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「写真と文学」 - 世界を視るメディア

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2017年初夏からインプレス社刊行のデジタルカメラマガジンにて連載していた12回分の記事をまとめたマガジンに、その後似たようなテーマで書いた文章を追加してます。
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#写真

すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

すべてを肯定するために(あるいは『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が目指す場所)

カミュの本「シーシュポスの神話」は、多分10代から20代の僕にとって最も大きな影響を与えた本だったと思う。尖りまくってすべてを否定し、薙ぎ倒そうと思っていた10代の僕は、カミュがこの神話の最後に書いた「すべてよし(tout est bien)」という一言、そしてそれを体現した「いまや、シーシュポスは幸福なのだと思わねばならぬ。」という一文に出会って、世界への見方がガラッと変わった。

神の罰によっ

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新著『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』 発売!

新著『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』 発売!

明日3月19日、この一年ほどかけてじっくりと進めてきた久しぶりの単著『写真で何かを伝えたいすべての人たちへ』が発売になります。今日はその内容のご紹介をしたいなと。ちょっと長くなるかも。できるだけ短くしたいのだけど。

実はすでに早い地域ではポストに届き始めているようで、おそらく全国の本屋さんでもそろそろ並び始める頃だろうなと思っています。著者としては、いよいよという気持ちではおりますが、一方におい

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壁は常にそこにある(写真展を終えて、あるいはAIと写真と、村上春樹と)

壁は常にそこにある(写真展を終えて、あるいはAIと写真と、村上春樹と)

というわけで、4月25日から30日まで、渋谷ルデコにて開催されたGoogle Pixel展、および写真展「壁」が終幕いたしました。まずは、ご来場いただいた多くの皆様に、主催者として心から感謝を申し上げます。

https://twitter.com/TakahiroBessho/status/1641379751116914690

また、僕の思いつきに対して、二つ返事どころか、プライベートの時間

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大雨の日に僕らの日常について考える

大雨の日に僕らの日常について考える

日経を見ていたら、こんな記事が出ていました。

京都市立芸術大学は僕の友人も何人か通っていて、一度遊びに行ったことがあります。ちょうど僕が大学院に通っていた頃の話だから、もう20年近く前の話。その頃僕は桂に住んでいて、沓掛キャンパスも近かったんですね。そうか、あのキャンパスが京都駅の東側に移るんだ、そのこと自体知らなかった。

で、そのキャンパス移転が行われるに際して、元の沓掛キャンパスを「写真ア

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SNSの罪と罰、あるいはアートの根源は共感ではなく違和感であることを思い出す

SNSの罪と罰、あるいはアートの根源は共感ではなく違和感であることを思い出す

タイトルは大きく書いちゃったけど、そんな大それたこと書くつもりないですよ。とはいえ、最近よく思ってることを書きますね。今日は短めに。

皆さんもご存知の通り、SNSでは日々写真がバズってます。それがもう日常ですよね。でもよく色んなインタビューで話すんですが、5年前は違いました。まだプロのほとんどがSNSで写真をやることを真面目に捉えてなかった時代がありました。その是非はおいといて、そういう時代から

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SNS時代における「ような系写真」の流行と、その社会的考察

SNS時代における「ような系写真」の流行と、その社会的考察

例えば「アニメのような写真」という表現をSNSでご覧になった方は多いのでしょうはないでしょうか。あるいは「映画のような」「CGのような」「絵のような」「ゲームのような」写真、という表現。SNSではもしかしたらほぼ毎日のようにどこかで見かけるかもしれません。この記事ではそれらの写真を「ような系写真」として定義し、そのようなタイプの写真がなぜ今流行しているのか、その社会的な構造を素描するのが目的です。

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「写真を大ごとにしたくない」と友人は言った

「写真を大ごとにしたくない」と友人は言った

この前、友人の黒田明臣くん @crypingraphy と、それぞれのサロンメンバー向けの対談イベントをやった。ここからは普段通り、彼のことはあきりんと呼ぶことにする。

で、そのあきりんは、写真業界では知らない人なんてほとんどいないだろう人物で、写真系のクリエイティブ集団XICOを率いる代表でもあるし、一人の写真家としても、おそらく日本最高峰の技術を持つ人物写真家でもある。

そのあきりんとは、

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Google Pixel 6で見えてきた、カメラと写真の未来(コミュニケーターとしての写真)

Google Pixel 6で見えてきた、カメラと写真の未来(コミュニケーターとしての写真)

今日の記事はPixel 6という、Googleが10月末に発売した新しいスマートフォンにまつわる話です。ただ、発売して半月が経った今、たくさんのレビューがすでに世に出ており、いまさら屋上屋を架す意味はほとんどありません。ですので、今日の記事では、Pixel 6を半月間、ほぼ肌身離さず使う中で徐々に形作られきたある予測についてお話ししたいなと思います。その予測とは、Pixel 6を通して見えてくるカ

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便宜上付与された壊れたスイッチとしての「私」(あるいは「作家性」と「物語性」について)

便宜上付与された壊れたスイッチとしての「私」(あるいは「作家性」と「物語性」について)

1.幽霊として古い写真仲間が時々僕のことを「たっくさん」と呼んでくれます。とても古い名残。写真をオンラインで投稿し始めた頃、今とは違って本名は使っておらず、タック・バルキントンという名前でやっていました。ちょっと恥ずかしい過去なんですが、10年近く前に、ふとした思いつきで数秒で決めたその偽名で今でも呼ばれることがあるのは、とても不思議な気持ちです。

それはそれとして、その名前の由来について、まず

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写真と文学 最終回 「世界の断絶と写真という小さな窓」

写真と文学 最終回 「世界の断絶と写真という小さな窓」

大学での最初の授業のことをいまだによく覚えている。広い構内の南東にあった教室は年月を経た建造物特有のカビと木の懐かしい匂いで満たされていて、小さな窓から斜めに入る光が舞い上がる埃を輝かしく照らしていた。それは新しいデジタルカメラで撮影された、とても古い写真を見ているような光景だった。目の前のすべてはクリアに存在しているのに、その光景はどうしようもなく遠く懐かしいという不思議なアンビバレント。その教

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写真と文学 第十一回 「パラレルワールドと認識の拡張」

写真と文学 第十一回 「パラレルワールドと認識の拡張」

 1995年、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」という目を引くタイトルの映画が公開された。もともとはテレビのオムニバスドラマの一編だったが、あまりにも出来が良かったために映画として翌年公開されたという逸話が残っている。

監督は映画「Love Letter」でその名を日本中に知らしめた若き岩井俊二だった。この2本の映像作品をきっかけとして岩井俊二監督が頭角を現したというのは、映画ファン

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写真と文学 第十回 「実像と鏡像の狭間に揺れる自己」

写真と文学 第十回 「実像と鏡像の狭間に揺れる自己」

 朝目覚める。あなたはまず何をするだろう。目覚めたばかりの脳は全身をうまくコントロールできず、刷り込まれた慣習に従って、例えばベッドサイドの眼鏡を手に取るかもしれない。そうして1日が始まる。だが、あなたはまだ目覚めていない。眠る前に残してきた自身とのつながりを失っている。本格的に目覚めるのは数分後のことだ。しばらくリビングをうろつきながら、今日やることを思い出す。そうしておもむろに身支度を始める。

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写真と文学 第九回 「時を呼び起こす時間と光の記録」

写真と文学 第九回 「時を呼び起こす時間と光の記録」

 2018年の年始、ちょうど「しぶんぎ座流星群」が極大の日に、新年らしい話題作が地上波で初放送された。「君の名は。」だ。この映画に関しては一度取り上げたが、何よりの功績は「大きな物語」が喪失した現代にあって、多くの人が享受し得る物語を作り出した点だ。1つの物語を世界に流通させるということは、ほとんど世界を1つ作ってしまうことに等しい。

 しかし、今回のテーマは映画自体の話ではない。映画の間に挟ま

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写真と文学 第八回 「不在の中心が生み出す物語」

写真と文学 第八回 「不在の中心が生み出す物語」

 本屋で『桐島、部活やめるってよ』というタイトルを見た瞬間、思わず手に取った。あまりにも斬新なタイトルの作品が、どんな文章で始まるのかを確認しないではいられなかったのだ。1ページ目を開いたとき、タイトルに引かれた自分の直感が、予想よりはるかに鋭い形で具現化しているのに驚愕した。「え、ガチで?」という冒頭の1行。震えが来たとはこのことだった。それに続く言葉のすべてが、新しい時代の声と抑揚と響きを伴っ

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