Tasuku

2年前、31歳の時に膠芽腫と診断。摘出手術・標準治療を終え、現在も仕事をしながら治療継…

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2年前、31歳の時に膠芽腫と診断。摘出手術・標準治療を終え、現在も仕事をしながら治療継続中です。

記事一覧

半年ぶりのMRI検査

先日半年ぶりのMRI検査に行ってきました。 結果は再発なし、とのこと。 いやぁ、何度受けても結果が知らされるまで緊張するものですね。 再発していたらどうしよう、という…

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1年前
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救世主はプルーンジュース

抗がん剤の副作用として、とうぜん吐き気を伴う気持ち悪さというのが真っ先にあがります。 ちなみにわたしの場合は夜寝る前に服薬するという形をとっているので、特に深夜…

Tasuku
1年前
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軽度のパニック障害と診断された話

脳腫瘍だと判明する前、私は度重なる体調不良により、電車やバスといった公共交通機関に乗ることが怖くなっていました。 これhは仕事に復帰してからも最大の課題であり、現…

Tasuku
1年前
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病気と復職の間で

主治医からは、入院している時から退院したらいつでも仕事に復職して良いよと言われていた。 退院から早4ヶ月。手術の経過も問題なく、MRIの検査も今のところ問題なく、血…

Tasuku
1年前
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大誤算と治療の断念

オプチューンを始めるにあたって、内科的副作用は一切ないと説明されていたし、パンフレットにもそう書かれていた。真っ先に挙げられる副作用としては頭部の肌荒れ。それく…

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1年前
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オプチューンの開始

無事標準治療を終えた私は即座に退院し、現在は月に1度の服薬治療を続けている。 退院からおよそ1ヶ月後の2020年11月27日に退院後1回目の服薬を開始し、現在4回目の服…

Tasuku
1年前
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ネットと現実は違うということ

ここで、ひとつのケースとして私が知り得た情報、体験した内容を書き留めておくことにする。 私の病気はかなりのレアケースで、ほとんどの人の役には立たないかもしれない…

Tasuku
1年前

これ、どんな状況ですかね

そう。私は元気だった。 幸運なことに後遺症はてんかんの症状をのぞいて、何一つ残らなかった。 可能性として挙げられていた左手脚の痺れや麻痺が残ることもなく、左目の目…

Tasuku
1年前
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放射線科の先生との出会い

私にとって、放射線科の先生との出会いは大きいものになった。 そのまま入院して標準治療を受けることになった私は放射線科の先生と対面していた。そこで理解したのは、こ…

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1年前

絶望の日

幸い術後の経過もよく、本来なら一時退院して自宅で病理結果を待てたそうだが、そこはコロナ禍。万が一コロナに感染したら、化学治療を行うことになってもすぐに治療に移れ…

Tasuku
1年前

いざ手術へ

手術の前に腫瘍の周りに重要な血管が走っていないか検査をすることに。検査自体に痛みはなく、ただ、検査後しばらく体を動かせないため腰が辛くなると思うと看護師さんより…

Tasuku
1年前

病のはじまり

2020年8月26日、脳腫瘍の摘出手術をした。時はコロナ大流行の真っ只中、31歳の誕生日を迎えてから1ヶ月半のことだった。 もともと自律神経の調子が悪いタイプの人間だった…

Tasuku
1年前

それでも私、元気です

2022年8月26日、脳腫瘍(膠芽腫)の摘出手術をしてから丸2年がたちました。それはつまり、平均余命とされる2年を生き延びたということになります。5年生存率10%といわれ…

Tasuku
1年前
半年ぶりのMRI検査

半年ぶりのMRI検査

先日半年ぶりのMRI検査に行ってきました。
結果は再発なし、とのこと。
いやぁ、何度受けても結果が知らされるまで緊張するものですね。
再発していたらどうしよう、という不安は未だに尽きません。
しかし、この検査をもって、正式に手術から2年間、再発がなかったことが確定しました。
脳腫瘍はそのひとそのひとによって発生部位や治療状況も異なるため一概にはいえませんが、平均寿命とされている2年は突破できたとい

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救世主はプルーンジュース

救世主はプルーンジュース

抗がん剤の副作用として、とうぜん吐き気を伴う気持ち悪さというのが真っ先にあがります。
ちなみにわたしの場合は夜寝る前に服薬するという形をとっているので、特に深夜から明け方にかけて薬の副作用を強く感じるのですが、眠れはしないものの、対処薬のおかげでもどしてしまうことはなく、具合悪いなぁという感じでもんもんと夜が開けるのをまっているという感じです。
日中は気持ち悪さはさほどないものの、とにかくだるくて

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軽度のパニック障害と診断された話

軽度のパニック障害と診断された話

脳腫瘍だと判明する前、私は度重なる体調不良により、電車やバスといった公共交通機関に乗ることが怖くなっていました。
これhは仕事に復帰してからも最大の課題であり、現在もその問題を抱え続けています。
復職したばかりの頃は、朝のラッシュ時の満員電車になるとパニックになってしまい、発車寸前に何度も電車から飛び降りていました
少しでも体調の悪さを感じると、またてんかんの発作が起きるのではないか、倒れてしまう

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病気と復職の間で

病気と復職の間で

主治医からは、入院している時から退院したらいつでも仕事に復職して良いよと言われていた。
退院から早4ヶ月。手術の経過も問題なく、MRIの検査も今のところ問題なく、血液検査も異常なし。医者として復職を止める理由は何もない。

それでも、わたしは復職できないでいる。

入院しているときには、退院したらリハビリがてら美術館や博物館、旅行に行ったり買い物をしたりしようと考えていたのだが、退院したら益々コロ

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大誤算と治療の断念

大誤算と治療の断念

オプチューンを始めるにあたって、内科的副作用は一切ないと説明されていたし、パンフレットにもそう書かれていた。真っ先に挙げられる副作用としては頭部の肌荒れ。それくらいだった。
このオプチューン、前後左右でアレイを貼り、そこから伸びるコードを装置に繋ぎ、電磁波を流して治療するというもの。電極と電極との間を行き交う電磁波により悪性細胞に働きかけ、細胞を破壊することができるそう。
その人その人に合わせてプ

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オプチューンの開始

オプチューンの開始

無事標準治療を終えた私は即座に退院し、現在は月に1度の服薬治療を続けている。
退院からおよそ1ヶ月後の2020年11月27日に退院後1回目の服薬を開始し、現在4回目の服薬期間を迎えている。薬の量は入院時の倍、服薬期間は5日間だ。
この11月27日に開始したことが服薬以外にもある。
そう、オプチューンだ。

オプチューンとは、ここ数年で保険適用された新しい膠芽腫の治療方法で、電極のついたアレイと呼ば

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ネットと現実は違うということ

ネットと現実は違うということ

ここで、ひとつのケースとして私が知り得た情報、体験した内容を書き留めておくことにする。
私の病気はかなりのレアケースで、ほとんどの人の役には立たないかもしれない。でも、だからこそまとめてみる。
私が病気になって感じたこと。それは、何もかも違うじゃん!ということ。
それまでの生活の中で得た情報によりなんとなく自分の中で作り出されていた「闘病」のイメージとは、実情も抱く感情も何もかもが異なった。
だか

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これ、どんな状況ですかね

これ、どんな状況ですかね

そう。私は元気だった。
幸運なことに後遺症はてんかんの症状をのぞいて、何一つ残らなかった。
可能性として挙げられていた左手脚の痺れや麻痺が残ることもなく、左目の目立った視野の欠損もなかった。言語聴覚士、作業療法士による術後の簡単な脳機能チェックでは、むしろ脳の働きが術前よりも良くなっていると言われた。ほんまかいな。
看護師からは、担当医が「本当になんの症状もないんだよなぁ・・・」と溢していたよとの

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放射線科の先生との出会い

放射線科の先生との出会い

私にとって、放射線科の先生との出会いは大きいものになった。

そのまま入院して標準治療を受けることになった私は放射線科の先生と対面していた。そこで理解したのは、これからは放射線による治療が、治療のメインになるんだ、ということ。
もちろん、服薬による治療も同時進行で行なっていくわけだが、説明を聞くと、放射線で悪性細胞を破壊し、そこで取りこぼしたものを服薬によってカバーしていくという印象を受けた。

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絶望の日

絶望の日

幸い術後の経過もよく、本来なら一時退院して自宅で病理結果を待てたそうだが、そこはコロナ禍。万が一コロナに感染したら、化学治療を行うことになってもすぐに治療に移れないということで、ひたすら病室で待ち続けた。当然面会もNG。
くそっ、コロナめ。

病理検査の結果は、膠芽腫。
グレード4。

朝の回診時に今日検査結果がくるかも、と聞いていて。
看護師に声をかけられ担当医のもとに向かうとすでに両親が。

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いざ手術へ

いざ手術へ

手術の前に腫瘍の周りに重要な血管が走っていないか検査をすることに。検査自体に痛みはなく、ただ、検査後しばらく体を動かせないため腰が辛くなると思うと看護師さんより話が。そんなもんかと軽い気持ちで検査室へ。

一言。アンギオ検査痛くないって言ったじゃん!
激痛でしたけども。
身体が痙攣するくらい痛かったけども。
頭に電流が走るような痛みがその都度走り、「ここにいるからね!大丈夫よ!」と声をかけ肩をさす

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病のはじまり

病のはじまり

2020年8月26日、脳腫瘍の摘出手術をした。時はコロナ大流行の真っ只中、31歳の誕生日を迎えてから1ヶ月半のことだった。

もともと自律神経の調子が悪いタイプの人間だったので、最初は自律神経とコロナ禍のストレスによるものだと診断された。ふっと血の気が下がるような、目眩がするような、突如としてそうした症状に見舞われるのにはもう何年も悩まされてきた。ただ、ある日からそこに左手脚の痺れというかなんとい

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それでも私、元気です

それでも私、元気です

2022年8月26日、脳腫瘍(膠芽腫)の摘出手術をしてから丸2年がたちました。それはつまり、平均余命とされる2年を生き延びたということになります。5年生存率10%といわれているため、本来なら5年たったところで初めて一山越えたといえるのかもしれませんが、それだと先が長過ぎてめげそうなので、このタイミングでnote を始めることにしました。

脳腫瘍は希少ガンに分類されるようで、相対的に見ると患者数は

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