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自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その4

先天性中等度緑赤色弱、強近視以外に幼い頃から”消化器系器官”も患っていた自分だったが、中2の時、部活動で起きた”事件”後、当時の学校教育関係者や行政・役所関係者による対応が”とてもあいまいではっきりしない態度”(自己保身に走る役人、政治屋といった公機関関係者達全員)と行動だったため、ストレスや精神疲労が一気に増大してしまう事になる。

そして、ついに大きな総合病院にまで、週に一回は通院する・・・という情けない心身になっていた。総合病院でのバリウムを飲む胃袋の検査、胃カメラでの検査などをした。
その後、中3の夏休み直前、虫垂炎と大小腸との手術失敗(膿が出てしまっている”傷口”を麻酔なし!で取った事!痛さは当然!普通ではなかった)でした事・・・惨すぎる・・・痛さ・・・
その後は、ちゃんと!しっかり!どちらも治療は、薬などの治療によって、なんとかなった・・・。

二つの目のハンディーキャップと完全に消化器系切除にまで到った20代半ば近くまでの人生は、自分の世間に対する”戦争”は、これが「第一回戦」だった!
20代半ば近くで”過労”も含めた事により、ついに消化器系切除手術を実施!緊急で4リッター以上の輸血をする(どんな大男であっても2リッターも出血すれば”死“に到る。自分は”強運”を持っている!と実感できたし、色々な人達への感謝も出来たもの!)。
その後、リハビリも含めて、一日6食に食事を分け、摂る・・・など
全盛期の9割までの体格を戻すまでに、約5年・・・30代に入るぐらいまで
かかる。
また、週三回も栄養注射を打ちに、30代前半まで、かかりつけの医者へも行った。
波乱の人生ばかりだが、同い年の20代~30代のような人生もない!10代で音楽活動を始めてから自覚していた。

目のハンデによる差別行動を、しっかり進路、将来を助言できない事など
教育関係者達による”無知の差別、虐待行動”により消化器系器官まで、弱くさせられた自分・・・
これが自分の中学を終わるまで、学校・医療関係者による”世間知らず”行動だったので、結局!これではいかん!!という事で・・・

中学に入ったばかりのその年に、少し話は前後するのだが・・・
ジャズやAOR(都会派のロックと言った方が良いらしい)のバンド活動をする事と、皿洗いを含めたアルバイトも兼ねてするようになるのである。

住んでいる実家近所の工場地帯の様々な公害問題も含めて、学習に集中できない環境でもあったが・・・
参加する事になったバンドのバンマス(バンドマスターの事、バンド活動の中心人物であるリーダーを言う)やセカンドリーダーの住むマンションの一室を借り、勉強やいっしょに曲作り、楽器やボーカルの練習、彼らの家事、炊事を手伝う(野菜炒めやパスタ料理、アイロン掛け、掃除から)事もした(彼らは、都市部の中心近くの中古マンションに住んでいたが、以外にも消音や騒音、振動対策がされているところだった)

上記のその1にも書いてあるが”特定少数族とその仲間達”(帰化人、渡来人、そして各オカルト団体関係者達)が点在しているような実家の周辺では、芸事もスポーツも偏った活動(まるで○通や博○堂のような○○代理店と軍事機密諜報活動団体も兼ねたような奴等もいる)ばかりで、地上波テレビ、ラジオ放送にしか、出てこないような”流行りモノ”しか知らないような世間知らずの半端な田舎っぺどもに、自分は、そこから”完全に縁が切れている”と、10代前半から音楽活動をやっていきながら、生きる事への自信と実益行動を、心から実感している!



自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? そろそろ・・・ちゃんと自己紹介 その3


善悪混同した社会”の1980年代の高校時代 

男子校であるが”旧日本軍出身であり旧帝国大学出身者が創立メンバーである学校”だった(時の挨拶から厳しいところがあったね)
また、高校周辺は、昔から”特定少数族やその仲間達”が数多く住居を構えており、少し離れた所には”岡場所”も・・・そして暴力団、右翼団体など政治・社会活動団体に所属する者達も、その周辺にたくさんいた。
(山一戦争という広域暴力団同志の抗争が過激化している時代。暴走族やゲリラ団体も過激化していた時代だった)


高校に入り、バンド演奏がアルバイトみたいにもなっていた(他のバイトも、幾つかこなしていた)。他の同級生達とは違い”苦学生”である電気の学校へ通う自分にとって、この3年間は、あっという間に時間が経ってしまった気がする・・・

高校受験は、なんとか突破できた事も束の間・・・
待っていたのは、当時の男子校特有の体罰やしごきなど、荒っぽい現場だった・・・。
敢えて、名前を出すけれど「とんねるず」のお兄さん達が、帝○高校の事、番組内で、よく話していた男子校の光景は、とてもよく似ている!
今だから笑い話にもできる事だが、この学校周辺の環境が、いかに良くない環境だった事も含めて、当時は”荒っぽく血の気の多い、ビーバップスクール”のような雰囲気だったところがあるのは、全く否定しない!

高1の夏の終わりに近い、所属するクラブ活動の合宿帰り・・・自分は”生まれて初めて両想いの恋人となる彼女(学年では2年上だったので)と、お付き合いする事となる!

彼女とは、いわゆる遠距離恋愛・・・
ケイタイもない時代・・・
ファクスも各家庭にあるのか?ないのか?わからない時代・・・
交換日記、手紙、葉書、インスタントカメラを借りて写した写真を送る・・・
当時、カセットテープで、声やバンドの演奏、自分の演奏とかを入れて
送る・・・
バンドの連中に、発売したばかりの家庭用ビデオカメラで、撮ってもらってビデオレターで送る・・・

現代じゃ!考えられないでしょ?
昭和時代から平成一桁の時代までは、こうだったわ!
”我慢””辛抱”なんて!今の比じゃねえ!
そんなもんよ!


それでは、今回は、少し長くなってしまって・・・
ここで、お粗末様!

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