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記録するカメラと記憶するカメラ
忙殺という口実を見つけ、クロノスの流れにカイロスを刻む努力から逃走する日々。
無理やりにでも歩かないといけない。
歩けないんじゃなくて歩かないだけなのも分かっている。
そんな怠惰な人生に、新しい息など吹き込まれるはずがない。
人生も指示待ち症候群。
いったい誰の指示だというのか。
淡々と過ぎていくクロノスを記録し続ける。
記憶すべきカイロスが訪れるまで。
終焉に宿る永遠のいのち
私は、8㍉フィルムフェチの多くが廃虚フェチであることを信じて疑わない。
両者にみられる親和性の高さが雄弁に語っている。
8㍉フィルムと廃虚は、どちらも終焉を生きている点で共通している。
終焉を生きるというのは、いのちの終わりではなく新しいいのちの始まりを意味する。
それはいつまでも生きるいのちのことではなく、然りとて瞬間(いま)を生きるいのちでもない。
時間や空間に縛られない真の自由なの
アナログとデジタルの邂逅
ラスト一本となった賞味期限切れのシングル8フィルム。
ついこないだまで近所の某家電量販店に売ってあったのに。
20年以上前にCanon518svを買って色々撮って遊んだ生きた化石。
今になってスーパー8にしなかったことを悔やむ。
後悔しても仕方ないので、残されたフィルムは使用せず、カメラと一緒にインテリアとして余生を送ってもらうことにした。
以前、撮った8㍉映像を福山マシャニキの「蛍」の
我執と依存と想起に彩られた無間地獄
「君の名は。」を観過ぎてお腹いっぱいになったところで、ふたたび秒速5センチメールに手を伸ばした。
毎回、貴樹の落ちぶれっぷりと明里のリア充ぶりの二項対立に己を当てはめながら自己憐憫の沼に浸っている。
しかし今回は、理沙の「1000回にわたるメールのやり取りをしたとしても、心は1センチほどしか近づけなかった」とのセリフに、強い「結び」を感じずにはいられなかった。
今までサーファーの花苗推しだっ
予告編で心掴まれて本編で魂揺さぶられる
男装した冨永愛こと草彅剛が、見事なトラジェンを演じた感動大作。
生きる意味や存在価値を見出せないまま、マイノリティな人生を歩んでいた草彅剛が、想定外の出会いによって人格的に成長させられていくスピリチュアルロードムービー。
スマスマのコントにしか見えないと決めつけていたのだが、YouTubeで15分の予告を観たとき雷に打たれた。
恐るべし世界初の贅沢な予告編。
オカマの剛に預けられる親戚の娘「
踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。
何年前のことだったろう・・・。
マーティン・スコセッシ監督が、ダニエル・デイ=ルイスを主演に遠藤周作の「沈黙」を映画化すると言うニュースを目にしたのは。
そしてついにスパイダーマンが主演の「沈黙」が完成したことを知った日、ウィレム・デフォーの「最後の誘惑」を観直さずにはいられなかった。
映画は、原作と比較して内容的には特段気になるところはなかったのだが、窪塚キチジローだけは納得いかなかった。
“全米が泣いた”系は泣けないという説
4回泣けるという約束だったが、実際は1回泣けるかどうかの代物。
たとえるならば、厳選された高級食材を使っているにも関わらず、古くなった油で炒め安物の調味料をふんだんに使い、最後はもこみち並みのオリーブオイルをぶっかけて仕上げられた料理を食べた後のような作品だった。
特にラストにまとめられた登場人物たちのカメラ目線で訴える青年の主張的演出は、監督が未熟なのか客をバカにしてるのか(きっと前者に違い
ロック“エンターテイナー”ヴォーカリスト
中二の時に観た「アイアンイーグル」。
劇中で流れるQueenの「ONE VISION」に衝撃を受けた。
忘れもしない大学一年時、冬を思わせる冷たい秋雨が降る朝、その日の二限目の授業が始まる前に「おい、フレディが死んだってよ、それもエイズやって」一限目の授業をサボったELP好きのプログレマニアからフレディの訃報を知らされた。
ショックで数日凹んだ。
大人になり、メタルやハードロックからプログレ