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夏炉冬扇(中断)

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大変申し訳ありませんが、制作の途中で挫折してしまい、更新をストップいたしました。別のかたちで最後まで書き直したものが、連載小説『言葉くづし』(サイト内マガジンのひとつ)です。よけ… もっと読む
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記事一覧

夏炉冬扇 #9

夏炉冬扇 #9

*第8話はこちらから

死ぬ。絶対に今日こそは死んでやる。

ずぶ濡れのコートとハンドバッグを玄関に投げ捨てた私は、ぐちゃぐちゃな頭髪をかきむしって部屋へ飛び込んだ。

またひとつ余計な罪を犯してしまった。私の存在が赦せない。傷つけたい。壊したい。何もかも否定して、ぐちゃぐちゃにしてしまいたい。

ささくれだった感情に絆された私は、かけっぱなしのラジオをガチャンと切り、ミニテーブルの上から床にはた

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夏炉冬扇 #8

夏炉冬扇 #8

*第7話はこちらから

殺意だ。

殺意を抱かれたのは、生まれて初めてかもしれない。

影が私の喉仏に向けて腕を伸ばしてくる。私は咄嗟に後退り、首の手前数センチのところで、相手の爪が空を切った。だが、私は水溜まりに足を取られて、身体のバランスを崩してしまった。硬い岩盤でできた詩碑に背中を強打して、一瞬意識が遠のく。その機会を逃さず、もう片方の腕がすかさず攻めてきて、ぐいと胸倉をつかまれた。成す術も

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夏炉冬扇 #7

夏炉冬扇 #7

※第6話はこちらから

一階のフロアへ降りたとき、私はちらと通路の奥にある文芸資料室の入口を遠目に見た。惜しいことをしたもんだ。あの部屋には文豪たちの遺品や原稿用紙などのオタカラがたくさん展示されている。せっかくお金を払ってきたのだから、これら資料も閲覧したかったのだが、兄が来ているかもしれないタイミングでは難しそうだった。人に気づかれないように舌を出して、私は受付に座る里子さんに会釈した。

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夏炉冬扇 #6

夏炉冬扇 #6

*第5話はこちらから

自動車のクラクションが鳴っている。入り組んだ狭い四ツ辻を多数の自動車が行き来しようとするせいだ。事故を起こしたくない私は、潔く自転車を降りて、するすると横断歩道を通り抜けていく。その間にも、後方のドライバーが忙しなくクラクションを連打して先を急ごうとしていた。

もう、ここは国内有数の茶屋街なのだから、もっとゆとりある運転をしてほしい。平日にも関わらず混雑するのは多くの観光

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雨狂い 夏炉冬扇 #5.5

雨狂い 夏炉冬扇 #5.5

*第3話はこちらから

*第5話はこちらから

雨よ来い、神に乞う
呆けたこころを満たすまで
闇は濃い、雨に恋う
わたしの居場所になれるまで

愛しい虹が青空に咲いたのは
誰かが雨の種を蒔いたからでしょう
名もない箱庭で蓮が踊るのは
尽きぬ想いを届けたいからでしょう

無常な昼の雲は青を引っ掻いて
喪った世界を歌わせるのです
長雨に濡れれば隠せるからか
不規則な涙が止まりません

因果を悟れば救わ

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夏炉冬扇 #5

夏炉冬扇 #5

第4話はこちらから

どうして、花束なのだろう。

ギコギコと自転車を漕ぎながら市街地を走る。狭く民家が並んでいる裏路地を抜けて、道の両脇に商店街が向き合う通りへと体を滑らせた。ここの商店街は昔から経営しているお店が多くて、大手小売店のような派手派手しさはない代わりに、隠れた名店が複数眠っている場所だ。味の染み込んだ肉ジャガが売りの惣菜屋や、掘り出し物の古書を扱う本屋は私のお気に入り。そんな数ある

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夏炉冬扇 #4

夏炉冬扇 #4

※第3話はこちらから

九月二十一日、火曜日。たまたま、私は職場から振替休日を貰っていた。

不動産業の事務職に就いた理由は、正直なところ曖昧なままだ。確かに、幼い頃に初めてマイホームに移り住んで、家族団らんの場をもてる幸福を早いうちに感じたから、という理由は大きいと思う。しかし、大学で不動産業界を調べていたわけではなく、もっぱら空きコマには大好きなアニメや音楽に浸り、そして小説の創作に打ち込んで

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夏炉冬扇 #3

夏炉冬扇 #3

天つ風 絶ゆる秋
いにしえの鳥は歌う
未だ聴かぬ 神の言葉
到らぬ者のあるべきか

秋の風が忍び込む部屋。彼女の目蓋がはっと大きく開いた。だいぶ長い時間、昼寝をしていたらしい。サンドロールを半分かじっただけの、到底食事と呼べないような栄養補給を済まして床に寝そべってしまった。眼に痛い夕焼けが部屋に差し込んで、赤い光線が窓から差し込んでいる。縒れたブラウスの裾から下着のシャツがはみ出している。セミロ

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夏炉冬扇 #2

夏炉冬扇 #2

どちらかと言えば私は上がり症だ。二十三歳の現在でも、人前で話すことには未だに抵抗があるし、初対面の人と接する合間には、どうすれば相手を傷つけないで済むかと考えて気疲れしてしまう。親友と呼べる相手となら、一歩二歩の距離を縮めて話せるのだが…。そして、何かにつけて心拍数の高まる性格の私が、最も神経を使ってしまうことの一つが、自作の原稿を誰かに読んでもらうときである。

小学校の頃から、誰かに自分の文章

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夏炉冬扇

夏炉冬扇

雨が好き。なぜなのかは知らない。

十五歳のころから好きだった。雨の降る音で目が覚める朝は心地よいのだ。パラパラと散る小雨はかわいいし、ジャージャー地面を叩く本降りは力強くて勇ましい。そんな日は、母のつくった食パンとスープの朝食をせわしなくかきこんで、歯磨きさえ忘れてカバンをひとつかみ玄関を出るやいなや、スキップを交えながら登校したものだった。当然のことながら、校門へ着くころには髪の毛はびしゃびし

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