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自分の先天性中等度色弱と強近視の人生とは? その3   幼い頃から20代前半ぐらいまでの経験し、苦労させられてきた事について

”中途半端な権力”(代理代役支配によるもの)と実感できたこの社会 自分は、いつでも”戦闘状態”である

大袈裟に捉えられるかもしれない・・・
以前の記事からもそうだが、これは当時からの社会環境そのものが
「色盲、色弱、色覚異常者 不可」
という項目を見せられていた時代でもあったからである。

前記にも書いたが”障害者手帳を発行されていない人達”以上に格下げされてきた自分は、本当に将来への不安が8歳になるかいなかの強度近視と合わせて「生きていく手段がなかなか見つからない」とわかっていたから”自己責任”という台詞が、世に出る前から自覚していた。

昭和時代から平成時代一桁後半まで、自分のような者は、高校進学へも普通科から受験もさせてくれない”不当な条件”もあった(進路担当する教員関係者達へ賄賂が渡っている)。
これは”住んでいた自治体”が”つまらない規制ばかりつくり専門職育成ができない自治体”である事も含まれる(3ない運動発祥地、飲酒運転違反者とその関係者に厳罰など道路交通関係の違反罰則を独自に厳罰ルールをつくっている自治体である。ところが、ここは”裏社会や組織との癒着や談合など”が明治時代以降から色濃く存在している自治体でもある!)。
自分が初めて各国家試験の受験内容に”色弱不可”となっていたりしていた事であっても”実践経験もないズブの素人の公関係者達の驕り”だと感じてならないだけだ!

働いていた近所の教習所 働きながら最低限度必要な運転免許は、ここで取得
”限定解除制度”の時代だったから、全国的に厳しかったが、自分は”普通”に取得できた。



とある”協力してくれる理解者達”は、このような不当な事を堂々と言ってくれた!
「そんな事ばかりやっていると、そのうちに”出来る仕事人”は、出て行っちまうぞ!こまった連中だ!そんな事するのなら、交通事故を無くす努力をしてみろってんだ!俺達は、おまえさんの行動・・・”普通”だと見えた!ばかばかしい!奴等だ!そいつら!!」
この台詞・・・自分が運転免許を取りに”モーターサイクルメーカーの本社が3つある自治体”の教習所関係者が言ってくれた(当時、自分は、その近くのファクトリーで働きながら、普通自動車、中型自動二輪など、他の仕事に必須な国家試験や免許も取った)。

この”理解者達の通告”・・・高齢化社会に入ってきた約30年前から、自分はこの約20年以上、本当に!実感するわ!
「あの教習所の検定員や指導員の人達の言葉、当たっているわ~さすが!」
完全に”独立・自立できていない国”?って・・・事かよ?
偉いさん達?大丈夫?
それを、毎日、訴えてきている・・・


国内のモーターサイクルメーカーの400cc中型バイクを使ってやっていたけれど
自分が一番、慎重な実践できていた!と・・・多大な緊張を無くしてくれたね。

”限定解除制度”があった時代だったから”苦労”ばかりさせられてもいる年代だよ!現代は良いぞい!!
独学・我流が多かったし大変だったが、後になれば、
「これが”普通”の生き様だ!」
と、自分自身に自信が持てるようにもなる。

なにしろ・・・自分の家庭環境も経済力もなく、両親がいても”戦中生まれ”で教養も受けられないような所から戦後復興期に、実社会へ出た人達だし、自分は欲しいものがあっても手に入らないから、そこは下町育ちでもあったため、神主や和尚達の手伝いや食べ物商売屋で手伝いなどをし、少ない小遣いを貯める努力もしてこれた。そして唯一、通った高校も私立だったから”苦学”であったし、他の”健常者”の連中(年功序列賃金制度で守られているリーマン家庭は特に)と違い、通う事だけでも必死だったけれど、その上の大学などの教育へは、この島社会の”中途半端な権力者達による”なーなー社会”であると、とっくに気付いていた事もあり、自分は実社会へさっさと出ていき、今度は”海外渡航と移住”、現地で働いて生活を計画し、信頼と財産つくりに徹して、働いてきている。

ガス溶接 アセチレンと酸素の混合気を圧力を使って、火を起こし金属同士をくっつける
熟練に習う事は実践現場で・・・


普通旋盤 NCだろうと、端末コンピュータ入れた放電加工機なども実践から”半端な贅沢さ気取っている連中”には出来ない! 

早死にしている明治時代や大正時代生まれの先祖達や先の大戦後の復興期であっても、食糧難と薬不足などで思うようにいかなかった親達やその兄弟達に比べても「自分は”下働き”でも働いてきているし、他の仕事関係の学習(帳簿や経営の事)も、自分なりにできる筈!」そう割り切って生きてきてもいる(親世代の職人の修業は「おしんさん」と同様、丁稚奉公だった!親方の子供の子守から、やらされる!)。それを考えたら自分は、まだマシ!と考えたよ。

下町は、小さな寺社、個人商店が多かったし、そこが「習字・そろばん塾」だし、掃除などを手伝えば駄菓子や少しばかりの小遣いをくれた。
皿洗いや出前などのバイトもやってきているし、仕込みの手伝いは力仕事ばかりだけれど、それが今でも「食・住・衣」の大切さを実感させてくれている。
自分本人に、たとえ、ハンディキャップがあっても”要領の良い家庭環境”(身内関係者達が賄賂などを使い)とは大違い!
”中途半端者だらけの実社会”に対して”喧嘩を買ってきた”ようなもの!

先の大戦後に”代理代役支配”に自惚れ”、バブル経済崩壊後も名義変更、公的資金投入で”ゾンビ企業”となり復活できたと勘違いばかりしている現代の島社会の連中に対して・・・怒りばかりの毎日・・・

「中途半端に見栄張って・・・カッコばかりつけても・・・
”丈夫な骨と分厚い皮”が育っていなかったら、長く生きて仕事しているお百姓さん達や漁師さん達、木こりさん達に”気持ちから負けている”!」
と実感できる今日この頃・・・
これが、いつの日も自分への教訓!

これで今回は、お粗末!と・・・

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