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就活で危うくカルト企業に引っかかる所だった、という話。【毒親育ちの早大生が就活で100社以上落ちた】こぼれ話

↓ このシリーズのこぼれ話です。

これは今からおよそ18年前、進路?何それ美味しいの?とばかりにノータリンな大学生活を送り続けた私が、100社以上の企業にボッコボコに落とされまくっていた就活の真っ最中の出来事である。
時系列的には確か70社ほど落ちた頃。上記の記事でいえば「線路が綺麗に見えすぎて危うく飛び込みそうだったところを、コンポタのお陰で思い留まった」の、直前の時期だ。

当時の私は「数うちゃ当たる」戦法で、目についた企業に片っ端からエントリーシートを送りまくっていた。そしてかなり大きい規模の、教育を含むいくつかの事業を展開するグループ企業――A社としておくが、そこに応募した。

このA社こそ、私が危うく引っかかる所だった「カルト企業」である。
「カルト」というのはあくまでも私個人の感想なので、具体的な企業名は伏せておくが、後からググったところ、

共同体理念が強く、仕事とプライベートが完全一体化しているなど、かなりクセのある思想。カルト宗教っぽい。
・強烈な男尊女卑志向。組織内で女性を性的に共有(!)する文化がある。乱交が横行している。
・関西に本社があり、東京にも事業所があるが、関東出身の人間は必ず関西に配属される。寮暮らし前提の閉鎖社会で、「共同体に馴染むため」実家や友人など、外部への連絡が出来なくなる。
・長時間労働にもかかわらず、全員が役員扱いで「残業代」の概念がない。

などと、どれか一つでも真実だったら十分アウトな噂が続々と出てきた。
真偽のほどはともかく、この企業体は2023年の今も絶賛営業中であり、「社員を全員取締役にして、残業代を払わなかった」件については裁判で支払い命令も出ている。
現在は改善されているかもしれないが、とりあえず「これらのヤバい噂の内、少なくとも一つは事実だった」という点だけで、カルトと呼ばれても仕方ない企業だったことはお分かり頂けると思う。

さて、A社の書類選考を通過し、一次面接へと駒を進めた私は、当日に現地で「面接の前に書くように」と示された紙を前に、首を捻った。
面接当日に提出物を書かされるのが初めてだったということもあるが、エントリーシートの補助的なもの――と思われるその用紙の記載項目が、どうにも謎だったからである。

実家の住所はどこか。両親の出身地はどこか。何人兄弟か。実家の家族構成は。両親に離婚歴があるか。両親の最終学歴と職業は。祖父母は存命か、交流はあるか。自分はどんな子供だったか。どんな風に子供時代を過ごしたか。両親との関係はどうか。

……うーん?
隠すほどのことでもないけど、これ関係あんの?
ってか、面接でこれ見て一体何の話するの?

そんな感想を持ちながら、一人っ子・両親が共にバツイチ・両親の最終学歴は高校中退・祖父母は全員故人――などと馬鹿正直に項目を埋めた私は、「どんな子供だったか」などの記述を嘘でない程度に無難に仕上げ、その用紙を提出した。
そして2,3人の順番待ちの後(私がその日の最後らしかった)、面接の部屋に通された。

【ポイント①
理由もなく、プライベートの情報をやたらと答えさせる企業は、ヤバい。

ここで私が答えた「両親が共にバツイチ」「両親が共に中卒」などの生育歴、そして私自身の「早稲田大学卒業予定」
当時は全く気付かなかったが、カルト企業目線でこれらの情報を総合すると、私はこれだけで「よほど両親の期待を背負ってきた努力家か、かなりの毒親育ちである可能性が高い」と判断されてもおかしくなく、そしてそれは(当時は自覚がなかったが)実際に当たっていた。

カルト企業はこうした情報からターゲットの弱点を見抜き、そこを的確に、熟練の技で突いてくるのである。

面接官は二人。40代後半ぐらいに見える、優しげでインテリっぽい雰囲気の痩せ型の男性と、似た雰囲気をまとった40歳前後の女性だった。

面接は、エントリーシートよりも、面接の直前に書かされた用紙を基準に、確認と細かい質問が重ねられた。自分の幼少期や両親について答える、というのはこれまでに受けてきた面接とは全く違っていたが、それだけにとても気楽に回答できたし、二人の面接官は笑顔で、私の話を丸ごと肯定するかのように、とても優しい相槌を打ってくれていた。
面接というよりはむしろ「優しく親切な病院で、医師の問診を受けている」かのようなやり取りを繰り返すうちに、私は面接官二人を、今までの就職活動で――いや、今までの人生で出会った中で一番好ましく信頼できる人たちなのではないか、とすら思い始めた。

【ポイント②
面接でプライベート(家庭環境、養育歴)の話ばかりして、「志望動機」「やりたい仕事」など、普通の質問を全くして来ない企業は、ヤバい。

今だからこそ分かることだが、この時私が答えていたのは、完全に「成育歴や家庭環境に、生きづらさを抱える原因となるような要素はなかったか」という点にフォーカスした質問内容だった。カウンセリングに行った訳でもないのに、企業の面接でこれを行うことは通常ありえない。
A社はこれらの質問により、ターゲットである私の弱点を探すと共に、最短かつ最高効率で私の信頼を得ようとしていて、実際にそれに成功している。

ポイント③
就活で遭遇した面接官に「今までの人生で出会った中で、最も信頼できる人たちのような」気分にさせられている状態は、ヤバい。


この時点で面接官への好感度・信頼度が不自然に上がっていて、「フィーリングの合う企業」「一緒に仕事をしたいと思える社員さんたち」のレベルをはるかに凌駕している。仕事の話を全くしていないのに。
私は恐ろしく人見知りで、普段なら絶対に初対面の人間を信頼することなどあり得ないのだが、彼らの事はものの十数分で完全に信頼してしまっていた。カルト企業の「ターゲットの信頼を得る」会話スキルは凄まじいのである。

そして質問と回答が一通り終わると、男性の面接官は表情を引き締め、真剣な声で私に言った。

「新原さん。就職活動中のあなたにとって、私たちは一企業の人間に過ぎません。こういった場は一期一会ですから、ご縁がなければ、私たちはもう二度とお会いする機会はなくなってしまう。――でもだからこそ、仕事上の役割は一旦置いておいて、私は一人の大人として、あなたに伝えておきたいことがあります」

それまで、面接の最中にも関わらずリラックスしきっていた私は、その声色に背筋を伸ばし、面接官の目をしっかりと見つめた。
この信頼できそうな人が、私の人生にとって、とても重要なことを教えてくれようとしている。絶対に聞き逃してはならない。そう感じた。

【ポイント④
面接官が、「仕事上の役割を一旦置いて」「一人の大人として」意見をくれるのは、危険。


このパターン自体は、私が落ちた40社あまりの面接で、A社の他に2回あった。片方は圧迫面接で「そんなんじゃやっていけないよ?」系の説教を受けたパターンで、もう片方は面接での具体的なアドバイスをくれたパターンだった(「自己PRが弱い」のような指摘だったと思う)。アドバイスは有り難く受け取ったが、A社と圧迫面接の方は完全にヤバい。面接官に「一人の大人として」などと言われた場合は、その内容によく注意すべきである。

「――あなたは、少し自己肯定感が低すぎますね」

全身を貫かれたような衝撃があった。
その一言は私の最も弱い部分を、自分では自覚さえしていなかった弱点を、正確に刺し貫いていた。
そして、「拒絶されてしまったのだろうか」という不安が急激に湧き上がった。この人たちを、私は失望させたのか。この素敵な人たちは私の短所を見破り、それ故に私を不適格だと、彼らの仲間には入れられないと、そういう宣言をしようとしているのだろうか――

不安でいっぱいになった私を安心させるように、面接官の男性はふっと表情を和らげ、さっきまでと同じか、それ以上の温かな声で続けた。

「もっと胸を張って、自信を持っていい。あなたはこれまで頑張ってきた。成果が出た事ばかりではないかもしれないけれど、あなたがどれだけ頑張ってきたか、私達には分かります。もっと、自分を認めてあげても良いんじゃないですか。あなたはもう十分すぎるほど、頑張ってきたじゃないですか。あなたの事をもっと、あなた自身が認めて、『よくやったね、頑張ったね』と誉めてあげていいんですよ」

――許された。

刺し貫かれてぽっかりと空いた穴に柔らかな声が染みわたって、涙が溢れ出てきた。
私の致命的な欠点を知って、それでもなお許して、認めてくれたという安堵。そして、私が何をしてきたか書類上でしか知らないはずの彼らが、私が頑張ってきたと認めてくれたことの温かさに、私は泣いた。涙がどんどん溢れ出してきて止まらなかったけれど、彼らはそれを咎めもせずに、優しく微笑んでいてくれた。

今までずっと、他の誰も、そんなことを言ってくれたことはなかった。
でも、そう。私は――頑張ってきた。頑張ってきたのだ。

高校に合格した時も、大学に合格した時も、母は「アンタが勝手に行きたい学校に受かっただけ。反対はしないが、どちらかといえば迷惑だ」というスタンスでいた。私が何かで成果を出したとき、「おめでとう」「凄いね」と言ってくれる人は周囲にはいたけれど、「よくやったね、頑張ったね」と言ってくれる人はいなかった。成果が出なければ、何も言われないのは御の字で、失敗を咎められるのが当然だった。
でも私は、確かに頑張ってきた。今だって就職活動で70社も落ちて、内定は一つももらえていない。それでも私は確かに、ずっと頑張ってきたのだ。

認めてくれた。気が付いてくれて、認めてくれた。
初めて会った人たちが。企業の面接官でしかないはずのこの人が。ただの一人の就活生にすぎない私のことを、どれだけ頑張ってきたか思いやって――それを、認めてくれた。

「すみません」と謝りながら、ポケットから出したハンカチがすっかり湿ってしまうほど泣いている私に、男性は穏やかに話を再開した。

【ポイント⑤
完全に洗脳フェーズに入っていて、ガッツリとかかってしまっている。ヤバい。

それまでの和やかな雰囲気から一転、「上げて落とす」でダメージを与え、私が不安になったところで「許し=救い」を与える――という、カルト宗教の勧誘などに見られる典型的な手口である。
そもそも「自己肯定感が低い」というのは、就活シーズン終盤だったこの時期の就活生なら大抵が当てはまる。どんなに自己肯定感が高いタイプでも「就活中で内定が取れていない」時点で自信を失ってしまうはずだし、私のように大量に落ちていれば猶更だ。
そして私は毒親育ちであったが故に、このフレーズが完全にピンポイントに刺さってしまった。ここで見事に泣いてしまっている私は、鴨がネギを背負って自ら鍋に飛び込んだのを自白しているようなものである。

ポイント⑥
この後数十分にわたって、面接官の話をひたすら聞くフェーズに入るが、これもヤバい。

もはや「面接」「選考」ではなく「洗脳」あるいは「説得」になっている。
私の受けた40社以上の面接で、「面接官の話をひたすら聞かされた」のはこのA社だけだ。この時の私はぼんやりと丸呑みしてしまっているが、企業が就活生の情報を得るべき面接の場で、この状態はどう考えても異常である。

私はべそべそ泣きながら、男性の話に耳を傾けた。泣きすぎてぼんやりしている頭に、その話は優しく優しく染み渡った。

A社は共同体として、社員全員の人生を丸ごと支える理念を持つ企業であること。新しくメンバーになる人を、全力で受け入れるのが使命であること。
そして生活拠点として、関西に場所を用意していること。入社したら、そちらに生活の基盤を移すことになるが、心配は要らない。共同体として、社員の幸せを必ず構築していける。

あなたは、少しお母さんの影響が強すぎるようだ。関西に行くのは少し不安があるだろうが、大人として自立するためにも、関東から離れた方が良い。その方が共同体にも早く馴染める。
幸福に生きていくために、必要なものは全て私たちが用意する。あなたはただ、今まで通りに頑張ってくれればいい。私たちは誰よりもそれを認めて、あなたを受け入れる。そういう土壌がある。
あなたなら、すぐに私たちの一員として馴染めるだろう。そうすればあなたは、新たに入ってくるメンバーを教え導く存在になってくれるはずだ。そうなるためのサポートを、私たちは全力でしていくと約束する。私たちを信じて、あなたの人生を預けて欲しい。

そんな話を、私はぼんやりした頭で丸ごと受け入れた。
話は分かった。彼らの「共同体」に入れば、私は必ず認められて、今までとは違う人生を歩んでいける。それはきっと間違いないと、私は確信できていた。

不満があったとすれば、「私たち」という言葉だった。
面接官の男性――あなた個人が、私をサポートしてくれる訳ではないのか。私の人生の責任を、今日出会った「あなたが」全て取ってくれるわけではないのか。A社に入れば「あなたに」指導を受けられるのなら、私は今すぐにでも飛び込んでいくのに。

恋愛感情とは全く別の――被保護欲とでも呼ぶべき種類の、面接官の男性個人に対する強い執着を抱いた私は、しかし流石にそれは口に出さずに我慢して、面接を終えた。二人の面接官はにこやかに丁寧に、わざわざ私を出口まで見送って、パンフレットを手渡してくれた。
建物を出て見上げた空は夕暮れのグラデーションに染まっていて、涙でまだ湿った目元が風に吹かれて涼しかった。

――関西かぁ。

面接官の男性は、「あなたになら間違いなく内定が出せると思う。あなたが私たちのメンバーになってくれる日を、楽しみにしています」と言ってくれていた。
内定がもらえそうだという喜びよりも、「自分の人生が決まった」という感覚で、私はぼんやりしていた。A社に入ることは、この時の私の中ではほとんど「確定した未来」になっていた。面接官の男性本人に面倒を見てもらえるわけではなさそうだ、というのが若干不安だったが、同じ企業体に所属するなら、どこかでは繋がっていられるだろう。あの人があそこまで言うのだから、きっとA社に入れば間違いはないはずだ。

そんな風に思うほど、私はあの面接官の男性に心酔しきっていた。たった一度会っただけの私を、あんな風に理解してくれて認めてくれる人はこれまでいなかった。この先も出会えることはないはずだと、そう思った。
でも、もしかしたら。A社の「共同体」に入れば、他にもあんな風に私を受け入れてくれる人がいて、そんな人たちの中で生きていけるのかもしれない。

関西に、行こう。

東京を離れるのは名残惜しい気もしたが、友人も少なく、恋人への心残りも大してなかった私には、東京にそれ以上こだわる理由もないように思った。
地元から遠ざかる分、母は反対するだろうが、A社は東京にも事業所がある。数年たてば戻ってこられると言えば、そこまで強く反対はしないだろう。行ってしまえばこっちのものだ。

――でも。
「お母さんの影響が強すぎる」というのは、どういう意味だろう。
そんな風に言われるような何かが、私にあったのだろうか。

つらつらと面接の事を思い返しながら帰宅した私は、少しずつ冷えてきた頭で、微かな引っ掛かりを覚えた。

殆ど母子家庭のように育った私は、自分がマザコン寄りというか、母の影響が非常に強いことは自覚していた。だがそれを他人に見破られたことはなかったし、問題があるとも思っていなかった。
「母の影響が強いこと」が「悪いこと」であるかのような、その言い方に関してだけは、あの面接官の男性に同意しかねたのだ。

※この時の私は気付いていないが、「両親が共にバツイチ」で「母の連れ子」だと回答している私が「母の影響が強い」のは当然だ。
これほどA社に心酔していながらも、母との関係を指摘された事で反骨心より先に不快感を覚えたのは、私が彼らの想定を上回る毒親育ちで、母への信仰が篤かったためだろう。A社が唯一、失敗したポイントである。

今の時点でも別々に暮らしているのだから、そこから「もっと離れるために」関西に行く必要は、なくない?
入社したら関西の本社に行け、という話自体は分かるけど。

うーん、うーん。と回らない頭で考えた私は、ひとまずその疑問を棚上げすることにして、実家の母に電話をかけた。
就活の間、週に1度ぐらいのペースで母には電話をしていたが、この日は「自分の入るべき企業が決まった」という思いで、私はかなり興奮していた。関西に行くことの是非はともかく、面接の手ごたえがあったことと、素晴らしい企業に巡り合えたということ、そしてA社に入りたいということを、誰かに話したかったし、出来れば母にも応援して欲しかった。

なるべく普段通り落ち着いて聞こえるように、そしてA社が「普通の大企業」に聞こえるように気をつけつつ、私は母に話をした。
「少し変わった面接だった」ことはざっと話したが、自分が泣いたことは話さなかった。あの「人生が変わった」と思えた面接での出来事を、母に無神経に批判されたくなかったからである。

母はごく普通に話を聞いてくれていたが、私が一通り話した後に、面接官の言葉の中で引っかかったこと――「母の影響が強すぎる」と言われたことを話した瞬間、激昂した。

「そんな事を会社に言われる覚えはない!その会社は絶対おかしい!!」

母の剣幕に驚いた私は、慌てて母を宥めた。そもそも一次面接を受けただけで、内定がもらえたわけでも何でもない。内定がもらえたとしても、他の企業の内定も取れたら、条件の良い方を選べばいい――とそんな風に説明していると、母はいくらか冷静さを取り戻したようで、「とにかく、よく考えなさい」と言い残して電話を切った。

あー、びっくりした。
母にとって不愉快な可能性は考えたが、ここまで怒るとは想定外だった。母に話したのは、失敗だったかもしれない。

母の反応に驚きつつも、A社に入ろうと心に決めていた私は割とお気楽だった。
私はもう成人しているのだし、就職に当たって親の許可など別に要らない。関西に行くとして、住む場所もA社が用意してくれて、その後の生活も面倒を見てくれると約束してくれたのだから、母の同意が必要となるシーンはないだろう。
つまり、母がどれだけ怒っていても、問題はない。

そんな風に結論付けたものの、母の言った「その会社は絶対おかしい」という言葉は少し気にかかった。
確かに、変わった企業ではある。良し悪しの判断は置いておくとして、少なくとも普通の企業でないのは事実だろう。
それが「問題のある」おかしさか、「問題のない」おかしさか。私には判断がつけられないような気もしてきた。

あんなに素敵な人たちが、あんなに私の事を受け入れてくれたのだから、あの人たちの仲間に入りたい。
でも、A社は「普通の企業」ではなさそうだ。それはどういうデメリットをもたらすのか……駄目だ、何の予測もできない。

一晩考えても結論を出せなかった私は、翌日行くアルバイト先の社員さん達に、ちょっと相談してみようと思った。背中を押して欲しいのか、反対して欲しいのかは自分でも分からなかったけれど、客観的な意見を貰って、不安要素が見つかったら、きちんと自分で納得してからA社に入りたい。そう思った。

――そして、翌日。

「新原ちゃん!あはは、ヤッバいよさっき言ってた企業。これ見てみなよ!乱交とかやってるって、ヤバいよ新原ちゃんヤラれちゃうよ~?」

「ぇ……っ!?」

バイト先の喫煙室で「昨日受けた企業に内定貰えそうで、良さそうな雰囲気だったんですけど、ちょっとその企業が変わってて、迷ってるんです」という話をした直後。
気さくでフレンドリーな女社長は、そう言って私を手招きし、PC画面を私に見せた。

当時の2ちゃんねるの専用スレに並んだ書き込みは、9割以上がA社へのバッシング、残り1割が擁護意見で埋め尽くされ、穏便な情報が全くなかった。どんな大企業でもバッシング自体はあるだろうが、そこにあった書き込みは「完全にカルト」「家族・友人など外部との連絡は一切遮断」「女性は共有物、セクハラは社訓で容認、乱交は当たり前」「最終目的は政権奪取」「労基法から逃れるために全社員を取締役化」など、内容が奇抜過ぎる上に、擁護意見の方でさえ「ウチはカルトじゃない、カルトは2chの方だ!」といった、電波過ぎるものしかない。

――これは、ヤバい。

つい数分前まで入る気満々だった企業の、想定外の叩かれよう――それも一般的な企業が言われる「仕事量の割に薄給、ブラック」「役員がクソ」といった話とは別次元のトンデモ情報の山に、私は絶句した。
火のないところに煙は立たない。こんな訳の分からない煙が大量にあるということは――話半分、いや1割でも、マズい。

「あはは、新原ちゃんここは止めときなよ~。流石にヤバいよこれ。良かったじゃん、入っちゃう前に気が付けて。これ絶対断った方が良いよ~」

「そ、そう、ですね……」

「まだ選考途中なら辞退しちゃいなよ、次は行けませんって。こーいうトコ、内定出た後だとしつこいかもしれないしさ~」

「あー、そ……っか、確かに選考進んじゃうと、断るの大変だったりも、するかもですよね……」

「うんうん。まだ一次面接でしょ?ならサクッと断れるだろうし。まぁもししつこかったりして困ったら相談乗るからさ、何かあったら言って~?」

「あ、はい。助かりました、ありがとうございます……っ」

何とか社長にお礼の言葉を絞り出し、席に戻って私は放心した。
「A社の口コミ情報をネットで調べる」なんてことを思いつきもしなかった自分に呆れてもいたし、そんな怪しすぎる企業に、ついさっきまで心の底から心酔しきって疑いもしなかった自分を思い返すと、茫然とするしかなかった。

そして「そういう目」で思い返せば、最初から最後までA社は怪しかった。不可解だった色々な点も、怪しい企業の手口と言われれば何もかもが腑に落ちた。

ただその一方で、たった一日だけでも私が彼らを信頼しきっていたこと――その信頼がA社の思惑で作らされたものだったとしても、あの面接官の男性がくれた言葉を、本当に嬉しいと思ったこともまた、事実だった。

――もっと、自分を認めてあげても良いんじゃないですか。
『よくやったね、頑張ったね』と誉めてあげていいんですよ。

私はそう言って欲しかったのか。
そう言われただけで泣いてしまうほど、それだけで怪しい企業をあんなに信頼してしまうほど、「頑張ったね」と誰かに言って欲しかったのか、私は。
そんなに私は、認められることに飢えていたのか。

そう、かぁ。そうだったんだなぁ。
それが分かっただけでも、良かった。――うん、良かった。

そう自分に言い聞かせていると、また涙がじんわり出てきた。
「頑張ったね」と私に言ってくれるのが、カルト企業しかいないなら。私は自分で、自分自身にそれを言えるようにならなくてはいけない。
また誰かにそう言われて、ただそれだけで誰かを信じて、また騙されることがないように。
あんな風に、信じてはいけない誰かを、信じてしまうことがないように。

こっそり涙を拭きながらバイトの仕事に戻り、次の休憩時間にすぐ、私はA社に選考辞退の連絡を入れた。電話を受けた女性は淡々と話を受け付けてくれ、理由を聞かれることもなかった。


私とA社の縁はそれきり途切れたが、A社の件があってから、私は人生においていくつか心がけていることがある。

一つ。疲れたな、と感じたときは「私はよく頑張った」と自分をこまめに誉めること。

一つ。自分はかなり騙されやすいということを念頭に置いて、知らない人に接する時、特に「よく知らない人を急激に信頼している」時は十分に警戒すること。

一つ。重大な決断をする前には、必ず人類の集合知――Google検索を活用すること。できれば同時に、利害関係のない誰かに相談すること。

これらの教訓は、アラフォーの今に至るまで、私を危険から守ってくれている大切な教えだ。

初めにも書いたが、このA社は2023年の今も元気に実在している。
そして恐らく、A社のようなヤバい企業は、きっと他にも存在する。未来ある就活生、特に「生きづらさを抱える人」をターゲットに据えて、優秀で忠実な手駒を手に入れようと、ごく普通の企業の顔をして、罠を張って待ち構えているのである。

何かを決断する時は、とりあえずググれ。
この記事を読んで下さった方にこれだけでも伝われば、24時間弱とはいえ完全にカルトに騙された、私のこの経験も報われることになると言える。

皆さんにもどうか、Googleのご加護がありますように。



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