコングの西野亮廣さんに絵本を描くことを勧めたタモリさんだった。
昔からよくタモリさんは常識とされていることでも違和感があれば自ら異を唱えていた。
「『友達100人できるかな』とかいう歌が嫌いだ。何が誇りなんだ!友達の数が多いと人生が豊かになるなんてとんでもない勘違いだ」
— タモリ
そんなタモリさんと西野亮廣さんは共通して「子供向け」という言葉に違和感があったという。
『絵本』となった途端、親や先生は「子供はこういうものが好きでしょ?」「これだと、あなたにも分かるわよ」と言って、やけにフワフワとした、やたらとカラフルで可愛い絵本だけを押し付けてきました。僕はもう、細密画の戦艦や戦闘機、スタジオジブリを知っているのにです。毎日、大人と同じような景色を見ているのにです。
— 西野亮廣
カラフルで可愛い絵本のことを否定しているわけではなく「対等に接し向き合うべき」というのがこの言葉の真意だろう。
結局のところ子供というのは大人が押し付けた立場でしかなくて、大人が思っている以上に子供は賢い。まさに“子供のような大人”なのだ。
子供は大人が思っている以上に大人のことをよく見ているし、大人の顔色を伺いもする。逆に大人は子供とどれくらい向き合おうとしているだろう。年や身長、立場の違いだけで先入観を持って子供と接していないだろうか。そのような先入観を捨てて一人の人間として接するべきではないだろうか。
大人は年を取るとともに色々なことを学んで経験することによって少し賢くなりすぎてしまっているのだ。大人も子供のような柔軟さや純粋さを忘れずに、タモリさんや西野亮廣さんのような“大人のような子供”になるべきではないだろうか。
子供に対する接し方で子供の未来はもちろん、素敵な大人に出会えることは子供(一人の人間)にとっても人生を変える出会いになりうるだろう。
未熟な私がタモリさんと西野亮廣さんお二人(素敵な人間)の話を聞くことによって、一人の人間として考えさせられ成長し人生を変えた出会いになったのだから。
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